第16話 愉快な眺め

 病院に到着し乗りこんだエレベーターで、あざみが地下へのボタンを押した。両手に段ボール箱を抱えているのに、器用に指をのばしている。

「あざみくん、いくのは二階ですよ」

「地下のほうの、二階にいこうぜ」

「なんでまた」

 宝の言葉が止まる。

 入院中に地下二階にいこう、とあざみに誘われたことがあったのを思い出したのだ。

「……霊安室ですか」

 あざみの返答の代わりに、チン、と軽やかな音がする。

 地下二階に到着したエレベーターから降りると、やけに静かな廊下に出た。

 ひとけがなく、低いモーター音のようなものが聞こえる。それも錯覚ではないかというレベルの音量だ。アザミは迷わず左に向かい、宝はそれについていく。

 おぞましいものはなにひとつなかった。

 もやのようなものが浮かんでは消え、ゆるやかに移動している。

 なにか目的あるようには見えず、通り越すときに宝たちに反応するが、それは道をゆずるようなものだった。

「ご年配の方ですね」

「ここに入院したときには、もういたんだよな」

「すぐここにきてたんですか」

「まあ、暇だったし」

 暇だからといって訪れる場所ではないだろう。宝は首を巡らせる。ひとの出入りもあるだろうが、死者の領域だった。

 院内で生命を終えた魂が、ゆらりゆらりと漂っている。

 人生が終わったことをゆっくり受け入れ、そのどれもがおぞましさと無縁だった。

「……あっち側の連中がいそうなところは、チェックすんだよ」

 霊安室、という表示のある扉へと、あざみの足はむかっている。

「やばいのがいたら、そんなとこでゆっくりしてらんねぇだろ」

「それで、すぐに確認を?」

「医者の先生が当たりなのかもな。ここにいる連中、全員おだやかなんだ」

 終末期医療――ターミナルケアとの表示を、一階受付のあたりで見た覚えがある。

 すべての魂がそこで終末に対して向き合ったわけではないだろうが、ゆらゆらと左右する魂たちはどれも静かなものだった。

 霊安室の扉を開くと、そこに遺体は安置されていなかった。

 だがその場に根づいてしまっている魂がいて、宝は足を止めた。

 もう性別も年齢も消えてしまっている魂だ。

 あざみに向かってそれは微笑み、宝には怪訝そうな意識を向けてくる。

 宝はていねいに頭を下げた。

 肩から下げているボストンバッグの腹を軽く叩くと、なかから桜子の声がする。

「こんにちはー!」

 魂が微笑んだような気配がある。

「いい霊、すごい貴重!」

 あざみがにやりと笑う。この地下二階のなか、一番邪悪さを感じる笑みだった。

「霊安室にくる霊のこと、守ってやってるみたいなんだ」

「守護霊というより、この一帯の守護神でしょうか」

「そうそう、だから挨拶」

 根づいた魂に、あざみが頭を下げた。

「……すみません、これからご迷惑をかけることになるかもしれません。どうかご容赦を」

 ならい、宝も頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 魂はゆらゆらと宝たちを見返すばかりだったが、ボストンバッグの隙間から桜子が上半身をぬるりと現すと、一瞬揺らぎを止めた。

 その一瞬にあったのは、老獪な目をした若い娘の姿だった。

 この土地に長く在るうちに、いくつかの魂が融合したらしい。桜子に厳しい目を向けすぐにまた揺らぎに戻る。

「……聞いていただけたのかな」

「じゃねぇか?」

 桜子がボストンバッグに戻るのを見届け、宝は周囲を――そこにいる魂たちを眺める。

 穏やかなものばかりが居並ぶ光景など、滅多にあるものではないだろう。

 それを目に焼きつけ、宝は霊安室を後にした。


        ●


 病室に顔を出してみると、速水は退院準備の真っ最中だった。

 灯がベッドの脇に腰かけている。

 新調したのかスペアを持っていたのか、彼女は以前のものとまったくおなじに見える銀縁の眼鏡をかけていた。

「どうしたの? たかちゃんもあっちゃんも、もう退院したんじゃないの?」

 そういう灯本人も、とうに退院しているはずだ。

「速水さん、お加減いかがですか」

「今日退院なんです。いま、お母さんがお会計にいってます」

 普段着になった速水の顔色はすこぶるいい。

「退院おめでとうございます」

「やったじゃん」

「……ふたりしてくるってことは、なにかあったの? まだ……こっちには、全然なにも動きがないんだけど」

 本家からの働きかけを警戒しているのだろう、灯は眉をくもらせている。

 嘘を見通す彼女がそういうのなら、倉部家自体になにも働きかけがないのだろう。

「はーちゃんの具合も心配だけど、なにか動きがあるのなら……一緒にいたほうがいいかなって」

「俺に連絡くれたらいいじゃないっすか。番号変わってないっすよ、スマホもう新しいし」

「あっちゃんの番号、登録してない」

「あー、うっかりすることありますよねぇ、もっかい教えますよ」

 ポケットからこれ見よがしに取り出した真新しいスマートフォンに、灯は興味がなさそうだった。

「いらない」

「ありえん……照れなくていいっすよ」

「うるさいなぁ。……本家とかが動いた感触はないし、たかちゃんからは連絡がなかったでしょ。でもこっちからたかちゃんに連絡するのも……どうかなって迷うじゃない」

「え、こいつの番号知ってるんすか」

「当たり前でしょう、連絡取ることあるかもしれないんだもの」

 当然のことを訊くな、とでもいいたげな灯の視線を真っ向から受け、あざみは神妙な様子でうなずいた。

「そっすよね、やっぱ俺の番号、ちゃんと教えときます」

「……で、たかちゃんに連絡したら、逆効果になりかねないかって心配だったから……居場所がわかってて、私がお邪魔しても平気なのって」

 灯は速水を指さした。

「確かに」

「はーちゃんと東風ヶ丘さんなら、入院中だから……お見舞いにきてもおかしくないでしょ? なにせ一緒に遭難した仲なんだし」

 そういって灯はこめかみを揉む。

「……なんだか、いやないい方ね。はーちゃんが入院してるの、利用してるみたいな……」

「そうですか? 速水さんのことを心配してたのは、ほんとうでしょう」

「そっすよ、考えすぎですよ。おっさんとは話ししたんですか?」

 返答を引き受けたのは、速水だった。

「さっき、ともちゃんと病室いったら、がーがーいびきかいて寝てました」

 速水はくすくす笑う。

「いつまであのひと、個室占領してるつもりなのかしら」

 地元に移ればいいものを、東風ヶ丘は樹海そばの病院で惰眠を楽しんでいる。

「ここくる前に寄ったけど、いびきかいてんの一緒か。宝、帰りがけに起こそうぜ」

「東風ヶ丘さんがなにか知っているとは思えないんですが。起こしたところで役に立ちませんよ」

「……うわぁ」

 上擦った速水の声に、宝たちはその目線の先に顔を向けた。

 窓がある。

 おなじ病院に入院していたから、全員が知っていた。

 病室の窓からは、近隣の町並みを望むことができる。

 人家の先には富士が静かなただずまいで鎮座する、そんな風景が広がる――はずだった。

 窓はいま、真っ黒に塗り潰されている。

 知っている黒さだった。

「や……やだ、なに……!?」

 怯えた速水を自分の背に隠し、灯は眼鏡に手を添える。

「私にもはっきり見えるってことは、けっこう強いものよね? どういうことかしら」

「宝、急ぐか」

「はい」

「たかちゃんたち、どういうことなの?」

 強張った表情の灯に、宝はやはり微笑む。

 無能とそしられながら微笑み、宝はずっと近江の家に守られてきた。

 力を封印してもらい、保護されてきた――宝はそう考えてきたが、それが正しいのかわからなくなっている。

 わざわざ桜子の屍が眠る場所まで誘導された理由を、宝は知りたかった。

「これから俺たちは、洞窟にいってきます」

「本気!?」

 灯が叫ぶ。

 そのとき窓枠にあったのだろうわずかな隙間から、黒いものがぬるりと室内に侵入してきた。

「きゃ……!」

「本気です。いく前に挨拶をしておこうと思って」

「挨拶だけ?」

「あ、一緒にきますか?」

「なにをしに……いくの?」

 病室の入り口にある封の開いた段ボール箱、そこに入っている荷物を、あざみは指さした。

「楽しい楽しい発掘調査」

「なにを……」

 窓から入った黒い粘液状のものは、ばたばたと床に垂れ、ベッドに飛び散り、灯のサンダル近くにまで落ちてきていた。

 消えず、みじみじとそこでのたうつ。

 黒い大量の蛆虫を連想させる動きだった。

「ちょ……なにが起きてるのよ!」

「とりあえず、俺たちは壁のところにいってみようと思ってます」

「だ、だからなんでよ!?」

「きゃああ」

 速水は灯の腕にしがみつく。

「ふたりとも、とにかく避難を――」

 黒いものがサンダルの爪先にへばりつき、足によじ登ろうとしても、灯はそこを動こうとしない。

「説明しなさい!」

 速水がそうするように、灯また宝の腕にしがみついた。宝が話すまで、状況がどうであれ灯はその手を放さないだろう。

「……桜子さんの頭を取り戻すんです。不完全な鵺じゃなく、完璧な鵺にする」

「するー!」

 ボストンバッグから聞こえた声に、速水は今度は灯の背中にしがみついた。

「え――なに……?」

「カバンのなかー!」

 きゃっきゃと桜子の笑う声に引き寄せられたか、黒い粘液が蠢く速度が上がった。

「桜子さんはたぶん、黒いものを留める防波堤でした」

「あたしはー、あれの見張りでー、贄でー、頭は壁の下ー」

「カバンのなかにいるの!?」

 亀裂から救助されてから、灯は桜子の姿を見ていないはずだ。救助を呼ぶことに成功してすぐ、桜子には身を隠してもらっていた。

「重さはないので、なかに入ってもらっています」

「あたしがー、いないからー、あれがー、どんどんー、出てくるのー」

 間延びした言葉で、桜子は恐ろしいことをいう。

 黒いものは蔓のように自分の穂先を使い、灯の近く、ベッドの足に巻きついた。ずるずるとベッドが引っ張られる――実体を持っている。

「こ、これって、どうなの、私とはーちゃんには無害なの!? なにもされない!?」

 灯は爪先を振り、へばりついた黒いものを落とす。

「わかりません。どうします? 避難するか、一緒にくるか」

「いくのといかないの、どっちが安全!?」

 さあ、と宝とあざみは首をひねった。

「たぶんねー、黒いやつにー、つかまるとねー、持ってかれてねー、バイバイだと思うよー」

「意味わかんない!」

「死ぬー」

 うっふっふっ、とボストンバッグの住人は笑う。

 あざみは段ボール箱を抱え上げた。

「おい宝、先におもて出て、タクシー捕まえとくわ」

「お願いします。すぐ追いかけます」

「わ……私たちは!?」

 駆けていくあざみに黒いものは追いすがらなかった。そこまでの速度は出ないようだ。

 窓際まで引っ張られたベッドが、ガシャンと大きな音を立てた。

 それでも引っ張る力は弱まらない。それなりの重量のあるベッドが、じりじりと釣り上げられていく。

「ついてくるのと残るの、どっちがいいか俺にもわかりません。そもそも逃げ出したところで、逃げ切れる保証もありませんし」

 安全とはなんだろうか。考えてしまいそうになったが、頭から意識して追い出す。

「なによそれ……」

 途方に暮れたように弱くつぶやく灯の手を、速水がにぎりしめた。

「い……いこう、ともちゃん」

「でも、危ないから――はーちゃんはおばさんたちと」

「桜子さんいってたじゃない、持ってかれるって。あそこにいた私たちだけで、かたまっていたほうがいいと思う。へんなことになったとき、誰かを巻きこみたくないです」

「はーちゃん」

 速水の手をにぎり返した灯に、宝は声をかける。

「それじゃ、ふたりとも急いでください。一階ナースセンター前の購買にいって、飲みものと食べものを調達していただきたいんです」

「長期戦のつもりなの!?」

「無駄になったら、それでいい。病院前のタクシー乗り場、わかりますよね? そこで落ち合いましょう。あざみくんが待ってるはずです」

 宝が病室のドアに手をかけたとき、釣り上げられていたベッドの重さに耐えられず、窓ガラスが割れた。ばしゃあん、と耳に痛い音が響く。

「なんだ!?」

「二階、窓割れてる!」

「あれベッドか!?」

 おもてから呼びかけ合うひとの声が聞こえてくる。

 目を向けたそこは窓枠が歪み、痛々しい眺めになっていた。

「――急いで!」

 そう叫ぶなり、宝も走った。

 病院関係者に捕まる前に、タクシー乗り場にたどり着かなければ。よけいな時間を使いたくなかった。

 目指すは東風ヶ丘の病室だ。

 熟睡していた東風ヶ丘の病室に、宝は荷物を置かせてもらっている。霊安室から速水の部屋に向かう前に、一度立ち寄っていたのだ。重量があるものなので、持ち運びを敬遠していたものだ。

 廊下を小走りにいくと、バタバタと激しい足音――複数の足音と悲鳴が聞こえてくる。

「なにこれ……!」

「やだ――ちょっと、うわぁ……っ!」

 廊下にずらりとならんだ病室のドアが開き、患者や看護師や見舞客たちが血相を変えて飛び出してくる。激しい悲鳴とものを倒す荒々しい音が重なり、怪我人が増えるのは確定の混乱が起こりつつあった。

「黒いのが……!」

「きゃあああっ」

 ベッドを動かすような質量を持ったのだ、あれが常人たちの目に映っても不思議ではない。

 どんどん成長していって――どんな化けものになるのか、少しだけ宝は興味が湧いていた。

 迷わず宝は走り、奥まった場所にある東風ヶ丘の病室に駆けこんだ。

 個室であり、東風ヶ丘はまだ眠っている。

「東風ヶ丘さん! 起きて!」

 ここまであの黒い蔓は到達するだろうか。大声で呼び揺すっても、東風ヶ丘は目を覚まさない。

 しかし起こしてどうなるか、動かせるとも思えず、宝は即席の結界をこころみた。

「どうか、うまく」

 鵺でさえつくり上げたのだ、結界も上出来と見えた。だが可視化した蔓だ、建物の破壊が起これば結界など役に立つかどうか。

 巻きこまれている以上、東風ヶ丘のことも守りたい――焦れたようになった宝の前に、白いもやが現れたのはそのときだ。

「……霊安室の」

 霊安室に根づいていると見えたそれは、病院そのものに根づいていたようだ。

 古いその魂がどこまで動けるものか、それを見守ることはできない。大樹が地面に無尽に根を張るように、それもまた病院に根を広げていた。

「守るつもりですか」

 口から出ていた声に、それは反応することはなかった。

 それの意識が向く先は、院内で好き勝手に動いてる黒いものたちだ。

「……よろしくお願いします!」

 それ以上の時間を、東風ヶ丘に向けることはできなかった。

 宝は荷物を回収し、一度魂に目を向け足を動かしはじめた。

 一路タクシー乗り場へと院内の廊下をひた走るなか、開いているドアから病室の内部をのぞいていく。

 どの病室内も惨憺たる状況だ。

 窓ガラスは残らず割れ、室内にあったものが乱暴にかき回されている。嵐が黒い蔓のかたちを取り、動きまわっているのだ。

 一瞥した宝の目前で、丸椅子が窓の外に消えていった。騒音はいたるところで起こり、どの顔も恐慌状態に陥っていた。

 のぞきこむどの病室でも、黒い蔓が床に壁に天井に貼りつき蠢いている。

 入院患者と見舞客、病院関係者がみなそれを指さし悲鳴を上げていた。

 ――宝は愉快な気分だった。

 見えれば、おまえは特殊だといわれてしまうものなのだ――あの黒いものは。

 それが誰の目にも見えているらしい上に、実害を及ぼしている。

 わけ隔てなく、怪異現象に巻きこまれている。

 愉快だと思うのは間違っているのかもしれなかった。

 だが自分たちだけ、限られたものだけが見ていたものが開示された状況は、宝にとってひどく楽しものだった。

 あの白い魂が防壁としてどこまで通用するのか。

 根を張ったそれがぞろぞろと動く感触がある。だがそれも建物を出ると消えた。

 病院がどうなっていくのか見届けたい気持ちがあったが、宝はタクシーから手を振るあざみに向け走っていった。

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