第115話 帰郷


「いい加減認めてよ!」

「この程度じゃまだまだ認めれんな!」


 ガキン、と何度目かの木剣が交差する音が住宅地にこだまする。

 目の前にいる人物は正面に剣を構えたままこちらの様子をつぶさに観察していた。

 負けるつもりはないけどこの人は本当に強いと心から思う。

 多分純粋な身体能力はこちらが上。

 だけど要所要所の判断力や対応力はあちらが間違いなく上だ。

 普通なら入りそうな攻撃が防がれたり、反対に意識外から飛んできた攻撃に冷や汗を流すのも一度や二度ではない。


(……と言うかなんでこんなことに)


 ここに来るまでに色々頭の中でやり取りを想定していたのに、どれとも違う結果になってしまった。

 下手にしんみりするよりは良いかもしれないけど、だからってこんな……。


「ほらほら、余所見してる余裕なんてないぞ、コロ!」

「もう! お父さんもしつこいよ!」


 再び切り結ぶ斬撃と飛び交う会話。

 そんな父娘の戦いを少し離れた場所で母親はニコニコと見ているだけだった。



 ◇



 ヤマル達を宿へ案内し、自分は一人実家への道を歩いていた。

 散々勝手なことをした手前きっと怒ってるんだろうなぁと思うと正直気が滅入る。

 怒るどころか最悪知らない子扱いされてもおかしくはないけど……もしそうなったら本当にどうしよう。

 自業自得なのは分かっているけど……。


「あ……」


 そして見知った住宅街を歩いているといつの間にか実家のそばに辿り着いていた。ふと視線を上げるとその先に一人の人物を見つける。

 一戸建て住宅の庭で洗濯物を干している女性——自分の母だ。

 自分と同じ桃色の髪を後ろで纏め上げた同じ人寄りの犬型獣人。昔からよく近所で自分は母の子どもの頃に似ていると言われ続けていたのを思い出す。

 そんな母があの時と変わらず干している洗濯物は、あの時と違って自分の物だけ無い。当たり前のことではあるのだけどそこにどこか寂しさを感じてしまう。

 そして彼女が洗濯物を全て干し終わり振り返ったときにふと、こちらと目が合った。

 ぱちくりと驚いた表情を見せる母の顔を見たのは初めてかもしれない。が、それもすぐのこと。

 いつも自分が知ってる笑顔になると、母は小走りでこちらへと駆け寄ってくる。


「コロ、お帰りなさい。皆心配してたわよ」

「うん、ただいま……」


 変わらぬ出迎えに思わず涙が出そうになるもそこはぐっと我慢。

 一先ず母に手を引かれ実家の中に入ると、中から人の気配がした。

 この時間だと母以外はいないはずだけど……。


「今日ね、お父さん非番で家に居るのよ」

「え」

「お父さんー! コロが帰ってきたわよー!」


 仕事から帰ってきた父をどう出迎えるかばかり考えていたためこれは予想外のこと。

 しかしもうこちらの存在は父に完全にばれてしまっている。もはやなるようにしかならないと覚悟を決めいざ見慣れた居間へと入った。


「帰ったか」

「あ、その……ただいま」


 居間で剣の手入れをしていた同じ犬型獣人の父が顔だけこちらへと向ける。

 自分や母と違いこげ茶色の短髪オールバックの髪は相変わらずと言った所。久しぶりに会っても衰えを知らなさそうな精悍な顔つきだ。

 自分の父はこの国の行政府を守る衛兵だ。悪い人から皆を守る父の姿に憧れ自分も剣を取った。

 まぁ結局衛兵隊の適正年齢に届いてなかったから傭兵になってあんなことになっちゃったんだけど……。


「……そのナリだとまだ傭兵稼業をしているのか? あれから一年近く経った、もう頭も冷え現実を直視出来たんじゃないか?」

「あ、そのね。その事なんだけど……」

「まぁまぁ、積もる話もあるでしょうしコロも座りなさい。今何か淹れるわね」


 母に促されテーブルに座ると、対面に父が座りお茶を淹れてきた母もその隣へと座る。

 昔から見慣れているはずの光景なのにこう改まると緊張してしまう。


「それでコロは今は……いえ、今までどうしてたか教えてもらってもいいかしら? お父さんもそれでいいですよね?」

「まぁ、それで構わない」

「ですって。ゆっくりでいいから話してくれるかしら?」

「うん。えっと……」


 当事のことを思い出しながらぽつりぽつりと順を追って二人にこれまでのことを話していく。

 失意の中この街を出て行った後のこと、人王国で数ヶ月伝手も仕事も無くどんどんランクが下がったこと。

 もはやこれまでか、と思ったときに今の雇い主に出会い拾われたこと。そしてその人に怪我をしていた手足を治してもらったこと。

 途中までは予想通りと思ってたのかあまり反応を見せなかった二人も、怪我が治ったことに関しては流石に驚きを隠せないでいた。


「治ったのか?」

「うん、私も諦めてたんだけど……」

「そう、良かったわね。その人に私達もお礼言わないといけないかし——」

「そんなわけないだろう!」


 素直に喜んでる母親の言葉を遮るように父親がバン!とテーブルを強く叩く。

 いきなりのことに隣にいた母も、自分も驚いてびくりと体を竦ませてしまった。


「あの、お父さん?」

「あの時のことは覚えているだろう? どんな医者でも高価なポーションを使ってもダメだったのはコロが一番良く知っているはずだ」

「そうだけど……」

「ならどうやってあの怪我を治した?」

「それは……」


 言えない。

 セレスの治癒魔法のことは秘密であると彼女とヤマルとの約束だ。

 この怪我を治してもらった二人のことは例え親でも言うことは出来ない。

 しかしこちらが何も言わないのを見て父は別な意味に捉えたようだ。


「言えないならお前は怪我を治したと嘘をついてその雇い主と一緒にいるとか?」

「お父さん!」

「そんなことないもん! ちゃんと治してこうしてランクも元に戻ったんだし!」


 父にしっかり見えるように傭兵ギルドのギルドカードを突き出す。

 ギルドカードの偽造は完全に犯罪だ。それに傭兵ギルドに問い合わせれば真偽を確認するのは造作も無いことである。

 父もそれは分かっているようでギルドカードに書かれたBランクの文字を見ると流石に納得してくれたものの、やはり表情は不審なままだ。


「本当に治ったんだな?」

「そうだよ、なんなら試してみてもいいよ!」

「いいだろう、相手してやるのも久しぶりだな。母さん、納屋にある木剣出してくれ」


 そうして父と二人、数年振りに打ち合うために庭先に出て行って……。



 ◇



 そうだった。

 売り言葉に買い言葉、とはちょっと違うけど、自分から言い出したんだった。

 だけどここは負けてはいられない。

 父に勝ってこちらの怪我が治ったことを認めさせなくては……って、あれ?


「ねぇ、ここまで動けてるの見たんなら別にもういいんじゃないの?」


 カァン!と甲高い音が鳴り響き父と一度距離を置く。

 何か途中からどうやって勝つかを考えていたが、そもそもちゃんと手足が治ってるかを試すための模擬戦だった。

 すでに大の大人である父相手に幾度と無く打ち合っているのだから、少なくとも怪我は治ったと見てもらう分には問題ないはずである。


「あらあら、お父さんもう気づかれちゃいましたね。折角久しぶりにやれて嬉しそうでしたのに」

「ミヨ、余計なこと言うんじゃない! ……まぁ、そうだな。お前の怪我が治ったのは本当のことのようだ。その雇い主には感謝しないといけないな」

「そうですね。コロ、明日良かったらその人連れて来れないかしら。お礼言いたいわ」

「うん、聞いてみるね」

「とりあえず家に戻るか。そろそろハクも戻ってくるだろうしな」


 ふー、と腕を回し肩の凝りをほぐしながら父は家の方へ戻っていく。

 去り行く父に代わり相変わらずにこにこ笑顔の母がこちらへと近づき、そっと耳打ちをした。


「お父さんね、あんな感じだけどあの時あなたのために方々を色々回ったの。だからこうして昔みたいに打ち合えてるのすごく嬉しいのよ」

「……お父さん、そうだったんだ」


 あの時の自分は周りが見えてなく、父がそんなことしてるなんて思いもよらなかった。

 そもそも父は自分が傭兵になるのも反対だったのに……。

 すでに家に入って見えなくなった父の背中を暫く眺めていたが、母に促され一緒に家に戻ることにした。



 ◇



 デミマールに着いたその夜。

 コロナに宿まで案内してもらい今日のところは彼女とその場で別れた。

 一度実家に戻り色々話してくると言っていたが、どうにもこうにも心配である。

 まぁいくら家出に近いとは言え親御さんなら無碍には扱わないと思うけど……。


「ねぇ、エルフィ」

「はっ、ふぁい!」


 宛てられたベッドの上に座り枕を胸に抱きながら裏声で返事をするエルフィリア。

 何か晩御飯もお風呂も済ませあとはゆっくりするだけと思ったのに、部屋に戻ってからずっとあの調子である。


(……なんか借りてきた猫みたいになってる)


 心ここにあらず、と言うわけではないもののずっとそわそわしっぱなし。

 いやまぁ理由は大体分かってる。自分と一緒の部屋での寝泊りだから身構えてるんだろう。

 一緒の部屋で寝たことがないわけではないが、普段は同性のコロナがいるから随分緩和されていた。

 でも今日はそのコロナは実家で寝泊り。

 部屋を分けることも考えたのだが、コロナがいないためなるべく離れないようにと他でもない彼女に念押しされたのだ。

 まぁ片や貧弱異世界人、片やエルフである。どちらも一人にするわけにもいかず、ポチをあてがっても片方が空いてしまうためどうしようもなかった。


「あ、あの……」

「あ、ごめん。なんでもないよ」


 苦笑してエルフィリアに背を向ける。

 多分あの状態では気を使ったところで逆効果だろう。暫くは自分が一緒にいる空間そのものに慣れさせた方が良い。

 と言うか自分も慣れる時間が欲しい。

 エルフィリアほどじゃないけどやっぱりコロナがいない状態は新鮮味を覚えてしまう。コロナと初めて同室で寝たときのような感じになってきてしまうのだ。

 あの時は確かチカクノ遺跡での街のことだったか。思い起こせば随分前の事のように思える。


「ポチ、おいで」

「わん!」


 とりあえず時間を置くためにもポチを膝の上に乗せいつものブラッシングをすることにした。

 カバンからポチ用のブラシを出し、《生活魔法》で温風を出してはもはや手馴れた手つきで背中を撫でる様に梳いていく。


「気持ち良い?」

「わふ……」


 本当に気持ち良さそうに目を細めるポチ。

 あくび一つかみ締めてこちらの成すがままに身をゆだねている。

 本当にこのまま寝ちゃいそうだな、と内心笑みを溢しながらもしばらくそのままブラッシングを続行する。

 そして続けること約十分ちょっと。

 こんなもんかな、と大体終わったところでふと自分の後ろにいた人物に気付く。

 いつの間にかエルフィリアがすぐ後ろまで近づいており、こちらの肩越しに膝上のポチを覗き込んでいた。


「……エルフィもポチのブラッシングしたいの?」

「いえ、その……ポチちゃんだけじゃなくコロナさんにもやってますよね?」

「あ~……まぁ成り行きみたいなもんだったからね。一度やったらコロも気に入っちゃったみたいで」


 流石に毎日ではないものの、コロナもこちらの都合が合えば髪と尻尾のブラッシングを頼んできている。

 エルフィリアの目の前でも普通にやってたけど……やっぱりあんまし良くないよなぁ。

 あの子は気にしないとは言ってるけど、あまり異性でこういうやり取りは他からしたら変に思われるだろうし。

 エルフィリアもやっぱりそう思っているんだろうな、と考えていたら、彼女はこちらの予想と真逆なことを言ってきた。


「その、私にもしてもらうのって……」

「エルフィも? そりゃまぁこっちは良いけど……」


 おずおずと控えめに頼み込むエルフィリア。

 流石にコロナとの前例がある手前、エルフィリアだけ駄目とは言いづらい。

 しかし先程まであんな状態だったのに、男に触れられるとか大丈夫なんだろうか。


「髪触るけど大丈夫なの? あまり無理しない方が……」

「あの、駄目そうでしたら言いますし……コロナさんもポチちゃんもいつも気持ち良さそうなので気になって……」

「んー……じゃあまずはお試しで少しだけにしよっか。エルフィのブラシ貸してくれる? あとそこの椅子に座ってね」

「あ、はい」


 ポチをベッドの上に移動させエルフィリアから彼女のブラシを受けとる。

 その後椅子に座った彼女の髪を一房手に取り、《生活魔法》の温風を出しながらまずは先端の方からゆっくりと梳いていく。


「エルフィの髪すごいね。こんなサラサラの髪質の人初めて見たよ」

「え、そ、そうでしょうか……」


 エルフィリア自身はよく分かって無さそうだが、まるでテレビのCMの女優さんのような性質だ。

 なんか指の間にすっと落ちるような……なんだろう、触ったこと無いけど絹の様な質感ってこんなのかもしれない。


「これ、別に自分の魔法いらなくない?」

「そ、そんなことないですよ。気持ち良いですし……コロナさんやポチちゃんがしてもらいたがるの分かります」

「ふぅん、そんなもんなのかな」


 自分の髪乾かすときはそんなことはないのだが、やっぱりドライヤーに慣れてるかどうかでも違うのかもしれない。

 とりあえずエルフィリアには嫌ではないか、我慢して無いかを伺いつつもなんとかお試し部分をやり終えた。

 その後は特に問題なかったという事だったので、彼女の希望の下残りの髪も同じように取り掛かる。

 当初は全てするのは結構時間掛かるかな、と思っていたが、いざ終わってみればコロナと同じぐらいだった。

 髪の毛はエルフィリアの方が圧倒的に長いものの、コロナは髪に加え尻尾、それもそこそこのボリュームあるためそのせいだろう。


「はい、こんなもんかな」

「ありがとうございます。……すごいですね、いつも乾かすのに結構時間が掛かるんですが」

「まぁエルフィの髪の量だと仕方ないよね。さって、そろそろ寝よっか。ここんとこずっと歩いてばかりだったし、明日はコロが街案内してくれるみたいだしさ」


 エルフィリアにブラシを返し自分のベッドにもぐりこむ。

 大きい街のためか布団は中々良い感じ。

 そうでなくてもここ最近は動きっぱなしだったため今日はゆっくり寝れそうだ。


「明かり消すよー」

「あ、はい。お願いします」


 《生活の光ライフライト》で照らしてた明かりを消し目を瞑ると布団の上にいたポチが中にもぐりこんできた。

 いつも通りこちらのお腹辺りで丸くなったのを確認してはゆっくりと目を閉じる。


「ヤマルさん、おやすみなさい」

「ん、おやすみ」


 エルフィリアもさっきの状態ならちゃんと寝てくれそうだな、と思いつつ、あくび一つかみ締めそのまま意識を手放していった。


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