第4話 やってくる

「奥にいっても、携帯電話はつながりませんでした」

 報告にがっかりした息を落としたのは、速水だけだった。あざみも東風ヶ丘も期待していなかったのかもしれない。

「あと――なんの動物かわからないけど、骨があったわ」

「ほねぇ?」

 あざみはうろんそうな声でおうむ返しにする。

「そう。ちょっといって、あっちゃん見ておいてよ。なにか気持ちでも残ってるかもしれないし」

「そんなら、ともさん一緒にいこうよー」

 宝はあざみに懐中電灯を差し出した。

「まだここ、明かりなくてもなんとかなるから。使ってください」

「うえー。本家の命令っすかー。ありえんー」

 苦笑した宝からあざみは懐中電灯を受け取り、そのまま東風ヶ丘に顔を向けた。

「おっさん、痛いっすか?」

 東風ヶ丘はこたえず、横に立つあざみを見上げる。

 あざみといえば、もう東風ヶ丘を見ていない。上空をにらんでいた。

「さっき、宝くんに返事しなかったじゃないっすか。動けない?」

 え、と場の面々が東風ヶ丘に注目する。

「……念のため、だ」

「痛いんですか、東風ヶ丘さん」

「痛いな。痛いから、大丈夫だ」

 気遣わしげな様子で、速水は東風ヶ丘のかたわらでひざを折った。東風ヶ丘は穏やかな顔で彼女を見返す――かえってそれで、じつは彼が重傷を負っているのではないか、と宝の胸に懸念が広がった。

「気にするな。歌門よりは軽傷だ」

「私、ちょっとぶつけだだけです。そんな、動けないほど痛くないです」

 杖がないので心許なそうにするが、落下時に紛失したのだろう、どこかに土の山に紛れこんでいて見つからない。ないものは仕方がない。

「ちょっとごめんなさい」

 そう断って、速水はポケットから出したハンカチで、東風ヶ丘の顔についた土をはらった。

「大丈夫ってーなら、おっさん、動いてみ」

 あざみは懐中電灯の光をくるくるまわし、東風ヶ丘を挑発するな顔をした。

「目上の人間だぞ、もうちょっと大事にしてみろ」

「大事にしたくなる人間なら、したる。……本気で動けないなら、考えんとまずい」

 表情はそのまま、あざみの目は上空を見ている。

「まずいのか」

 全員があざみの目線の先をうかがう。

 頭上、切れ目の先にある空はまだ明るい。

 軽口に対し、あざみの目は真剣そのものだ。

 あざみ以外には見えていないものがある。

 のぞきこんでいる――笑った。

 あざみがいやそうにいった相手が、そこにいるのだ。

 視線を東風ヶ丘に戻し、宝は尋ねた。

「東風ヶ丘さん、どうして樹海に旅行することになったんですか?」

「俺は引率しろ、といわれてなぁ」

「ほかにも、旅行にいって楽しいところってあると思うんですが」

「だーよなぁ? わざわざ自殺の名所って、ありえんわ。修行目的かなんかか?」

 あざみが乗ってきた。

 バスのなかで目を覚ましていた短い時間、道を変えてべつのところにいこう、としきりに訴えていた――全員で口裏合わせりゃばれないって!

 そのときは誰もが聞き流していたが、万一あざみの言葉の通りにしていれば、崩落に巻きこまれなかった。後悔など役に立たないが、そう考えてしまう。

「樹海で修行なんて、なにするのよ。あっちゃん適当なこといわないで、ただでさえ軽薄なのに、よけい馬鹿っぽい」

 本家と分家、ともに特異な能力を使い、財を成している。需要はある上に、同業者は数少ない。顧客リストには財界政界の著名人がずらりと並んでいる――しかし、最近の若い層が家を継ぎたいか、というとそうでもなかった。公務員試験の勉強に精を出すものもいるし、友人と立ち上げたNPO団体で働くものもいる。

 今回の小旅行の顔は全員未就労者で、主要な各家から一名ずつ。

「強制的に、なんかやろうとしてねぇ? おっさん」

「そういう話は、聞いてないぞ」

「どんな話なら聞いてんの、おっさん」

 ちらり、と宝が横目で見た東風ヶ丘の顔は、真っ白く血の気がない。

「ここにくる途中に大きな地所があってな、それを買いつけるかどうか迷ってる、という話しか知らん。それも引率の話をした後の、世間話で出たていどだ。場所が場所だしな、おまえのいった、修行する場でも確保するのか、とは思ったな。実際なにをするつもりなのかは知らん」

「まじ?」

「まじ、だ。ショッピングモールだの住宅だのを建てたところで、このあたりで需要があるもんかなぁ」

 かたわらで黙っていた速水が手を動かし、東風ヶ丘の肩や服の土を払う。

「すまんな」

「じゃあ、俺も」

 あざみも参加し、東風ヶ丘の脇に手を入れて引っ張る素振りを見せたところ、東風ヶ丘が緊迫した声で静止する。

「いかん、動かすな」

 あまりに決然とした声で、かたわらで速水が驚いた顔をしていた。

「……やばそ?」

「やばそ、だ。念のためだが、動かんほうがよさそうだな」

「土って案外重いじゃん。重みかかってんのも、やばそな気がすんだけど」

「圧死する状態じゃなさそうだから、このままでいい」

「上のが動いたら、置いて逃げて平気っすか?」

「……降りてきそうか?」

 ほかの面々がとっさに上を見る。

 まだ、明るい。

「ざわざわしてる。速水ちゃんならおんぶしていけるけど、おっさんは無理だ。尊い犠牲になってくれ」

「そうか。そうなりそうだったら、殴って昏倒させていってくれ。できるだけ強く、だ。そのほうが、後々困らんかもしれん。入られると厄介だ」

 東風ヶ丘の声に悲壮感も危機感もない。

「誰かきた!」

 速水が腰を浮かし、上を見る。

 彼女が気がついたものに宝は気づけず、ならうように首を上に向けた。

「どうしたの? 救助?」

 灯の問う声は少し揺れている。動揺しているのだ――延々話し合いをしていても拉致などあかない。心待ちなのは救助なのだから。

「……あ、あれ……ひとの声みたいなのが……」

 ごめんなさい、と速水がうつむくと、さざ波のような失望が広がり――消えた。

「東風ヶ丘さん、ほかになにか役に立ちそうな荷物、持ってないんですか?」

 いいながら灯はさっとバックパックを開けた。タオルやティッシュなど、小物が突っこまれているだけだった。

「ない。散歩して、すぐバスに戻る予定だった。絆創膏も持ってない有様だ」

「ありえん、引率失格だそれ」

 自分の腕を抱きしめるようにして、速水が背中を丸めた。

 寒いのか痛いのか――宝が声をかけようとしたとき、彼女のちいさな顔が上を向いた。

 大きな目が虚空を凝視し、逸らされる。

 宝は口を閉ざした。そうする間にも、速水の瞳は今度はべつの方向を見つめはじめた。

 宝たちが偵察にいった奥のほう。

「なにか……いる……?」

 怯えた声に、あざみが鼻を鳴らした。

「見えるタイプだっけ?」

 どこかうれしそうなあざみに、速水は首を振った。

「み、見えないタイプです……でも、なんか……ひとがたくさんいるときみたいな、さわさわしてる感じが……」

 速水は奥を指さした。

「ひとが、歩いてるみたいな……ちいさな声で、ひそひそしてるみたいな」

 誰もいない。

 なのに速水は、なにかがいるようで、と怯えている。

「俺以外でもわかるって、うれしいちゃうれしいな」

 あざみは奥を指さし、ゆっくりと左右に揺らした。

「あのへんに、ぞろっといる」

 あざみ以外ではそこにいるものの姿を確認できず、速水が腕をさする。

 さすがに異様な状況だということを、全員が肌で感じている状況だった。

「け、桂馬くん……」

 速水が緊張した声であざみの目線をうかがう。あざみは彼女の肩を叩き、宝をにらむようにする。

「こんなかで、見えるのは俺だけだ。宝くん、悪いけど、主導権持たせてもらうかんな」

「仰せのままにしますよ」

「そのいい方、なんかむかつくなぁ。ありえん」

「あっちゃん、ふざけてないで――どうなの?」

 灯は上空を見、そばに立つあざみを見、また奥を見る。

「おっさん、昏倒させるのって、どんくらいで殴ればいいわけ? 頭でいいの?」

「近づいてきてるのか?」

 奥をのぞきこむ姿勢で、あざみが宝に向かって手振りで東風ヶ丘の後頭部を指し示す。宝はうなずいた。

「いや、奥からぞろぞろきてる。なんだこの数。ありえんありえん」

 宝はそっと音を立てないよう平たい石を拾い上げ、東風ヶ丘があざみのほうに意識をやった隙に――一撃を加えた。

「きゃああ!」

 速水が悲鳴を上げたが、ほかの面々は落ちついている。

 その場に石を落とす。

 これで頭を殴られたくないな、と思うような、重たい音がした。

「宝くん容赦ないなぁ」

 力の抜けた東風ヶ丘の身体をあざみが支える。つるつるの頭部、殴った箇所から出血していたが、宝は見なかったことにした。

「はーちゃん、びっくりさせてごめんね」

「いきなりごめんね。こればっかりは、やらないわけにいかないから」

 石を遠くに放り、宝は手首をぶらぶらと振る。

「東風ヶ丘さん、意識は?」

「ない。でもちゃんと息もしてるし、これで入られないん? 俺、依り代とかよくわからんのだけど」

 東風ヶ丘は魂を身体に降ろして意思の疎通をはかったり、第三者と会話をさせたりすることを得意としていた。

 この逃げられない状況で、おかしなものが――魂がいるというのなら、東風ヶ丘の身体に入りこまれかねない。意識がないほうが魂が入りやすいのではないか、と宝は思うが、当の東風ヶ丘の指示だ。したがうしかない。みずからの身体に重石のようになっている土をどかせなかったのも、なにか用心してのことかもしれない。

「前に、東風ヶ丘さんが許可しないと、霊は身体に入れないって聞いたこと……あります」

「意識なくて、平気なんかなぁ」

 あざみの口調は極めて軽いものの、視線は上空と奥とを交互に忙しなく往復している。軽薄が売りのあざみが不安げにそうしていると、一同は一瞬なにか合図があったかのように口をつぐんでしまった。

 ややあって声を発したのは、灯だった。

「……のぞいてるのと、奥からきてるのって、どんな感じなの?」

「なんか、似てる。黒くてなんとなく人間ぽくて、ざわざわした感じ」

「なにかいってる?」

「わからん。俺、そういうの聞こえんから」

 宝は速水の前で膝をついた。

「乗って。俺が背負うから」

 戸惑った様子を見せたが、速水はおずおずと宝の背中におぶさった。ちいさな声が耳元で聞こえ、なんだかくすぐったい。

「お、重くて……ごめんなさい」

「そんなことないよ。震動で痛んだりしたら、すぐいってね」

「はい」

 あざみが奥へと続く洞窟の、右側を指した。

「右の壁ギリんとこ、走って抜けられっか? そっちはすくない」

「すくないって、あっちゃん」

「えらい数なんだよ、まじありえん。なんでこんないるんだよ」

「走れば……平気?」

「知らん。でも気を確かに持って、取り憑かれんようにしてればいいんじゃん?」

「そのたくさんいるのって……悪いこと、しそうな感じなんですか?」

 速水の問いに、あざみは首をひねる。

「あからさまなチンピラがわんさか目の前にしたら、ああこんなのありえん、って思うだろ? そんな感じ」

 淡々と放していたあざみが、唐突に大声を上げた。

「――走れ!」

 反応が遅れたものはなかった。

 全員が一斉に走り出す。

 先頭をいく灯が持った懐中電灯、その明かりが上下に大きく揺れている。宝はそれを追うようにして足を動かした。震動で痛むのか、うめいた速水がパーカーの生地をつかんでくる。

 それに対して気遣いの言葉をかけられない。

 とにかくあざみがよしというまで、ひたすら走るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます