第17話 舞い戻る

「樹海ぃ? へんなことしにいくわけじゃないよねぇ?」

 タクシーの運転手は、いやな顔を隠しもしない。

 若者ばかり四人で樹海にいきたいというのだから、警戒をするのも致し方がないだろう。

「ガイドは? なかに入るなら、ガイドとか手配してるの?」

「へんなことなんてしませんよ」

 助手席にすわった宝がにっこり笑って応じても、運転手はタクシーの外から後部座席の三人をにらんでいた。

 乗車拒否もありそうな雰囲気だ。

 タクシーは出発もしていないどころか、運転手は車外に出てしまっている。

 沈黙が落ち、車内ラジオの音が空々しいけたたましさで響いた。ポケットから運転手は煙草を取り出し、一本くわえながらなにやら宙を見る――風向きを確認していたらしい。

 煙草に火を点けたあと、煙が車内に流れこまないよう立ち位置を変えた。そして運転手は咳払いをすると、ラジオを切り、声を低くし切り出した。

「……おじさんさ、このへんのもんでね。いたずら半分に入る子とかで参ったりしてんのよ」

 運転手は煙草を挟んだ指で、車の後方をしめした。

「大体お客さんたち荷物も多いじゃない? まさか練炭なんて持ちこんでないよねぇ?」

「まさかぁ」

「ありえんってぇ」

 宝たちは一様に笑い出していた。

 死ぬためどころか、平穏に生きていたいから準備を整え出ていくのだ。

「練炭使うと楽に自殺できる、なんて話出回ってるみたいだしねぇ。わざわざ樹海に入らなくても」

「僕たち親戚同士なんですよ。知り合いがここの病院に入院してて、親はともかく僕たちは暇で暇で……」

「樹海にいく装備じゃないよ、お客さんたちの格好」

「なかには入らないです」

 運転手は助手席の宝を横目でにらむ。

「ついこの間も崩落事故があってね。遊歩道から外れてった観光客だかなんだかが、巻きこまれたらしくて」

 はあーあ、と運転手はわざとらしいため息をつく。

 助手席の宝がちらりと見たミラーのなか、気まずいのか、ボストンバッグを抱えた速水はうつむいていた。速水の年齢では、おとなが強い言葉でなにかいってきたとき、しりごみしてしまうのは無理もない。

「昨日だったか一昨日だったか、なんとか建設っていうのが調査にきてたみたいだけど、ほんと危ないよ。遊歩道から外れちゃ駄目なんだから」

「それ、倉部建設」

 灯の声に、運転手は大きくうなずいた。

「あーそうそう。よく知ってるね」

「うちです」

「は?」

「私の実家です。届けものなんですよ、調査に使うものの」

「ああ、そうなの?」

 灯の言葉を聞いたとたんに、運転手の顔つきがひとなつっこいものになった。

「なぁんだ。それならそうと、はやくいってくださいよ」

 樹海を探索したり自殺に入ったりするものたちは、後を絶たない地元の問題だろう。彼の態度に、地元の人間がこうむる――目を背けられないものを垣間見た気がした。

「でもほら、地元さんを差し置いて重機入れちゃったもんだから、うちとしても肩身がせまくて。勝手した上に足りないものがあるとか、恥ずかしいんで内緒にしておいてくださいね」

 灯はすらすら返している。

「仕事なんだもん、色々あるよ」

「そういってもらえると助かります」

「わかいのに、家の手伝いなんてえらいねぇ」

「面倒なのことを押しつけられるから、うんざりですよ」

 ミラーをのぞく――眉の上がった灯の顔がそこにあった。適当なことをいっているときはこんな顔をするのだろう。

「ちょっと待ってね、煙草捨ててきたらすぐ出すから」

 開いた携帯用灰皿が満杯なのか、運転手は病院のほうに走っていく。入り口の横に喫煙室がつくられてあり、そこに捨てにいくのだろう。

「……なんとか、なりそうですね」

 ボストンバッグから目元を上げ、速水がつぶやいた。

「親切なひとでよかったわ」

 シートに背中を埋めるようにし、灯はため息をつく。

「あのひと、親切でしたか?」

 速水の問いに、灯は眼鏡を外して袖口でレンズを拭いた。

「全然嘘とかいいわけがないのよ。地元のこと心配してるし、私たちがもしかしたら変なことしようっていうんじゃないかって……ほんとに心配してくれてる」

「でも……」

 煮え切らない速水の声に、あざみが口を挟む。

「あのおっさん、ちょっと顔怖かったろ? イケメンで想像してみ、ほぐれるほぐれる」

「イケメン……」

「なんか好きな芸能人とかいねぇの? なんかイケメン」

「……あっちゃん、大雑把すぎる」

 運転手が駆けてきて、車内では一様に口をつぐんだ。

 出発するタクシーのなか、宝は病院を一瞥する。

 騒ぎが漏れ出てくる様子がない――あの白い魂は、守護の役目を無事完遂したのだろうか。

 それが一時的なのかどうなのか、無事に戻ってきたときにはもうわからない。宝たちが戻ったときには、すべて片づいていなければならないのだから。

「怖いイメージが定着しちゃったけど、樹海自体はほんとはいいところだ、って聞きますよね」

 灯が話を向けると、運転手は何度もうなずいた。

「そう、そうなの、きれいなところなんだよ。専門のガイドさんにお願いして、ツアーもやってるんだ。なかなか悪いイメージって消えてくれなくてねぇ……参っちゃうよ。でもよかったら、今度ツアーご利用くださいな」

 目的地に到着するまでの間、運転手の話相手はもっぱら灯がつとめた。

 駅近郊のおいしい飲食店、近くの農家で分けてもらう野菜がおいしいという話、運転手の名前を出せば、灯たちでも野菜を分けてもらえるだろう、という話。

「うまいこと観光地になったら、悪いイメージもなくなってくれるんだろうけど……マイナスの話ってさ、おもしろがって煽るひといるから」

 出回っている噂について考える。

 悪い、不吉な、暗い――死にまつわる噂だ。

 これを払拭するためには、どれだけの時間が必要なのか。

「お客さんたち、帰りどうすんの、足あるの?」

「たぶん大丈夫だと思います」

 目的地が見えてきたときには、運転手は最初のかたい調子ではなく、ひたすら気のよさそうな声で話していた。

「もし帰りの足がなかったら、電話して。おじさん以外にも、何人か事務所に詰めてるから。迷子になると大変だから、あんまりうろうろしちゃダメだよ」

 全員をタクシーから降ろすと、会社の名刺を残し、タクシーはかたむきはじめた陽の下去っていった。

「……帰りの足、か」

「たかちゃん、そういういい方やめてくれる? ちゃんと全員で帰りますからね」

 ボストンバッグを開けると、待ちかねたように桜子が飛び出してくる。地上に降り立つなり、きょろきょろとあたりを見回した。

「うちの会社のひと、うろついてるのかしら」

 灯がつぶやく。顔が割れている相手にはあまり会いたくない場所である。

「運ちゃんがいってたの、昨日かなんかの話っしょ?」

「黒いのだったら、あちこちいるよー。隠れてるつもりなのかなぁ」

 桜子は元気にいやなことをいう。

 目をやれば、じわりと空気ににじんだ軌跡を残して黒いものが消える。嘲るようにゆらゆらと立ちはだかるものもあった。

「……急いだほうがいいかしら」

「そうだねー」

 自分よりちいさい身体だからか、速水は桜子の手を取り顔をのぞきこんだ。

 場所が場所でなければ、微笑ましい光景だったかもしれない。

「解決しようね! 桜子さん、がんばろう!」

「そうだねー」

 間延びした声だったが、どことなくうれしそうに桜子はこたえていた。

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