第2話 砂粒の雨の下

 パーカーは万能だ。

 宝はフードを被りうつぶせになり、袖で口元を覆った姿勢でうずくまっていた。

 パーカーを着ていてよかった。

 ほかの面々にパーカーを着ていたものはいない。

 ノースリーブのタートルネックとチノパンだった灯、Tシャツと短パンだったあざみ、ブラウスとGパンだった速水に至っては、小旅行の前から足に怪我をしている。三人の安否が気がかりだった――全身ミリタリーウェアだった東風ヶ丘ヶ岡に対しては、宝は心配する気持ちがわかないでいる。彼ならなにがあっても大丈夫だろう、と無責任な確信があった。

 ざばざばと豪雨のような音が、あたりを取り巻いている。

 その音の合間、咳きこむあざみの声がした。宝は少しほっとする。だが顔は上げなかった――まだ上げられない。目を開けるのも遠慮したいほどの土埃だった。

「ありえぇぇん!」

 叫び、あざみは盛大に咳きこみはじめた。

 ありえん、とあざみが吠える気持ちは宝にもわかる。

 ――足場が突然崩落したのだ。

 樹海を散策する最中、足場がもろくも崩れた。

 地下に空洞があったのだ、一行は地底に向かって轟音とともにまっさかさま――それまで立っていた、崩れた場所と落下した先がやわらかい土でよかった。もしもそこが岩場だったら、いまごろ宝はパーカーの万能性を称えるどころではなかっただろう。

 それを斟酌してみても、打ちどころが悪ければ生命を落とす状況である。

 フードの隙間から、用心深く周囲を確認する。

 薄明かりのなか、もうもうと土煙が上がっていた。すぐ目に砂が入ってくる。

 轟音はおさまりつつあった。時折どさりばさりと、それなりの重量のあるものが落ちる音がしていた。

「て……点呼を、取りませんか!」

 宝はパーカーのフードで頭をカバーしたまま、大声を張り上げる。

 すぐに舌に砂粒の感触がし、顔をしかめてしまう。

「桂馬くん、いますね!?」

「ありえん! まだ監視体制変わらんし!」

 あざみの絶叫、そして咳。

 なにが、と問うのは後回しにし、宝は点呼を続ける。

「倉田さん、大丈夫ですか!」

「なんとか……無事!」

 くぐもっているが、灯とわかる声が応じた。

「歌門さんは……怪我は!」

 彼女がもともと負傷していたことを思い出し、背中に冷たいものが走る。

「は……はぁい……へいき……」

 かすれた返事のあと、速水は咳きこんだ。

「土煙がひどいから、いまは動かないほうがいいと思うけど……動けない状態のひと、いますか?」

 銘々から怪我はない、と返事があった。

 ただひとり、東風ヶ丘の声は聞こえない。

「東風ヶ丘さん? いませんか?」

 全員が口をつぐんでいた。東風ヶ丘の声は聞こえなかった。無事ですか、と続けそうになった問いかけを、宝はとっさに飲みこんでしまう。いやな不安感が胸に広がっていた。

 土や砂の落ちてくる、ぱらぱらという音は断続的に聞こえていた。降る量は減っているらしく、徐々に弱くなっていた。

 示し合わせたように、宝たちはじっと時間が経つのを待った。

 その間も東風ヶ丘の声はない。砂煙がおさまると、自分たちが事故に巻きこまれたのだ、と遅まきながらに実感した。

 見上げると天井部分に大きな亀裂があり、そこから光が差しこんでいる。

 そこはついさっきまで、宝たちが歩いていた地上だ。

 地下に空洞があったのだ。深さは三メートルていどか、だが内側、深部に向かって大きく弧を描いて広がっている。壁面を装備もない素人の一行が、登れるとはとうてい思えない。

 砂埃がおさまったその場の空気は、なんだかじっとりしている。

「歌門さん、怪我は? 痛みは……」

 フードを取りながら、宝はすみでうずくまっている速水に声をかけた。

「なんとか……」

 落下しながらも、とっさに彼女は負傷している足をかばっていたようだ。

「足をかばったら、かわりに左側の肩……ぶつけたのかな、ちょっと……痛いです」

 薄い明かりのなか、苦痛に顔を歪めているのがわかる。素人判断だったが、落下した場所が湿った土だったおかげか、骨に異常はなさそうである。

 誰も深刻な怪我を負ったものはおらず、

「東風ヶ丘さぁん」

 灯が声を上げる。あざみも彼女にならい、東風ヶ丘を呼びはじめる。

「おっさん、どこっすかぁ。東風ヶ丘のおっさーん」

 空洞にあざみの声が奇妙な尾を引いて反響した。

 頭でも打って気を失っているのだろうか。怖いことを考えそうになって、それを打ち消そうとする――そもそも東風ヶ丘は落下していないのかもしれない。依然返事はないままだ。

「返事を聞き漏らしたら大変だから、ちょっと静かにしてみる?」

 灯の提案で、宝たちは沈黙した。

 ぱらぱらという音さえほとんど聞こえなくなったころ、低くうめく声を耳が拾った。

「東風ヶ丘さん?」

 はっと速水が声を上げ、すぐ口を覆った。声の出所を探さなければならない。

 地盤が崩落した現場、平地などない。またうめく声は聞こえたが、どこからなのか方向もなかなかつかめなかった。

 あちらこちらに、大きな土のかたまりが鎮座している。

 光源もわずかだ。全員が一斉に動くのは危険なため、まず声の聞こえてくる方向を見定めよう、と一様に緊張する。

「う……」

 今度聞こえたのは、わりとはっきりした声だった。

「うう……ぐ」

 宝の背後から聞こえた。

「東風ヶ丘さん……?」

 爪先で足元をつつきながら、また崩れてしまわないか慎重に確認して進む。

 全員がそれに続こうとするので、宝は手でそれを制した――またどこかが崩れたら大変だ。そうなったとき、全員が巻きこまれることは避けたほうがいい。

 大きな土の塊がいくつがあり、そのひとつの影に土まみれになった東風ヶ丘がいた。

 土塊に半ば身体を埋もれさせ、彼は背中を預けている。まるで土塊に溶けこむように潜んでいて、十分な明かりのないここでは、声が聞こえなかったら見つけるのに時間がかかったかもしれない。

 もう一度宝が声をかけようとしたら、東風ヶ丘は目をかっと見開いた。

「大丈夫ですか、急に動かないで」

 聞いているのかいないのか、東風ヶ丘は眼球だけをぎょろぎょろと動かしてあたりを見た。

 背後に向かって宝は合図する。薄暗いものの、三人がほっとした顔をする。

「……なんだ、ここは」

「おそらく地面が崩れたんだと思います」

 まばたきをするたびに、東風ヶ丘の意識が明瞭になっていく印象があった。

「地下か? 怪我人は?」

「歌門さんが肩をぶつけましたが、足のほうはたぶん悪化していないかと」

「誰か携帯は持っているか?」

 東風ヶ丘の声ははっきりしている。

「あ、あります」

 灯がポケットからスマートフォンを取り出した。

 操作をはじめると、彼女の顔がディスプレイの明かりに照らし出された。彼女の顔は土で汚れていたが、もとが整っているためか凄みが追加されている。

 どこかに電話をかけはじめ、スマートフォンを耳に当てた灯の横、自分のスマートフォンを取り出したあざみが口を開けた。

「あああああ、ありえん! 割れとる!」

 画面が割れたらしく、両手で掲げるように持ったあざみのスマートフォンは、まったく点灯していない。

「壊れた! ありえん!」

「うるさい、あっちゃん黙って」

 スマートフォンの画面に照らされた灯の表情は緊張している。耳元から離し、何度も振り、画面を確認したりと忙しい。

「どうかしましたか?」

 尋ねながら、宝もウエストポーチから二つ折りの携帯電話を取り出した。

「アンテナ表示されてるんだけど、電話かからないの。ネットも無理」

 当惑した灯の言葉通り、宝の携帯電話も通話できなかった。

 なんだろう、と電源を切り、また入れ直す宝の視界で、すわりこんだ速水が所在なげにしている。

 速水の横に宝は腰を下ろし、彼女にも携帯電話の画面が見えるようにかたむける。

「俺の携帯も、つながらなかったんだけど……電波障害かな。歌門さん、携帯は?」

 速水は首を振った。大きな目に涙が浮いている。

「これ、この壊れ方は保険適用範囲かな!? 信じられん……壊れるとかありえんって!」

「やかましい! あっちゃんどっか消えててよ、うっとうしい!」

「ともさぁん、はよ助け呼んでください! すぐ携帯ショップいけば、まだなんとかなるかも!」

 あざみが上空に目を向ける。

 薄く入りこむ光の斜線のなか、あざみの顔もまた土で汚れてしまっていた。険しい眉間の下、彼のするどい瞳が忙しなく動いている。

 宝の携帯電話が再起動をはじめ、画面を速水のほうにかたむけて見せた。

「古い携帯だから、ちょっと時間かかるんだ」

「つながるといいですね」

 ほんとうにそうだった。

 期待しながら操作した携帯電話は、画面上部にアンテナが二本表示されている。電波がきているのだ。電波が遮断されていると噂される樹海とはいえ、さほど奥に入ったわけではない。

 崩落当時ひどい音がしたが、近隣住民や通行人の耳に入らなかっただろうか――ここまでの道のり、誰ともいき合わなかったことを思い出し、胃のあたりできゅう、っといやな感覚がした。

「倉部さん、つながりますか?」

「……駄目みたい、宝くんは?」

「俺も駄目です」

「アンテナが点いてるのに電波きてないことって……あるのかしらね」

 宝と灯は同時にため息をつき、それより大きなうめき声を東風ヶ丘が上げた。ひやりとしたものが背中を駆ける。

「東風ヶ丘さん、どこか痛みますか?」

 最初に確認するべきだった。

 近づくと、東風ヶ丘は腹から下が土に埋もれていた。宝が手で土をかこうとすると、東風ヶ丘はそれを留めた。

「身体は動かさないようにしてくれ、俺のバックパックは開けられるか?」

 東風ヶ丘が背負っているバックパックには、土塊のなかに埋もれていた。そっと掘り出し、積もった土を払う。手伝おうとする手は断った。できるだけ東風ヶ丘に震動がいかないよう気をつけ、宝はバックパックのファスナーを開けた。

「なかに懐中電灯が入ってるはずだ。取れるか?」

 手元が暗い――宝の背後から光が差しこんで、驚いて振り向いた。

 灯たちがやってきていた。彼女の手元に光がある。

「スマフォのアプリよ。懐中電灯なみにライトを強くできるの。電池持ち悪くなるから、あんまり長く使いたくないのよね」

 うなずき、バックパックに目を移しながら宝は気を引き締めた。灯の言葉は、なかなか救助がこないことを想定しているように聞こえたのだ。

 照らしてもらうと、懐中電灯を見つけるのは簡単だった。バックパックのなか、ほかには軍手や贈答品さながらに包まれた箱入り饅頭があった。

 すべて東風ヶ丘の前に並べた。バックパックの大きさの割りに、荷物は少ない。しかし軽装なのは全員おなじだ。崩落事故に巻きこまれるなど、考えもしなかったのだから。

「携帯が頼りにならないなら、救助を待つしかないな。落ちたが全員無事なんだ、そう悲観的にならんでもいいだろう。旅行も一泊ていどだ、このあたりの人間が気がつかなくても、家のものが気がつく」

「下手したら、ここに二泊三泊する感じですかね。ありえんけど、まだ陽が入ってるうちに便所の場所とか決めましょうか」

 東風ヶ丘が持参していた懐中電灯の光は強力だった。

 光源をのぞき手慰みに点けたあざみは、あわてて顔から懐中電灯を離す。その動きに合わせて、宝は心のなかでありえん、とつぶやいてみた。やはりあざみがありえん、と小声ながら口に出したので、こんな状況ながら笑いそうになった。

 あざみの持つ懐中電灯から、光の道がまっすぐ奥に続いている。

 そちらに宝は目を凝らした。

「あれ――もしかして、奥……ある?」

 光は岩肌にさえぎられず、いつまでも奥に向かって線を描いていた。

 灯は手にしたスマートフォンで奥を照らそうとした。スマートフォンの光源では無理がある。

「奥に続いてるみたいね」

「そうみたいっすねぇ。けっこう、ここ広いのかも」

 地下の空間が広いなら、地盤がもろく崩れたこともうなずけるかもしれない。

 灯とあざみはそちらに何歩か足を進めた。

 宝も気になり、そちらに首をのばしかける。と、パーカーの裾が引かれた。

「出口、あるかも……?」

 速水が不安そうに表情をくもらせていた。

「どうだろう。確認するだけでも、しておいたほうがいいかもしれないね」

「あっちゃん、その懐中電灯、宝くんに渡して。ちょっと見てくる」

「えーっ、俺とともさんでいけばいいじゃないですか。分家偵察隊結成ですよ。ここで宝くん使うとか、ありえんって」

「あっちゃんはここにいたほうがいい」

 有無をいわさぬ声だった。

「さっきから上のほう気にして、なにが見えるの?」

 あざみは懐中電灯でまっすぐ上を照らす。

 そこにあるのは亀裂だ。

 亀裂の先には、樹冠と青空。

 地上に比べて、ここは肌寒い。

「監視されてる」

 あざみがぽつりとこぼすと、どこかからぱらぱらとなにかが散らばる音がした。

「さっきロープんとこに並んでたやつらじゃないかなぁ。ああもう、ありえん。のぞきこんでやがる」

 全員があざみ同様、空を見上げていた。

「あっちゃん、ロープのところにいたなら教えてくれたらいいのに」

「そんなむかつくもんのこと、いちいち教えないっすよ」

 あざみは忌々しげに息を吐く。

「地面が割れたの、関係……あるのかな」

 不安そうな速水の言葉に、あざみは笑った。

「そんな無茶、できるやつらじゃなさそうだけどな。あ――笑っとんのかな、口のあたりが裂けた」

 灯のローキックがあざみの膝裏に入って、長身がその場にへたりこんだ。

「あっぶな! あっぶな!」

「力そんなに入れてないわよ。あっちゃんはここで、のぞいてるやつが入ってこないか見張ってて」

 懐中電灯を取り上げ、灯はそれを宝に差し出した。

「いやな感じがする。明るいうちに、動けるだけ動きましょ」

 宝はうなずいて懐中電灯を受け取った。

「ありえんって」

 背中に声を投げかけてくるあざみを無視し、宝は歩きはじめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます