第9話 まずの挨拶

 飴だけでも食べられないか、と気を揉む女性陣の前、覚醒した東風ヶ丘は朦朧としていた。

「ふたりとも、ちょっとどいてもらっていいですか」

 割りこむ宝とあざみに、灯も速水も暗い目を向ける。

「さっき目を覚ましたんだけど……東風ヶ丘さん、返事してくれなくて」

「は、はやくお医者さんに連れていかないと……」

 半べそをかいている速水をいたわるように抱きしめ、灯は端正な顔を歪めた。彼女もまた、疲れている。

「……ともさんたち、ちょっと離れててくれる? まじ頼む、すぐ頼む」

 灯は怪訝そうにしたものの、あざみの言葉を聞き入れた。

 東風ヶ丘と距離を取りながら、あざみは先ほど宝にしたのとおなじ内容をくり返す。

 話すにつれ灯たちの目が見開かれ、あざみが指さす虚空を見つめる――あざみが示した方向に、東風ヶ丘の姿があるのだ。まだ彼の魂は身体の外にいる。

 宝たちの目では確認できないが、あざみはいままで見たことのない強張った顔をしていた。

「いま……東風ヶ丘さんのなかにいるのは、なんなの?」

「わからん。俺、なかに入ってる状態のと接触したことないんだわ」

 あざみは東風ヶ丘の前にひざをつき、手を振ったり叩いたりして刺激を与えている。だが東風ヶ丘は無反応で、首をかしげ朦朧とした状態から動こうとしない。

 その東風ヶ丘が反応を示したのは、あざみの背後に宝が立ったときだった。

 ゆっくりと緩慢な動きで頭を動かし、東風ヶ丘は宝のほうを見上げた。どんより濁った目がなにを内包しているかわからないが、宝を見ているのは確かだった。

「誰ですか?」

 あざみが問う。

 宝を見上げた東風ヶ丘の口元が、かすかにふるえた。

「あなたは、誰ですか?」

 ゴロゴロ、と東風ヶ丘ののどが鳴る。

 水分も、ほかの面々のように飴の補給もしていない東風ヶ丘ののどは不具合が発生しているのか、表情を一切動かさずに咳をした。長い長い咳だった。

 東風ヶ丘の咳がおさまってくると、あざみは再び質問をする。

「あなたは、誰ですか? わかりますか? こたえられますか?」

 がく、と東風ヶ丘の首がねじれた。

「おー、み」

 聞こえたのは東風ヶ丘の――中年男性のものではなかった。

 少女の声だった。

 声は続ける。

「ここ、いた」

 がくがくとかたい動きで、東風ヶ丘の腕が勢いよく上がった。腕にかかっていた土が四方に飛んだが、誰も避けようともしなかった。

「ここ、いる」

 東風ヶ丘の指が指したのは、目の前に突き立てられた骨だった。

「いる、いる、ずっと」

「この……骨が、あなたですか?」

「いる、おーみ、おーみ」

「あなたがこの骨だった方ですか?」

「あはは」

 口元だけを動かし、東風ヶ丘が笑う。そして乱暴な動きで頭が前後に激しく揺れた。首肯と取るか、あざみは戸惑っているようだった。

「質問は、桂馬くん以外がしても平気ですか?」

 宝がそういうと、東風ヶ丘の動きが止まった。

 あざみの肩に背後から手を置き、その姿勢から宝は東風ヶ丘の目をのぞきこむ。

 それを見返し、東風ヶ丘はまた口を開いた。

「おーみ」

「ねえ、近江って、いってるよね?」

 灯の言葉にあざみがあごを引く。

「おーみ」

「それって、たかちゃんの名字……?」

 東風ヶ丘の手が骨を取り、ぎこちない動きで宝の鼻先に突きつけられる。

「かえる」

 無骨な指と可憐な指が、さらに宝のほうへ骨を突き出してきた。

「かえろ」

 宝が差し出された骨を受け取ると、東風ヶ丘が顔を歪めた。

 笑顔だろうと思われたが、うつろな目差しのせいかいびつなものだった。

「おーみ、つくれ、つくれ、かえろ」

 あざみが背後の宝を振り返る。

 宝はあざみのとなりに腰を下ろした――そして東風ヶ丘と向かい合う。

「おっさん、腕組んでこっち見てやがる」

 明後日の方向をにらんで、あざみがため息まじりにいった。

「東風ヶ丘さんの魂と、話はできそうですか?」

「無理」

「ね、東風ヶ丘さん、無事そう?」

 あざみは眉間を乱暴にもみしだいた。

「黒いのがくると、とりあえずひょいひょいかわしてんなぁ。どういうことだ? 中身はおっさんじゃねぇ……昏倒させてても意味ないってことか? それともおっさんがこいつに身体貸してんのか?」

「なじ、む」

「はあ?」

 ぽつりと聞こえたそれの続きはなく、おーみ、と東風ヶ丘の身体に入ったものはくり返す。

「東風ヶ丘さんの中身、どうしてほしいのかしらね」

「あーもう、俺実務経験ないっちゅーのに……あなたは、ここで亡くなられた方ですか?」

「おーみ、おーみ、もうかえる」

「どこに帰るのですか?」

「おーみ、あかの、う、うぐいす」

「へ?」

「うぐいすもち」

 呼気も荒く押し出された言葉の後、その場にしばらく沈黙が垂れこめた。

 沈黙を破ったのは灯だ。

「やだ……鳥肌立っちゃった」

 そういって腕をさする。ミリタリー模様の袖がしゃかしゃかと音を立てた。

「あかののうぐいすって……あれですよね、たかちゃんちの……近所の」

 速水に向かって宝はうなずく。

「たぶん、赤野菓子店の……銘菓うぐいす餅だと」

「うぐいす!」

 東風ヶ丘が叫ぶ。

 ひ、と短く叫んだ速水だったが、ややあってパーカーのポケットにしまっていた飴を取り出した。

「飴……食べる?」

「あめ!」

 両手を突き出し、大きく口を開けた東風ヶ丘に怯えながらも、速水は飴をにぎらせた。

 ぎくしゃくとした動きをする東風ヶ丘では、飴のようなちいさなものの扱いは難しい。包装から出した飴はすぐに取り落とされてしまった。

「あめ! あめ!」

 土をかき、なんとか飴を拾い上げ、東風ヶ丘はそのまま口に放りこむ。目を閉じ、土まみれの飴をねぶる音がする。うつろな目が閉じられたからか、うれしそうな顔つきになった。

「うわ、おっさんげんなりしとる」

 虚空を向いたあざみの声は、ちょっと楽しそうだ。

「それはそれとして……どういうことだと思う?」

 あめ、とくり返しつぶやく東風ヶ丘から少し離れ、四人はひたいとひたいを突き合わせる。

「赤野のうぐいす餅ってことは、甘党でしょうか」

「飴もらって喜んでるしな。って違うだろ、阿呆。なんであの店の名前が出るんだよ」

「有名店みたいですし、いちおう」

「樹海の地下洞窟の幽霊にも評判です、ってか? ありえんわ」

 赤野とは宝の住む家の近所にある、和菓子店だ。有名店であり、何度もテレビや雑誌で紹介されている。うぐいす餅をはじめとする看板商品がいくつかあり、分家を訪問する際、手土産に選ぶことがあった。

「赤野って創業何年か、たかちゃんわかる?」

 宝はあごに指先でつかみ、考える――わからない。

「ものすごく古い、っていうことくらいしか……」

「もし創業五十年なら、あれはここ五十年以内に死んだ、ってことでしょう? 創業百年なら、百年以来」

「でもほかにも、うぐいす餅を売ってる赤野ってお店、あるかもしれない……」

「もうちょい、話しやすきゃいいんだけどなぁ」

 あざみは東風ヶ丘のほうを向く。

「赤野って、近江家の近所の赤野のことですか?」

「わ、がし」

「近江家のこと、ご存じなんですか?」

「おーみ、わた、わたしの、わたし、おーみ」

 声が性急さを帯びる。なにかを伝えるつもりでいるのだ。

「落ちついてください。あなたは近江家をご存じなんですか?」

「あっちゃん、そのひとの名前って訊ける?」

「あ、そっか。……あなたの名前を、まずお聞かせください」

「おーみ、お、おーみ」

 ぐぐ、と東風ヶ丘の首がかたむく。

「おーみ、さ、さくらこ」

 東風ヶ丘に集まっていた視線が、宝に移った。

「たかちゃん――桜子さんって」

 ――近江桜子。

「ええ……聞いたことがあると」

「阿呆! 親戚ちゃうんか! 俺でも知ってるわ!」

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