第20話 また死ぬの

 三人は凍りついて速水を見つめていた。

「桜子、自分の頭は持っていけ。いずこなりとも消えろ」

 嘲る響きが強く、宝は聞いているだけで冷静さを失いそうになっていた。

「あたしに話しかけるな!」

「もうおまえの頭などいらん。たかだか十年で使いものにならなくなるなど、とんだ小物だったな。不完全な鵺など、近いうちに崩れる。崩れれば、おまえも邪気に取りこまれて終わる。とっとと出ていけ」

 冷たい声音だ。速水の口から出ているのが信じられない。

「あ、あたしを無駄死に扱いするな!」

 桜子の叫びに、宝の頭に血が巡りはじめる。

「……あなたはほんとうに、他人の気持ちを考えないひとですね」

 宝は胸の奥から重い息を吐き出す。

 総代と血がつながっているという事実が、心底忌まわしくてならない。

「邪気が溢れればどうなると思う? 大事の前の小事だ。国を守るためなら、わしは憎まれ役も買って出るぞ」

「……そんなだから、老人会の温泉旅行に誘ってもらえないんですよ」

 速水の顔が赤くなったかと思うと、一気に青黒くなる――そして見る間に歪んでいった。

「よけいなことをひとことどころか、くどくど並べるでしょう。そんなだから苺狩りのときも日帰り温泉のときも誘ってもらえないんです」

「うっわ。ありえん、さびしい老後だな――その上孫にも嫌われて、か?」

 あざみの声には、憐れむような響きが濃かった。

「わしはいまそんな話をしていない!」

 速水が怒鳴ると、目に見えないなにかがぶつかってきたような圧力を感じた。彼女の周囲の土が吹き飛んでいる。

「……いってぇな」

 とっさに灯をかばっていたあざみを、速水はにらんだ。

「さあ、桜子の頭を取り出してやれ。桜子、おまえは頭が欲しいんだろう? 贄はいやだといったな? 願いがかなうんだ、喜べ」

 宝は放り出していたシャベルを拾い上げた。

「たかちゃん!? いうこと聞くの!?」

「いうことを聞くというか、そういうことではないでしょう。そもそもの目的は、桜子さんの頭蓋骨を見つけることです。みんな頭に血がのぼってますよ。桜子さんもです、ババアのいうことをいちいちかまうことはない」

「……おまえもじゃね?」

 懐中電灯に照らされた土台をよくよく見れば、ほかとは素材が違う部分があった。

 シャベルの先をそこに突き立てようとして、飛び出してきた桜子に止められた。

「ら、乱暴は駄目! 頭壊れる!」

 土台にはめこまれていたものは、木の箱だった。

 出現したそれは腐食し、何カ所か隙間が空いてしまっている。わずかなその隙間では、なかがどうなっているのかうかがい知るのは不可能だった。

 穴に飛びこんだ桜子が、あわてて手をのばしていく。

「あ、あたしの……あたしの……頭!」

 木箱にできている隙間に指を入れ、桜子は乱暴にむしる。爪が剥がれるのでは、という勢いで、ばりばりと湿った木の箱を解体する彼女の顔は、真剣そのものだった。

「ひどい……」

 そこに眠っていたものに、灯がうめいた。

 長い髪の毛にまみれた、さほど大きくない頭蓋骨が木の箱に守られていた。

 桜子が頭蓋骨をかき抱くと、頭蓋骨の口に噛まされていた紙片が落ちる。なにが書かれているか、意味は汲み取れない。しかし呪符の類なのは誰の目にも一目瞭然だった。

 頭部に大きな穴が空いている。

 ふと宝は、冷たいものを感じた。

 ――自分たちがいるこの一帯に、どれだけの屍が打ち棄てられているのだろう。

 あの総代は、贄として扱った桜子の頭をどう処理するつもりでいたのか――宝は桜子のほかの部位をおなじ地下で見つけていることを思い出していた。

 贄をほどこす間だけ訪れる場所。

 そこに不要な部位は捨てる。

 時期が違えば、ここにはひどい腐敗臭が満ちていたかもしれない。

 ――ここにいったいどれだけの。

 歴代の近江家当主が関わったのか、べつの家も関わったのか。子細を宝は知らない。知らずとも、これがおぞましいことだとはわかる。

 宝は速水を見つめた。

 速水を通し、自分の祖母を見ていた。

「……急ぐか」

 速水の声と同時に、地面が――洞窟が大きく揺れた。

「地震!?」

「桜子の頭を動かしたからだ。邪気が雪崩てくるぞ」

 その通りだった。

 間近のコンクリートの壁が震動する。

 起こるはずのないことだ。

 だがそこで起きていた。

 コンクリートでできた壁が、向こうがわから叩かれている。まるでやわらかいものを叩くように、壁が揺れている。たわんでいる。

 じわり、と黒いものが、壁の中央部分に沁み出した。

 宝の鼻が独特の悪臭を鼻が嗅ぎ取る。

 重くどこか甘ったるい悪臭の正体を、頭のなかで探りそうになった。こたえに行き当たりそうになり、警鐘が鳴って考えるのをやめる。

「な……なんなの?」

「まじかよこれ!」

 コンクリートの壁に穴が空いたように見えた。じわりじわりと沁み出すそれは、壁を縦横無尽に這いまわっていた蔓と同質のものだった。

 ――同質であり、蔓の大元である。

「これは……」

 宝は背後を、速水を振り返った。

 少女の姿の総代は、楽しそうな表情を浮かべていた。

 速水のまわりを蔓が取り巻き、輪をせばめる。しかしすぐ速水に一掃される。

 祖母への憎しみが宝の胸に湧き起こっていた。

 宝は近江の家が嫌いだ。

 総代――祖母はその象徴だった。

 祖母は家族を愛していない。

 祖母が愛しているのは、強大な能力だけだ。

 宝のなかにある、封印せざるを得なかった能力。

 祖母は宝と向き合っても、宝を見ていなかった。宝の奥底にある能力にしか興味がなかったのだ。だからそれと出会うことのできる、封印の仕切り直しの儀式にはかならず顔をのぞかせた。そしてそれを使いこなせない宝を、祖母は憎み――憎しみを隠さなかった。

「……やだぁ」

 泣き声に、宝は我に返る。

 泣いていたのは、頭蓋骨を抱きしめた桜子だった。

「また死ぬの、やだ!」

 彼女の言葉に、宝は殴られたような衝撃を受けていた。


        ●


 壁をたわませ、洞窟を揺るがすほどになった震動は、さらに大きくなっていく。

 どうすれば止めることができるのか――おそらくそれは、総代しか知らない。

 宝は予測しかできなかった。

 桜子が受けた仕打ちのように、封印のための贄があれば事態は止まるのだろう。封印のための礎さえ整えば。

 それは大問題だ。

 必要であっても、用意できない。

 誰ひとりとして、そんな目に遭わせるつもりはなかったのだから。

「落ちついて、桜子さん」

 泣き続けるちいさな肩を、宝は抱きしめた。

 つくり出したのは自分だ。よみがえったものが、また死ぬと怯えている。

「ちゃんと帰ろう。まだうぐいす餅を食べてないでしょう」

「怖い、怖い怖い怖い!」

 悲痛な声に、抱きしめる手の力を強めた。

「帰って、うぐいす餅以外のお菓子も食べよう」

 抱いた肩を放すと、今度は灯の手がのびて桜子を抱きしめた。灯は宝を見据えてくる。白く血の気の引いた顔には、毅然としたものがあった。

「たかちゃん……私だって、死ぬのはごめんよ」

 すでにそこにあったコンクリートの壁は消えていた。

 黒いものに飲まれ、消えてしまっている――壁の向こうがわには空間があった。

 ずるずると巨大な蔓を幾重にもまとったものが、そこにはみっしりと詰まっていた。コンクリートの壁は、贄の礎を以て蓋の役割を果たしていたのだろう。

 それを閉じこめるために。

 ――鎮座したそれの本体は、どこだろうか。

 空間いっぱいの蔓は動き続けている。そのどれが本体なのか、それとも蔓の壁で隠された先にあるのか。

 ひどく禍々しい。

 闇のなかに沈み、しかしさらに黒く暗い。

「やだぁ……怖い、怖いよ……」

 桜子がくり返し続けている。

 彼女はあれを封印するために殺され、贄にされた。怖いのはあれのことなのか、死ぬことなのか。宝はそれを確かめたくなかった。

 この十年、彼女はこれと向き合ってきたのだ――強制的に。

 かたかたと灯がふるえていた。あざみもまた、ふるえをこらえるためかこぶしを強くにぎりしめている。

 宝はそれから目を背け、速水のほうを向いた。

「これが邪気?」

「そうだ。霊峰にはじかれたものが溜まり、成長したものだ」

「贄云々ではなく、これをどうにかするほうが、ずっと建設的だと思うのですが」

「できるものならそうしている」

 呆れたような響きを帯びたそしる声に、宝はあごをかいた。

「どんどん流れこむ邪気で、そいつは成長する一方だ。はやく封印せねばならん。目にすれば、いくらおまえたちでもわかるだろう?」

「閉じこめたところで、これは成長するのでは? 密室で成長すれば、そのうち破裂しそうですが」

「そのための贄だ。贄が邪気を呼ぶよう呪符を噛ませる。邪気を引き寄せ――ぶつけ、贄に昇華させるのだ」

「昇華させて……させ続けて、保たなくなったら次に交代ってことですか」

「そうだ。だが今回は三人だ。もう桜子では使いものにならないが、さすがに私の代でまた贄をあつらえる事態にはなるまい」

 宝たちの周辺、結界の弱い部分がほころびはじめている。そう長くは保たないだろう。

「ばーさん、近江の跡取り殺してどうするつもりだ? 親戚にでも継がせるつもりか?」

 あざみの声は時々上擦っていた。速水はけたたましく笑い出す。

「愚かもの、そんな真似を誰がするものか! 近江は絶えぬよ――贄は桂馬、倉部、歌門の三人だ」

「は?」

 疑問を声にしたのは宝ひとりだったが、気持ちはほかの面々もおなじだったようだ。速水を凝視し、硬直している。

「宝、もうおまえの父親たちに期待はせんよ。おまえは近江の役に立て。それだけの能力の泉でありながら、無為に過ごすなど言語道断だ。わしがおまえの力も、身体も役に立てる」

「ちょ……宝、おまえんとこのばーさん、なにいってんだよ!」

「知りたくないです」

 にわかに吐き気がしてくる。

 予測がついてしまった。

 霊力の強い女性たちを連れ、まぐわえと通告されたのは宝が十歳のころ――それが最初だ。見届けるから目の前でまぐわえ、と。

 意味はわかったが実行できず、宝は逃げ出していた。あんまりだ、と盾になってくれた当時の義母は父と離縁され、いまはべつのひとが義母になっている。

 宝が拒み続けるなか、祖母があきらめたと見えて安堵していたのだ。

 安堵するのははやかったのだろう。

「阿呆なこと抜かしている場合か! ありえんだろ!」

 一歩、速水が前に出る。

「わしがなにを得意とするか知っているか?」

 また一歩、結界から動けない宝たちに近づく。

「わしは――憑依が得意だ」

 結界まであと数歩の距離に速水はいる。

 宝たちは下がることもできない。

 結界の周囲には無数の黒い蔓が這いまわり、宝がつくり上げた結界を浸食していっている――宝たちには時間はほとんど残されていない。

「宝、これから先はわしがおまえとして生きていく。桂馬も倉部も、事後処理は任せておけ。おまえたちの親兄弟に不自由はさせん」

「ざけんな!」

「勝手なこといわないでよ!」

 逃げ場も術もなく、叫んだところで速水は楽しげに笑うだけだった。

 宝は両手で顔をこすった。猛烈にこする。

 突然取った行動に、あざみがそっと肩を叩いてきた。

「お、おい……宝?」

「馬鹿が」

「あ?」

「苛々する、クソババア」

 手を止め、宝はうめいた。

「宝、だいじょぶか?」

「馬鹿を相手にするのって、苛々する」

「いや、馬鹿って……おまえのばーさんだろ」

「身内が馬鹿って、しんどいですね」

「どうとでもいうがいい。桂馬たちも、もう逃げ場はない。おとなしく観念して贄となり――この地を守れ。ひいては国を守ることになるのだからな」

 頬に両手を当てたまま、宝は速水をにらんだ。速水はさらにもう一歩近づく。

「ババアが俺になる? 気持ち悪いことをいうのはよしてください」

 宝は息を大きく吸いこむ。

「建設的なことをなにもしないで、あれも殺すこれも殺す、ほんとうに頭が悪い!」

 一気に言葉を吐き出し――宝は身を躍らせた。

 誰も止めることができなかった。

 誰も想像もしていなかった。



 宝は結界を飛び出し、黒い蔓の海に身を投じていった。

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