第3話 地面の下

 延々とどこまでも広がって感じられる空洞は、巨大な化けものの口を連想させた――連想はしたが、宝は怖いとは思わなかった。

 天井に懐中電灯の光を差し向けるも、これ以上崩落する気配は感じられない。むしろこれが崩れたのか、と意外に感じるほど、岩肌は強固な姿でそこに広がっている。

 ぴちょん、ぴちょん、とどこからか緩慢に落ちる水音がし、奥に進むにつれて格段に冷えてきた。

 袖のあるパーカーの宝はともかく、ノースリーブの灯は寒そうに腕をさすった。

「倉部さん、これ着ませんか」

 パーカーを脱ごうとする宝を、灯は一瞥する。

「いらないわ。いまのところは、気持ちだけで十分」

「あれ、眼鏡は」

 いつからなのか、銀縁眼鏡を灯はかけていない。

「落ちたとき、どこかいったみたい」

 かまうな、とでもいいたげに、彼女は手を振る。

「視力、そんなに悪くはないんですか?」

 眼鏡をかけている友人が、うっかり壊してしまったところに居合わせたことがある。不明瞭になった視界に苛立つのか、やけに眉間にしわを寄せていた。灯にはその様子がない。

「伊達だと思ってもらっていいわ。こうしてても、支障はないの」

 とくに眉間にしわを寄せたりしていないのに、眼鏡をかけていない彼女の眼光はやけにするどい。

「……見づらくするため、ですか?」

 目のあたりでくるくると指先を動かす。灯はふっと笑う。

「どうかしら、その説自体、私は懐疑的なの。眼鏡ひとつで、そんなに差が出るものかしら? そうなんだったら、本家分家関わらず、全員子供のときから眼鏡をつくっていそうなものじゃない?」

 眼鏡をかけると、霊的なものが見づらくなる、という説があるのだ。真偽は定かでない。

 弱いものなら見えなくなった、と主張するものと、灯のように懐疑的なものもいる――それでも彼女が伊達眼鏡をかけたのは、見なくてすむなら、と願掛けに似たものだろう。

「まあ、そうですね」

「気の持ちようよ」

 宝は本家の人間であり、ほかの面々は分家の人間だった。

 家がなにを守るのか、なにを持っているのか、というと、あまり他言できるようなものでない。

 常人には見えないものを見、聞こえないものを聞き、触れられないものに触れる能力を保持している一族だった。

 霊とでも精霊とでも神とでも、なんとでも呼びようがある。

 そういうものを相手取る家であり、そういったもので生計を立てる家である。

 伊達とはいえなじんでいるのだろう、灯は眼鏡のつるを上げるような仕草をしかけ、途中で気がついて息を吐いた。

「ねえ宝くん、あっちゃんにいわれっぱなしでいいの?」

「俺は、まあ……べつに、いいです」

 ありえん、と憎々しげに吐き捨てるあざみの顔がまぶたに浮かんだ。

「……嫌い? あっちゃんのこと」

 むしろそれは灯に尋ねたいことだった――その質問が彼女から出てくるなら、あざみを嫌ってはいないのか。

「あざみくんははっきりしているから、どちらかというと好きですよ。こそこそしてないほうが気が楽です」

 あざみは死者の姿が、その場に縫い止められた魂が見えるという。彼が口にしていた、のぞきこんでいたものというのは、そういう種類の存在だろう。

「なにも見えないくせに、って?」

 宝は声を上げて笑った。周囲に反響した声はうるさく、笑いを引っこめた。

「……案外本人の耳に入る、っていうのはほんとうですよ。無能とか、凡人とか。この間なんて、パンピーって小学生の子がいっててびっくりしました」

「小学生って、分家の敏のとこの?」

 敏は能力としてはさほど強くなく、親族のなかでも発言力の低い家だった。敏の家は現当主の商売がうまく、各家々の古老に取り入るのがうまい。先代までは呼ばれなかったような会合にも顔を見せるようになり、こまやかに本家への不満をばらまいていた。

「はい。いまでもパンピーって言葉、生きてるんですね」

 パンピーという言葉にも驚いたが、灯がくだんの小学生が誰か当てたことにも驚いた。ほかに何人も小学生はいるのに。

 宝の驚きを見透かしてか、

「敏のとこはね、宝くんが跡継ぎになるのに反対してるの。小学生にもなれば、親のそういう態度ってわかるし、同調するでしょ」

 不満をまいていたことは知っていたが、そこまではっきりした主張なのか。

「敏さん、実力主義ですからね」

 宝はひとり納得する。

「……いやじゃないの?」

「いやだっていっても、どうにもなりませんから」

「ぶん殴ってやれば? 本家の跡取りなんだもの、そのくらいしても問題にならないわよ」

 それは問題だろう。灯の声が静かなものだったから、やけにおもしろく感じられて宝は吹き出していた。

「本気なんだけど」

「自分の手が痛いのはいやです」

 ましてや、殴ってとめられるようなものではないだろう。

「経営のほうにまわるの? 進路としては」

 もう進路を決めていていい頃合いだが、宝のそれは曖昧なままだ。まだ安穏とかまえているが、そのうち焦りが芽生えるかもしれない。

「家を継ぐとしたら、そうするしかないですね。現場に出ても役に立ちませんし、ぼんやり立ってられても……現場がやりづらいでしょうから」

「大学、経済とか?」

「いっそ、全然関係ない仕事に就くのもいいかもしれません」

 興味が向いたのは農学部だ――かなり遠方の。そこの教授の書いた本を以前読んだことがあり、知識のない宝でもおもしろかったのだ。

 教師は宝の成績を根拠に、べつの進路を、と話していた。一冊読んだ本がおもしろかったという理由は、周囲に通すには弱いものだった。家に却下され、宝は引き下がっていた。

「家に大事にされてたでしょ、そんなことできる?」

 軽い口調だったが、宝は思わず笑っていた。大事にされているのは、宝も灯たちもみなおなじだろう。みんなはどうするのか。それを尋ねる言葉を宝は見つけられなかった。

「けっこう色々いわれてて、それは大変よね」

「本家の長男は隠されてるぞ、ほんとうに生まれてるのか――ですか」

 灯が低く笑った。

 宝は生まれてから五歳まで、親類縁者にお披露目されなかった。

 あれこれ理由をつけて隠され、しかも名前は宝。どれほどの子だ、と分家筋などから嫌味のこもった言葉の数々をぶつけられても、近江家当主――宝の父は息子を公式の場に出さなかった。五歳になってやっとお披露目をしたのも、小学校入学を目前に控え、人目から隠すことが難しくなるからだ、との判断だと聞いている。

 親類縁者の前に引き出された本家の長男は、ふつうの子供だった。

 そりゃあ隠すよね、ってみんなで話してたんだよ――中学生のころ、宝は正月に顔を合わせた酔漢にそういわれた。がんばって当主の座を守らないと、狙ってるやつたくさんいるよ、とも。

 それは宝を当主として認める気がないから出た言葉だろう。

 当時はともかく、いまはそれが理解できていた。

 理解できたが、これといって悔しくもない。

 近江家が統治しているものをどうにかできるなら、べつに分家がしゃしゃり出てくればいいのだ。

「ね、迷わない範囲でこのあたり調べてみない?」

 周囲を指さし、灯は眼鏡を上げる仕草をした。空をかいた指に、ちょっとばつの悪そうな顔をする。

 ふたりで歩きはじめたそこは、一本道といってよかった。

 足元がわずかに傾斜し、下っていく感覚がある。徐々に天井も高くなっていた。

 どこかに向かう道のようにも感じるが、出口に向かっている様子がないため、ふたりの足取りは次第に重くなっていった。

「戻りますか? かれこれ二十分くらい歩いてますし」

 横から灯のため息が聞こえた。

「そうね、戻るときはのぼりになるだろうし……戻りましょうか」

 疲れた声を交わしたそこは、ひときわ大きな洞窟だった。

 じっとりした空気をかき分けるように、宝は懐中電灯の光を動かす。無意識のうちに、天井に亀裂がないか探していた。

「いきましょ」

 きびすを返そうとする灯の足元も、懐中電灯で照らさなければならない。宝もきびすを返しかけた。そのとき視界に気にかかるものがあった。

「……倉部さん、あれ」

「どうかした?」

 ずっと天井付近ばかりを照らしていた光が、きびすを返そうとしたとき地面を明るくする。

 そこで見えたものを確認したかった。

 宝は懐中電灯でその一角を照らした。

 土に半ば埋もれ、岩の影になった場所、白く細長いものが散見している。

「あれ、骨じゃないですか」

 思いついたものを、素直に口に出していた。

「え!?」

「見てきます」

 まさか、とも思う。だが一度骨かと疑ってしまった宝の目に、それはもう骨にしか映らない――そして駆け寄って検分しようとした目にも、やはりなにかの骨に映った。

「なにか……動物の骨かしら」

 ついてきていた灯が、かがみこんだ宝の頭上でぽつりとつぶやく。

「どうでしょう。なにか見えますか?」

 しばし灯が黙った。

 彼女はあざみ同様に、視力に特異なものを持っていると聞いている。

「私だと、力になれないみたい」

 そういいながら、彼女は近くにあった石を手にした。骨の周辺を軽く掘る。さほど硬度はなく土はかんたんに掘ることができた。

 骨の輪郭に沿って掘っていく。

 小動物のものと思いたい。

 しかし大きい。

 肩を並べ身をかがめていた灯は、石を放り出して立ち上がった。

「宝くん、どう思う?」

「一介の高校生としていわせてもらうなら、なんか人間っぽいなー、とは思います」

「もうタメ口にしてくれない? 敬語とかうっとうしい」

「倉部さん、年上じゃないですか」

「三十以下は全部ガキ、よ」

 静かな声は耳にこびりつくようだった。

「なんですか、それ」

「私の持論。私も宝くんも、あっちゃんもはーちゃんも、みんなガキ」

「そしたら、宝くんっていうのやめてください。俺も直すように、努力してみますから」

「じゃあ、たかちゃん」

 灯が放り出した石を拾い、宝が作業を引き継いだ。浮き彫りにしていた輪郭に沿って、さらに掘る。

 なにかのあばら骨――のように見えた。

 なかなか大きかった。下方に骨盤らしき大型の骨が現れはじめて、宝もまた石を放り出した。

「一回いやなものを考えると、頭から離れませんね」

「人間だと思う?」

 はっきり灯が口にした。

 宝は苦笑いを浮かべる。

「まあ……自殺の名所、ってくらいですから」

 どの生きものでも、背骨も骨盤もある。めずらしくない。だがどうしても人間を連想して、頭から離れなかった。

「人間だったとしたら、どこからか入ってきたのよね」

 地盤が崩れたことで訪れたこの空間、もしかしたらどこかに出入り口があるかもしれない。

「もっと先に進んだら、地上につながってるかもしれないですね」

 その場でふたりして、携帯電話がつながるか試してみた。

 しかし無情にもつながらず、ひとまず戻ることにしたのだった。

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