第321話 閑話・本能に抗え
生きる者すべてに大なり小なり本能と言うものがある。
生存本能に始まり、食欲などの三大欲求、細かい部分も含めば個々に宿る譲れないものなど様々だ。
まぁ何故今そんなことを考えているのかと言うと……。
(何故こんなことに……)
宿のベッドの中で、現在自身の本能がせめぎ合っている最中であった。
◇
ドルンの一件がようやく済みやっと寝れると思い就寝準備をしていた時のことだった。
部屋のドアを誰かがノックをし、誰だろうと思っているとドア越しにエルフィリアの声が届く。
今日は千客万来だな、と思いながらドアを開けるとそこには寝間着姿のエルフィリアがそこに佇んでいた。……何故か枕を持って。
その瞬間、この世界に来て培われた直感が発動する。有り体に言えば嫌な予感と言うやつだ。
「えーと……どうしたの?」
寝間着エルフィリア+枕から導き出される答えなんて一つしかない。正直言うとこのまま回れ右をしてお帰りいただきたいところである。
だが何も聞かず追い返すのは良心が痛む。故にここは聞いた上で納得してもらった上で自室に戻ってもらおうと頭の中で算段を立てた。
「その……今日ですね、マイさんに料理の事聞いていたんですが……」
普段なら部屋に上がらせるが今は入れる事すら(主に自分の身の)危険に感じたためその場で話してもらう。
エルフィリアが言うには今日自分とドルンが"
中央管理センターから持って帰ってきた材料から作れるレシピの数々。人間から見れば長い時を生きたエルフであるが、そこは閉鎖された世界で生きた者。
こうして自分に付き合う形で色々なところを旅し、地元であるエルフの村では知り得なかった料理の数々を覚えた彼女だが、それでも昔の人が脈々と紡いでいった料理の歴史には敵うはずもなく。
だからこそマイから聞いた話には驚きながらも充実した時間を過ごしていたそうだ。
そうして言葉を交わすうちに不意にマイがこう尋ねたらしい。『その料理はマスターの為ですか』と。
エルフィリアとしては自分は元より皆の為と答えたのだが、それにマイは何か思うところがあったのかこう漏らしたと言う。『やはりエルフの本能ですかね』と。
エルフの本能と言う聞き慣れない言葉に首を傾げ、その後興味本位でマイに尋ねたそうだ。昔のエルフはどの様に過ごしていたのかと。
その結果はもはや言うまでもない。マイは歴史的な事実については包み隠さず話した。昔のエルフがどの様な仕事をし、どう扱われていたかを記録を告げるように淡々とだ。
この時はまだ自分は知らなかったが、エルフの出生についてマイが話さなかったのはせめてもの救いだろう。
「あー……そっか。知っちゃったわけか」
「はい……」
「でもだからと言って俺はエルフィを
昔のエルフがそうであるからと言って今を生きるエルフィリアがその様なことをする必要は無い。
そう言うと彼女は納得したかのように首を縦に一度振るが、その後何故か顔を伏せた状態で左右へと振る。
えーと、今の動作は一体……?
「えっと、ですね。きっとそう言うと思ってたので
俺は信用している?
えーと、つまり彼女は自分が手を出すとかそう言うことをしないと信じているってこと……だよね。
……あれ、なら別にこの話はこれで終わりでは?
「でも、その……えーっと。本能的とでも言いますか、私自身が信じれないと言うか……」
「大丈夫じゃないかな。これまで何かあったわけじゃないし」
少なくとも彼女の周りでそう言う話は一切無いのは知っている。
唯一と言って良いのがセーヴァへの一目惚れ案件。あれが個人的なところなのかエルフの本能なのか判断が難しいところではあるが、少なくとも以降は特に執着の様なものは見受けられない。なのでこの件についてはどちらにせよきっぱりと切れたとみていいだろう。
だがエルフィリアはエルフィリアで何か思うところがあるようで、彼女はゆっくりと話し始めた。
「それでもやっぱり私は大丈夫と自信を持って言いたいんです。その為にはやっぱり"実績"ではないか、と言う話になりまして……」
「それでその枕な訳ね……」
つまり自分と一緒に寝て何も無ければ大丈夫、自分はエルフの本能に負けない人、と言うことなんだろう。
言いたい事は一応理解したし、その為に恥を忍んで異性である自分に頼み込みに来たのも分かる。
だけど……。
「ダメだよ、ダメ。大体以前――」
フレデリカの件で酷い目にあったでしょ、と言葉を発する前に気付く。
この件はエルフィリアも知っている話であり、それによって自分がコロナに引っ叩かれたのも当然分かっている。
あんな小さい子ですら一緒に寝ることが同衾と見做されるのだ。エルフィリアが一緒に寝ようものならどうなるか分かったものではない。
先ほど彼女はこういった。『"実績"ではないか、
エルフィリアが一人で考え実行に移したのであれば『"実績"ではないか
それはつまり……。
「…………」
キィ、と半開きだったドアが全開になり、その陰に隠れていた見慣れた犬耳少女がエルフィリア同様寝間着姿+枕片手に立っていた。
そこでようやくすべてを理解する。
恐らくエルフィリアとマイの会話の時にコロナも一緒だったのだろう。今日のローテーションは男女で分かれていたのだからもっと早く気付くべきであった。
そこでエルフについて聞いた話からコロナが許せる折衷案として今回の行動へと繋がったわけだ。
つまりこれはエルフィリアが自身を信じるための試練であるとともに、コロナがエルフィリアを信じるための試練でもあり……同時に自分に対しての試練でもあった。
そしてコロナが枕を持っているのも分かる。要するに審判役なのだ。
彼女にとってエルフと言う種族の特性を知ってしまった以上、もしかしたらなんてこともあり得ると考えてもおかしくはない。
だからこそ自分の目の届く範囲……と言うか手の届く範囲で見張る必要があると考えたのだろう。
そして今回一番頭が痛いところはこれを行わない限りコロナの疑念が晴れないことだ。
後に回すことも出来るだろうが、それは問題の先延ばしでしかない。
と言うか以前エンドールヴでコロナが実家に帰っている時にエルフィリアと同室だったのだがそれは実績に入らないのだろうか。
……入らないんだろうなぁ。同室での就寝であればこのメンバーは組み合わせこそあれ大体はこなしているし。
◇
そして現在。
自分はベッドに仰向けになり、右側にエルフィリア、左側にコロナがいる布陣になっている。
……一応先に言っておこう。仲良く川の字なんてものではない。
そもそも宿場町の宿、それも個室のベッドだ。レーヌとかシンディエラみたいな貴族らが寝る豪奢なベッドではないのだ。
ぶっちゃけるとものすごく狭い。川の字ではなくⅢを半分に圧縮したかのような状態だ。寝返りすら望むべくものではない。
他人から見れば両手に可愛い子侍らせ同衾ですか?なんて言われるかも知れないが、もしそんな奴がいれば唾吐く勢いで反論も辞さない所存である。
いや、言いたい事は分かるよ。俺だって第三者ならば同じ感想を抱くだろうさ。
だが現在の俺は手を出せない。無論出すつもりもさらさらない。
そこ、ヘタレとか言うんじゃない。これでも命を対価にする場ぐらい弁えているつもりだ。
つまるところ俺が取れる手段など限られている。ならばその中で最善手を取るだけだ。
布団の中で静かに行動を開始。
仰向け状態のまま全身は直立姿勢、そして両の手を胸の前で交差させる。
これぞファラオの構え。ツタンカーメンの棺を模した絶対安眠防御体勢だ。
後は無心になり時が過ぎるのを耐えるのみ。左右から仄かに感じる体温とか、小さく聞こえる息づかいとか、何か良い匂いがするとかその他諸々は気のせいであると自分に言い聞かせる。
などとこちらが色々と気を遣っていると言うのに、あろうことかコロナがこちらの左腕に腕を絡めてきた。
そのまま抱き着くような形を取ってきたため、控えめと言えど寝間着の上からでも分かる小さなふくらみが……いやいや、そうではなくて!
そちら側から言い出してきたのに率先して手を出すなんてどういう了見か。
流石に咎めようと声を掛けようとしたところで、その言葉が急ブレーキをかけ飲み込まれる。
何故なら今度はエルフィリアがこちらの右腕に腕を絡め、コロナ同様に抱き着くような姿勢を取ってきたからだ。
圧倒的な弾力と膨らみ。見ることは叶わずともこちらの腕が埋まっているのではないかと錯覚しそうになる感触。
自分は使った事は無かったが、例えるなら人を駄目にするソファーと形容するべきだろうか。
ヤバい、これは色々とマズい。理性の防波堤が物凄い勢いでヒビ割れていくのが分かる。
だがその反面左右の腕にかかる対比が如実に表れイダダダダ!!
(コ~ロぉ~……)
何も言っていないのに何故こうもピンポイントで腕を絞めあげるのか。
ミチミチと左手の骨と筋肉が悲鳴を上げるも、その痛みのお陰で頭が少し冷えてきた。
これはアレか、試練とかこつけた二人の策略か。そもそも一緒に部屋に訪れ、更にはタイミングを計ったかのような同じ行動。
もしかしなくてもハメられたか、と考える反面、現状限りなく縮小していく二人への信頼が待ったをかける。
仮に示し合わせたとしてこんなことをするかとぉっ?!
(く、足まで……?!)
こちらに抱き着くような体勢のまま、それぞれが今度は自らの足をこちらの足に絡めてきた。
右側のエルフィリアの脚の破壊力は言うに及ばず。と言うかこの子全身プリンで出来てるんじゃないのかと言うぐらい柔らかい。
あ、ダメだ。思考が溶かされ……いやいや、こういう時こそ左側の対比いったあ!!
(ぐ、真綿の万力かっての。柔らかいもので締め上げられるなんて経験そうそう無いぞ)
今度は絡められた足を用いられて関節決められたかのような痛みが走る。それと同時にコロナの脚が思った以上に柔らかい事にちょっと驚いている自分がいた。
いや、別に胸同様とか思ってたわけじゃないよ? だけど普段あれだけ地面蹴って動いてるからもっと筋肉質かと思ってたから予想外にやっぱ女の子なんだなぁ……ってそうじゃなくて!!
(いかんいかん、顔を引き締めろ。いくら暗くて俺の顔が見えない……じゃない! エルフィは夜目効くんだから!!)
半ば忘れかけていたが隣のエルフは目が良いだけではなく暗い場所でも普通に見える人だ。
こんな至近距離なら頬がヒクついたり鼻の下延ばしただけでも即バレてしまう。
(落ち着いて考えるんだ。思考を巡らせて疚しい本能を頭から追い出せ)
いけるやれる俺なら出来る。平静に冷静に……うぅ、五感を切れない我が身が恨めしい。
ともあれ今は頭を回せ。余計な事はなるべく考えるな。
そもそも、だ。今現在進行形の行為を二人がやるかが疑問だ。
エルフの昔の立ち位置がバレた。だからエルフィリアに対し信用はしてるけど大丈夫であると言う証拠が欲しい、とまでは分からなくもない。
その手段として自分と同衾して何も無い事を確かめたいと言うのも……まぁかなり突飛だけどまだ分かる。コロナもたまにそう言うところあるし、エルフィリアも押し切られた形なのだろう。
しかし腕に抱き着いたり足を絡める行為は
こんな一つ布団の中で密着している状況で自らアクセルを踏み抜くような真似をこの二人はしない。
コロナは獣人故か触れ合う感じのスキンシップをすることはままあったが、こんなあからさまな事をする子ではない。……まぁ暴走して突っ切っちゃった、と言う可能性もありそうだが恐らく低いと思う。
エルフィリアはそもそもそう言うことは自分からはしない。本能的な部分はあるかもしれないが今までもずっと大丈夫だったし、あの控えめな性格では自らアクションを起こすことは無いだろう。
それに自分を挟んだもう一人の目があるのだ。建前上かもしれないが実績云々でやってきた手前こんなことはまずしない。
つまりこれは示し合わせた行動ではなく、お互いが同じ行動を取る何かがあったと言うことだ。
(じゃあソレが何なんだよって話だよなぁ……)
散々探偵気取りで頭回転させてもこんな行動を起こす理由なんて……まぁ、うん。あんまり考えないようにしている方向に思考が傾いていく。
否定する材料は在れどどれも決定打には乏しく、こうしている間にも自分の体が左右に引っ張られ……ん?
(……まさか)
体が左右に引っ張られる事に気付き、そして導き出される結論。
抱き着かれてる状態なのだから引っ張られてるのは当然では、と言う考えを、いや、この引っ張られ方は違うと別の考えが否定する。
何と言うか体そのものが引っ張られるのだ。二人の腕や足の力とは別に体重を掛けられたかのような引っ張られ方。全員ベッドで横になっている以上、こんな力の掛かり方はしない。
つまるところ……。
「あのさ、二人ともベッドから落ちそうになってない?」
その瞬間、左右の体がビクリと震えたのが分かった。これだけ密着しているのだから当然と言えば当然だ。
そしてその行為が真であると分かった途端、先ほどまで茹っていた頭の中が急激に冷めていく。
可愛い女の子二人に抱き着かれ一晩中ドキドキ☆なんてベタなラブコメシーンだったものが、実はベッドの中でヤジロベーごっこでした、ときたもんだ。こんなのバラエティ番組かコントでしかない。
と言うか一人用のベッドに三人詰めたらこうなるのは当然だろう。もっと早く気づけよ俺……。
「はい、色々言いたい事は分かるけどもうダメ。ほら解散ー」
自分が体をゆっくり起こすとやっぱり二人ともずり落ちそうになっていた。
とりあえず部屋の明かりをつけ両名がベッドから出たのを確認しては自分もそのまま降りて床に立つ。
「とりあえず二人の言いたい事は分かりました。とは言えこの件については一旦保留ね。コロだってエルフィが率先して変な真似するなんて思ってないでしょ?」
「それは……うん」
「エルフィもマイから色々聞いたんだろうけど、別にそう言うつもりもないよね?」
「そう……ですね。はい、今まで通りが良いです」
「ん。まぁエルフィはいきなり変な事聞かされて混乱してるかもだけど、何か気になることあったら俺でもコロでも、もちろんドルンにでも聞いてくれていいからね。落ち着かないならしばらくポチ連れてっても良いし」
そう話をまとめ、とりあえず今日のところは二人とも帰ってもらうことにした。
そもそもあのままでは全員が一晩中落下しないように体を支えなければならなくなる。……体を休める宿で一晩中筋トレとか何かの罰だろうか。
「ほら、今日のところはもう戻って寝るように」
「はぁい」
「あの、おやすみなさい」
彼女たちが持ってきた枕を渡し、そのまま部屋の入口からしっかりと二人を見送る。
そしてそれぞれの部屋へと戻ったのを確認し、こちらも部屋のドアを閉じ鍵を掛けた。
ようやく静寂が訪れた部屋。それを実感すると同時に大きく息を吐きながら力が抜けたかのようにその場にへたりこむ。
「あっぶなぁぁ…………」
今回は本気で危なかった。普段一緒にいるから忘れかけてたけどあの二人の破壊力をナメていた。
いやまぁ片方は物理的な破壊力も伴ってたけど……。
もしこの宿のベッドがダブルサイズだったらかと思うと身震いしそうになる。正直一晩理性を保てるか自信がない。
「はー……よし、ポチ。一緒に寝よっか」
「わんっ!!」
待ってましたとばかりに今まで大人しくしていたポチがベッドへとダイブする。
今回の件で一番割を食っていたのがポチだ。二人が来たためベッドのスペースが無くなり、一晩だけと言うことでマルチクロースを敷き詰めた籠に追いやられていたのだ。
ポチが布団に潜り込んだのを見て自分もそのまま布団の中へ入る。
「あー、何か今日はいつも以上に癒される……」
ポチのモフモフな感触に癒されつつ、気が張り詰めていたのか目を閉じるとすぐに眠りに落ちていった。
――翌日、その日に見た夢の内容を墓の下まで持って行こうと誓うハメになるとも知らずに……。
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