第二十四話 立ち合い
ホレスにて傭兵として参戦しようとした征四郎一行だったが、ロズワグンやグラルグスの存在がホレスの疑いを招く。
ホレスの王子の一人マイワスは、各員を聴収し裏が無いかを慎重に探っていたが、ロズワグンに好意を抱くホレスの王子ハーナンの横やりが入り、一行を解放した。
征四郎等を用いようと決めたマイワスだったが、ハーナンは征四郎の存在を疎ましく思っていた。
そこで、ハーナンに征四郎の力を見極めさせるために、マイワスは自身の従者であるバルトロメとの立ち合いを、征四郎に求め……。
会議の席は、一転して立ち合いの場所へと変貌を遂げた。
その場にいる者達は、僅かな例外を除き自分が良く知る者が勝利する事を疑いなく見ていた。
つまり、ホレスの人間はバルトロメが、征四郎と旅をしてきた物は征四郎が勝と。
だが、寸鉄帯びぬ征四郎とバルトロメとでは、意味合いが違う事に直ぐに気付かされた。
老いた
それが僅かな所作でも確認できれば、エルドレッドやグラルグスは驚きに目を瞠った。
早い。
拳を握り顎の辺りまで持ち上げ、腰を少し落として何時でも打ちかかれる様に構えるバルトロメは、二、三度軽く拳を突き出す。
それが早いのだ。
目にも留まらぬ、そう言っても過言では無かった。
その様子を見たハーナンは、口元に笑みを浮かべた。
「バルトロメは兄上に個人的に忠誠を誓う
勝ち誇ったように口を開いたハーナンだったが、征四郎が構えると思わず黙った。
征四郎もやはり腰を落としているが、拳を握らず軽く指を曲げているに過ぎない。
そして、肘を折り曲げ胸元辺りまで指先を上げている。
その構えは、打ちかかる事を主体とせず受け止める事に主眼を置いているようであった。
バルトロメは、背筋を濡らす冷たい汗がどっと噴き出た事を自覚した。
この男は、確かに危険である。
本来は剣士である筈が、格闘にも通じているのが良く分かる。
あれは飛来する拳を掴み、そのまま圧し折ることを主眼に置く構えと見た。
ならば、速さで圧倒するしかない。
そう決断したバルトロメは老人とは思えない俊敏な動きで、一気に間合いをつめて握る拳を征四郎の顔に目掛けて放った。
その拳は征四郎の顎を貫くかに思えた。
「見よ、姫よ! いや見えぬか、バルトロメは」
「何も終わっていない!」
懲りずにロズワグンに話しかけたハーナンにマイワスは叱咤するように告げた。
そう、何も終わってはいない。
拳を伸ばしたバルトロメは、不意に言いようの無い悪寒を感じて、腕を無理やり引っ込めたのだ。
途端、肘と手首の間に征四郎の指が触れて、離れた。
勢いと体重を乗せた一撃を征四郎に叩き付けていたら、そのまま肘を極められて折られていたかもしれない。
バルトロメの鳶色の瞳が、恐怖と喜びで眇められた。
「何故引っ込めた!」
「黒い髪の男が腕を圧し折りに行ったのだろう……」
「奴は剣士では無いのか?」
ギャラリーの騒がしさは、相対する二人には如何でも良い騒音だった。
互いが互いに集中する。
その一挙手一投足を……いや、動こうとする気配を察して先んじようと。
老いたコボルとは、戦慄と喜びの中で自身の人生の数奇さを思う。
命の恩人の頼みであり仇に関する情報を得る為とは言え、この様な戦いをせねばならないとは、人生とは良く分からぬと。
立ち合いとは言え、本来は此方が有利な状況でこれだ。
万が一とは言え、目の前の男に殺される可能性もある。
それはそれで仕方がない、ただ、仇を取れない事だけが無念ではあった。
そう覚悟させるだけの凄みを、バルトロメは征四郎から感じ取っていた。
それでも、バルトロメは攻撃の手を緩める事は無く、寧ろその速度を上げて蹴りを放った。
唸りを上げて征四郎の側頭部に叩き込まれるはずの右のハイキックは、狙い通りに征四郎の左の側頭部にヒットした。
だが、その感触にバルトロメは驚きを感じずにいられなかった。
これが、オークであれば――それも大柄で筋肉質な――意外に思う事はなかったが、征四郎の体躯では考えられない重さを感じた。
そして、足首に絡まる指先の感触も。
…死の先触れのような、ぞっとする感触にバルトロメの体は自然と動いた。
みしりと音を立てた足首を無視して、バルトロメは左足のみで跳躍し、両の手で征四郎の頭を掴んで左の膝蹴りをその顔に叩き込もうとした。
流石にこれには、征四郎も離れるしか無かったようでバルトロメの右足首を放り、左膝の軌道を変えながら頭掴む両手を振り払い、下った。
素早い身のこなしで空中で一回転して着地したバルトロメは、即座に拳を貫手へと変えて征四郎の腹の僅かに上…鳩尾を狙って突いたが、踏み込んだ右足首より伝わる激痛に動きが一瞬鈍った。
征四郎は、伸ばされた貫手を払い除けて、再び先程と同じように構えた。
目まぐるしい攻防、あまりに速く攻守を入れ替えて戦う姿を、ギャラリーは如何にか視認し続けていた。
バルトロメの動きは、素早さに定評のある
一方の征四郎は、然程早くも無い様に見えるが、要所要所で映像の早回しのように突如機敏に動くのである。
(この三殿式を使わせるとはな……。秘中の秘なのだがな)
征四郎の胸中を誰もが知らない。
宮中にて主上を守り抜くために編み出された技で、血で宮中を汚さぬように、それでいてくせ者を完全に制圧で斬り様に手足を圧し折る事を主眼に置いた技である。
その名を三殿式。
林咲の末である
その三殿式をもってしても、バルトロメを打ち倒せていない。
恐るべき老人だと征四郎は小さく感嘆の息を吐き出した。
バルトロメは、呼吸を整えながら右足に僅かに力をこめた。
痛みはあるが動けぬほどでは無い、そう判断したが正直、攻めあぐねていた。
征四郎は、未だに攻撃を仕掛けてこない。
先程、オークを蹴った様な重い感触だと思ったが、オークは征四郎のように素早く対応できない。
確かに当たれば起死回生となる一撃を持っているが、当たる事は滅多にない。
だが、征四郎は持っている、起死回生どころか、己の命を刈り取る業を。
それを感じれば、バルトロメは笑みを浮かべていた。
一報の征四郎も、気分が高揚するのを感じていた。
二度、極めようとして逃げられている。
秘中の秘ゆえ、簡単に出さない技だが、剣の修練と同じくひっそりと錆び付かぬよう修練はしていた。
極めきれないと言う事は、その修練が甘かったと言う事だが、或いはこの老人が、今まで出会った誰よりも強いのではないか?
そう考えると、愉快で堪らないのだ。
最悪、死すらありえると言うのに、たまらなく可笑しくて思わず笑みがこぼれた。
互いの笑顔が合図であるかのように、場は一気に沸点へと達した。
征四郎が初めて攻めに転じ、バルトロメの懐に飛び込み胸倉へと指先を伸ばす。
まるで獲物へと食らい付く大蛇の如き威圧感が在るその腕を、バルトロメは己の腕で円を描くように動かして、払い除ける。
そして、円の動きを止めてがら空きとなった征四郎の肩口へと手刀を落とす。
食らえば鎖骨を折られる威力はあると踏めば、征四郎は更に懐へと潜り込み、手首と肘の間が肩に当たる様にその威力を殺す。
そして、密着すれば腕を伸ばし掴むと見せかけて、バルトロメの頭部目掛けて自身の頭をぶつけた。
ごっ、と言う鈍い音が響き、たたらを踏むようにバルトロメが背後に数歩下った。
まるで火花が散ったような錯覚を覚えるが、征四郎は覚悟の上での頭突き。
ずきずきと痛むが、いまだ倒れぬバルトロメを見やれば笑みを深めた。
「そこまで! 双方、それ以上の争いは無用である!」
マイワスは二人の状況を見極めて、制止の声を掛けた。
一瞬、二人が止まるのか不安は覚えたが、二人の男達は互いがそっと息を吐き出して、笑い合えば此方を向いた。
「これで宜しいか?」
「十分だ。俺はバルトロメとまともに戦える者を初めて見た。君の様な強者を引き入れられたのは僥倖だ。これ以上は誰にも文句は言わせん。――良いな、ハーナン!」
「……」
無言で立ち上がったハーナンは、一度だけロズワグンに視線を投げかけた。
その様子を見やったグラルグスはマイワスと違い、上背もあり厳めしい体つきだが、未練たらしいと内心痛罵していた。
その背を、幾人かの男女が追いかけていく。
彼等がハーナン派の上級騎士達かと視線で追っていたが、その内の一人である女騎士が姉ロズワグンに対して凄まじい目つきで睨み付けたので、一層いら立ちが募った。
「お見苦しい所を見せた。我らはこの期に及んでも一枚岩ではないのだ。……作戦に付いて話そう」
マイワスは深く溜息をついてから語りだす。
眉間による皴が深い苦悩を表している様で、征四郎はこの王子には憐れみを覚えていた。
【第二十五話に続く】
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