第10話 親も身分も選べない

 ――尋常ならざるものを扱う家に生まれ。

 ――尋常ならざるものを扱う能力を持ち。

 ――尋常ならざるものを相手取って生きる。

 そういった環境に生まれ育ったところで、誰もが彼もが適応できるわけではなかった。

 なかには正気を失ってしまうものもあり、またなかには出奔してしまうものもいる。

 近江桜子は後者であり、十年ほど前に行方をくらました女性だ。

 宝から見て、父方の叔母である。

 出奔すると、その人物はなかったものとして扱われる。

 桜子は霊体と会話ができるという人物だった。だがほかには能力的にこれといった強みがなかった彼女は、行方がわからなくなっても熱心な捜索の対象にならなかった。

 近江はもともと資産家であり、収入源も多く、また潤沢に金品が流れこむ家だ。能力としては目立ったもののない人物でも、逃走資金などの確保をしようと思えば可能である。

 桜子の失踪当時、本家は宝のお披露目以降あわただしい状態だった。

 無能力の嫡男が出てきて、周囲のものはほんとうに無能なのか確かめようとしていた。そしてそのあわただしさのなか桜子は姿を消していた。

 出奔するにはいいタイミングだっただろう。

 身辺整理もされており、意識して姿を消したことが容易に想像できる状態だったという。彼女の能力は、霊体と会話ができるというもの――姿を見ることはできず、声だけが不意打ちのように聞こえる、という状況だったといわれている。

 心身共に状況に屈したのだろう、というのが親族会議での見解だったとみんな知っている。

 出奔し、その生活に耐えられなければ、自分から戻るなりなんなりする。がむしゃらに行方を追ったのは、彼女の両親だけだった。

 桜子だけでなく、ここ十年でほかにも何名か行方をくらませたものはいるのだ。

「さ、さくら……こ」

 地下洞窟で聞かされるには、思いも寄らない名前だった。

 東風ヶ丘の身体に入ったまま、桜子は口を半開きにして宝を見ている。

「宝くん、桜子さんと面識は?」

「なにぶんちいさいころなので」

「でも桜子さんは、たかちゃんのことわかってるみたいよね」

 こそこそと会話し、東風ヶ丘を盗み見る。

「どうして……桜子さんがここにいるんだ?」

「どうしてでしょう。十年やそこらで、あんなきれいな白骨になるものなんですね」

「つく、れ」

 東風ヶ丘の――桜子の声が入りこむ。

「たから、つくれ、つくれ、かえる」

「桜子さん、俺は分家の桂馬のものです。どうしてここにいらっしゃるのか、教えていただけませんか?」

 東風ヶ丘の頭が九十度かたむいた。

「親族会のときに、一度遊んでもらったことがあります。覚えてますか? 縁側でクロールごっこして、一緒に地面に落っこちた」

「あざ、み」

 名を呼ばれ、あざみが息を飲む。

「……そうです。あざみです。覚えてくれてたんですね、ありがとうございます」

「たから、つくる……つく」

「なにをつくるんですか? 桜子さん、それがわからないと」

「か、ら……だ」

 桜子の声はたどたどしく、しかし次第に力がこもってくる。

「か……らだ、からだ、かえる……おーみ、からだでかえる……」

 ひざ立ちのあざみが、じわりと後方に身体をそよがせた。

 意思の疎通は難しく、桜子が何故ここにいるのかはわからない。

 だが彼女が身体を欲していて――帰ろうと訴えていることはわかった。

 全員が顔を見合わせた。

 救助を待てばいい。しかし東風ヶ丘の身体と、抜け出てしまった東風ヶ丘の魂をどうするか。経験不足の面々には知恵がない――そして、この様子。

「あ……朝」

 速水の声に、それぞれが上を見る。

 上空の亀裂、空が白みはじめていた。

 夏の朝ははやい。

 明るくなりかけた空にほっとした吐息がそれぞれのくちびるからこぼれ、その耳に桜子の言葉が届く。

 知りたくなかった、想像したくないことを想像させる言葉。

「かえる、かえ……もう、にえはいや……」

 ――にえはいや。

 ――贄は嫌。


        ●


 時間の流れは緩慢だった。



 桜子の宿った東風ヶ丘から距離を取る。

 体力が消耗しないように、全員腰を下ろすなり大の字になるなりして過ごした。

 依然黒い影たちは壁をつくり、東風ヶ丘の魂はそれをかわし、頭上の亀裂からはやはり影がのぞきこんでいる――あざみ談、である。

 各自まるでお守りのようにひとつずつ飴を残していた。誰も口にしない。空腹感より乾きのほうがつらい。

 洞窟の奥で水音を聞いていたので、宝が確かめに出たが、水源は見つからなかった。

 何度か速水が泣き出しそうになっている。

 灯が抱きしめてなだめ、そんなとき宝とあざみは身の置き場がなくなった。速水はごめんなさい、と冷静さを保てないことを謝り、身を縮める。

 誰も責めず、だがどうすれば慰められるかわからなかった。



 ひたすら外の物音に耳をそばだてた一同の視界、日がのぼり、そして暮れた。



 その日、救助はこなかった。

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