第18話 たゆまぬ

 遊歩道を進み、亀裂に近寄るにつれて、黒い蔓はその数を増やしていった。

 おびただしい数で現れたそれは、木の裏、草の影、いたるところにある。

 一塊となって進む一行に襲いかかってこないのは、一重に桜子のおかげかもしれない。

「えげつな……ありえんわ」

 幾重にも重なった黒い蔓が、亀裂から這い出ている。

 亀裂に近づけば近づくほど、蔓の動く速度は増すばかりだった。

 あたりを埋め尽くす勢いで現れ、瞬く間に一行の周囲を取り囲もうとする。

 調査が入ったのは確かなようで、周辺に立ち入り禁止のロープなどが張り巡らされている。また、これ以上崩れないよう地面が補強されていた。

 そういったものも、すべて蔓にがんじがらめにされている。

 息を飲んだ速水たちの前、に桜子が進み出た。

「こら、あっちいけ!」

 しっし、と手で追い払うような仕草をすると、そちらにあった蔓が砕け散り散りになって消える。

 一掃されたと見て、それはまた新たに姿を現した。

 数度それをくり返したのち、桜子は両腕を振りまわした。

「しつこい!」

 一帯の蔓がざらり、と消えていくのは壮観だった――ただし、ぞろりとまた現れる。

「どんどん出てきてやがんな」

 あざみがため息を落としている。

「なあ――宝、さくちゃん、時間ってあんまないのか?」

 怪訝そうに、宝と桜子はあざみを見た。

「なんかやばそうだし、ともさんと速水ちゃんを避難させらんねーかな」

 亀裂に近づくと、桜子が手を払っても消えないでいたいくつかの蔓が確認できた。

 数本ていどだが、どれも頑丈そうだ。

 遠くまで這い出ているようで、そのひとつを桜子が数度踏む。簡単には崩れないが、徐々にそのかたちを失っていく――が、桜子が足を休めると蘇生していく。

「蔓をほっといて……ほっとき続けたら、全部こんなふうに育つのか?」

「そうかもしれません。逃げないで正解だったかもしれないですね、どれもこれも育たれたら、面倒そうだ」

「面倒どころじゃね――」

 そのときだった。

 おおおおおお、と太い声が聞こえた。

「……な、なに? この声……」

 あたりに轟くような男の声に、一行は首をめぐらせる。

「おおぉおおおおぉぉおお!」

 すさまじい勢いで亀裂に戻っていく蔓があった。太さのあるよく育った蔓だ――その穂先、声を上げる見知った男がいる。

「おっさん!?」

 それは病室で眠っているはずの、東風ヶ丘そのひとだった。

 肉体ではなく、東風ヶ丘の魂である。

 蔓にがんじがらめに絡め取られ、黒いかたまりに東風ヶ丘の首が生えている状態だった。

「おおぉああああああぁぁ!」

 東風ヶ丘は絶叫しながら亀裂に消えていった。

 ほかにも蔓が亀裂に戻っているが、東風ヶ丘のように自己主張をするような魂魄はなかった。

 東風ヶ丘の魂魄が連れ去られていた様子から、戻る蔓はなにかを捕らえて戻っているのかもしれない――そうならば東風ヶ丘ほどの強さがなく、戻る過程ですでに吸収されているのだろう。

 宝の頭に浮かんだ仮説だったが、吸収されるというものは恐ろしい考えだった。

 吸収すればするだけ、それは強固になっていくのではないか。

「……たかちゃん、いきましょうか」

「そうですね」

 亀裂に近づくと蔓は数を増やし、明らかに一行を狙う動きを見せた。桜子が頻繁に蔓を追い払う。

 払っても払っても、次から次に現れる。

 きりがなかった。

 桜子に疲労の色はないが、明らかに苛立っている。

「桜子さん、攻撃されたときだけでいいです。全部を相手にしてたら、疲れますよ」

「だって! むかつくんだもん!」

「さくちゃん、腹減るかもしれないだろ。ほどほどにしとこうぜ」

 桜子はふてくされてほおをふくらませていたが、あざみが荷物からクリームパンを取り出すと、一転して笑顔で受け取った。

 ロープを使って下に降りるつもりだったが、現地には大型のハシゴも設置されたままになっていた。

「使って平気か、これ」

「ありがたく使わせてもらいましょう。ロープは持っていって……もしハシゴが撤去されることになっても、また桜子さんに一働きしていただきます」

「人づかい荒いなぁ」

 頬をふくらませた桜子の頭をなで、あざみは笑う。

「さくちゃんにしかできんのだから、仕方ないだろ? 頼りにしてんぞ」

「んー、そーおー?」

 得意げな顔をして、桜子はクリームパンの包みをあざみに押しつけていた。

 足元が補強されているのをいいことに、一行は亀裂の下をのぞきこんでみた。

 亀裂の下は真っ暗だ。

 だがそこにあるのは、ただの暗闇ではなかった。

 用意してきていた懐中電灯の光を差し向けると、様々な太さの黒い蔓が、無数に蠢いているのがわかる。

「気持ち悪い……」

 灯のつぶやきに賛成だった。

 蔓の太さがある部分になると、時折人間の顔めいた陰影が浮かび上がっている。

 顔はにやりにやりと口角を上げていた。笑おうとしているが、うまく表情を扱えていない。ひとの顔のかたちを取っているそれは、ひどくおぞましい造形になっている。

 遠くから東風ヶ丘の声が聞こえていた。

 おおおおお、と遠退いていき、また近づき――なにやら東風ヶ丘は抵抗をこころみているのか。

 しかしさほど間を置かず、耳に届いていた東風ヶ丘の声は聞こえなくなった。

「じゃあ、下のやつ追い払っちゃうねー!」

 張り切って桜子が飛びこんでいく。

 重力を無視した動きだった。

 小柄な彼女の見た目からは、とうてい考えられないような速度で落ちていく。

 落下して消えたと思った瞬間には、人間の足が飛び上がれるはずのない高さまで飛び上がっている。見えないトランポリンにでも乗っているようで、愛くるしい見た目の少女が笑顔で常軌を逸した動きをくり返していた。

「ありえんな、あれ……敵じゃなくてよかった」

「まあ、蔓を追い払う本職みたいなものですしね」

 桜子が蔓を一掃すると、眼下の眺めは平常の薄暗い洞窟のものに変化していった。

「いいよー!」

 桜子の合図で、順番に亀裂のなかに降りていく。

 スカートをはいていた速水が一番に降り、灯が続く。

 いざ宝たちの番になったが、荷物を抱えて降りるのはなかなか困難そうだった。

「ロープかなにかで段ボールをくくって、先に下ろしますか」

「背中にくくりつけるとか、そんなんできねぇかな」

 男ふたりでまごついていると、焦れた桜子がやってきて荷物を奪った。

「もお、役立たずなんだからー」

 ほおをふくらませ、桜子は重い荷物を一手に抱え上げる。

「……弁解できないです」

「そのいい方ありえんわぁ、非力な上に俺ら傷つきやすいよ?」

 舞い戻った地下洞窟、今度も携帯電話はつながらなかった。アンテナは立っているが、使いものにならない。

 大事そうにあざみが新しいスマートフォンを撫でている。

「ぜってぇ壊さん」

 全員で光量の強い懐中電灯を持ち、無数の蔓が蠢くなか道を進んだ。

 深部の壁に着くまで時間がかかってしまった。

 蔓の数が増え、強固になり、桜子ひとりではなかなか殲滅できなくなっている。消しても消してもわ湧いて出るのだ。

「もー、宝くんもやってよ!」

 苛立って桜子が叫び、宝は渋々前に出ていく。

「俺? できるかな」

「やらなきゃわかんないでしょ!」

 確かに、と納得し、宝は持っていた荷物を足元に置いた。

 霊体と対峙するとき、ものをいうのは精神力だ。

 精神力を活かすためには、経験や作法が身についているほうがよい、と口が酸っぱくなっているだろう相手から、耳にたこができうんざりするくらい聞かされている。

 無能というポジションの宝でさえそうなのだから、ほかの面々はもっとひどいだろう。

 宝は手元で印を切る。

 体内でおびただしく流れる精神力――法力をうまく具現化させるため、書物で学んでいたものを脳内でたぐり寄せる。

 人差し指と中指を立て、剣に見立てた刀印でなぎ払うと蔓は両断されて消えた。いわば実践ははじめてで、できてみるとなんだか嬉しい。

 おお、と感心した声が上がった。あざみがうれしそうに笑って二度手を叩いた。

「やっるぅ」

「できるものですね」

「なんだ、宝はじめてなんか?」

「はい。ペーパードライバーみたいなものです」

「こんなんやっといて、ありえん。明日っから本職でやればいいんじゃねぇ?」

「……消えてくれてるからいいけど、ぞっとするわね」

 灯がつぶやいた。

「たかちゃんの能力はずっと封印されてたわけでしょ? こういうの見えてたわけじゃ……」

「ないです。封印を新しくするタイミングに、少しは見たりはしてましたけど」

「それじゃ、怖くないの? 私は怖いわ」

 先頭の桜子がゆっくり歩き出す――一行もまた、自然と桜子の後をついていく。

「俺は――怖く、ありません」

 ややあっての宝の返答は、平坦な声だった。

「……全部、嫌いですから」

「嫌いっておまえ、意味わからん」

 すかさず返したあざみに、宝は横顔で微笑む。

「嫌いだから、心置きなく叩き潰せます」

 刀印で蔓を切り裂いたとき、途方もない解放感を宝は感じていた。

 力を使い続けたら、どうなるのだろう――うっすらと、試してみるならいまだな、と宝は無数に蠢く蔓を前に、刀印を結び直していた。

「すぐそこ、壁だよ」

 桜子が指し示すあたりに、懐中電灯を一斉に向けた。

 今回はきちんと防寒具などを着こんだせいか、かえってシャツの下が汗ばんでいた。

 すぐに帰れるならいい、だがもしもそれがかなわなければ。

 防寒具と食糧、明かりはできる限り確保した。

 今回それでも致命傷となる要素は、亀裂のなかに宝たちが降りていったことを誰にも知らせていないことだ。

 壁では太さのある蔓が蠢いていた。ものによっては、宝やあざみの太腿ほども太さがある。蔓のひとつひとつが蠢き、ときには挑発するように壁を幾度も叩いている。

 桜子と宝が駆除を続け、やっと壁のコンクリート面がのぞくようになったころには、二時間ほどが経過していた。

 高揚と緊張がない交ぜになり、いま自分が疲れているのかどうなのか、その判断がつかない。後ろでじっと息を詰めるようにしている灯たちを思うと、はやくここを出たい、という気持ちが強くなっていった。

「このへん」

 桜子は壁のほぼ中央、以前宝たちが石で掘り返したあたりを指さす。

「ここのね、下のとこにあたしの頭、あるんだよ」

 言葉は禍々しいが、桜子の顔に浮かんでいるのは、旧友を前にしたかのようなやわらかい笑顔だった。

 そこにあるのは、彼女の大切な――自分の頭部なのだ。

 持参した荷物から塩と日本酒、縄を取り出す。買っておいたミルク味の飴の袋を、ついでに桜子に手渡した。

 首があると思われる一帯を中止に、昔読んだ書物の記憶を頼りに宝は結界を張る。

 一心不乱に飴を食べる桜子は、東風ヶ丘に憑依していたときとおなじ目をして宝の様子を見物していた。

「さーて、こっから力仕事だ」

 あざみが声を上げ、自分に活を入れるためか頬をぴしゃりと叩いた。

「やったるぜ!」

「なんだか様になってますね。桂馬くん、アルバイトってなにしてたんですか? 力仕事?」

「まさか! クラブの厨房入ってた」

 悪い顔をして、あざみは胸を張った。

「……高校生でもできるんですか?」

「歳ごまかしてるに決まってんだろ」

 宝がなるほど、とうなずくと、あざみは荷物からシャベルを取り出した。

「そんなの持ってたの――どうりで大荷物なはずだわ」

 速水が荷物をのぞきこむ。売店で売っていた水や菓子パン、あらかじめ用意しておいた軍手などが適当に詰めこんである。

「食べたいのあったら、食ってていいからな。……で、宝は? バイトしてたんだろ?」

 男ふたりでシャベルをにぎり、地面に目を向ける。

「引っ越し屋でアルバイトしていました」

「ダチに土日だけ引っ越し屋でやってるやついるけど、おまえもかぁ。それだと、できても週末だけだろ。もっと稼ぎたくね? 俺んとこくるなら、店長に声かけてやるよ」

 シャベルの先を地面に突き立てる。

 すっと気持ちよく切っ先が沈み、土を掘り出す。

「……夜の引っ越しでしたので、わりと忙しかったです。土日以外もあって」

 ざくりざくりと、会話の合間に土を掘り返す音が重なる。石で掘ったときと違い、掘り進めるはやさが段違いにはやい。

 飴を貪る桜子の目は、掘り返され湿ったにおいが漂い出る土に向けられていた。

「夜――って、なんだよそれ」

「夜逃げとか……事務所の移転とか」

「は?」

「うちに相談にいらした方に、紹介していただいたんです」

 あざみが片方の眉を上げた。

「……それ、なに屋さん?」

「数字のひとです」

「あーはいはい、なるほどね」

 げんなりした顔をして、あざみはひたいをぬぐう。宝も自分の生え際が汗で濡れていることに気がついた。腕がだるい。あとどのくらい掘ればいいのだろう。

「……けっこうお給料よかったですよ」

「数字と関わりたくねーよ」

「クラブはどうなんですか? イメージ先行でいくと、数字のひとが裏にいそうな気がしますが」

「俺のバイト先は、音楽オタクと料理オタクの夫婦がやってる健全なとこだよ。やばそうな風体のやつなんて、あんまりいねぇし――飯がまじうまいんだ。遊びこいよ」

「そうですね、ここを出られたら」

「だからたかちゃん、そういういい方しないでよ」

 ため息交じりの灯の声に、宝は笑みを浮かべていた。

 そこに桜子が手を突き出してくる。

「飴、もっと」

 彼女が片手に持っている袋は、どうやら空になっているらしい。ちいさな包みが足元に散乱している。

「……またあとで。帰れたらね」

 それからふたりは、黙々と手を動かした。

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