5-8―切り離せない過去―

 一方の珠樹も笙の助手席に座って窓の外を眺めながら、いろいろなことを回想していた。思えばあれからいろいろなことがあったが、今こうして笙の側に戻ってくることになるなんてあの頃は思いもしなかった。しかも圭の娘である時子も一緒なのだからなおさらだ。それにしても圭は今頃どうしているのだろうか……。


―どうしてももう一度、俺の人生を模索してみたい。君も君の人生をもう一度見つめ直してくれ。君と娘と過ごした日々はこれからも大切に抱えていくよ。さよなら。また会える時が来るまで。 圭 ―


 そう、書き置きを残してある日突然、圭はいなくなってしまった。その日、圭の勤めていた会社が倒産したという連絡が入り、その後、会社の代表取締役の社長が自殺したというニュースが舞い込んできた。社長の自殺によって会社が当時抱えていた不良債券等はすべて幹部の取締役によって法的に清算され、社員への負担はかからなかったため時子自身にも圭が失踪したことで収入がなくなったという以上の大きな損失は受けなかったが、圭の失踪とともにその身辺で次々と起こった自殺、倒産というショッキングな事件は珠樹の精神に大きなショックを与えた。しかし、一方ではそういった一連の事件のおかげで圭の失踪に対しての執着を持たずに済んだのかもしれない。圭は圭なりに苦しんで珠樹のもとを離れることを決心したにちがいない。珠樹は呆然とした思考の中で圭への未練を切り捨てて三歳だった娘のためにもしっかりと生きていくことを心に決めたのだった。幸い、珠樹自身も保育所付きの病院で働きはじめたところだった。その後、圭からは絵葉書が一通届いたきりだった。


―今は母の伝手で旅芸人一座に加わって各地を巡業しているよ。もう、会社の事情はとっくに伝わっていると思うが、もしかしたら、俺にとってはその方がよかったのかもしれない。俺は俺らしく生きていく道を見つけたよ。君には苦労ばかりかける結果になって申し訳ない。でも幸せになって欲しいと思ってる 圭 ―


 その葉書には差出人の住所は書いていなかったが、名古屋の消印が押してあった。珠樹は結婚前に圭と一緒に圭の母、友部梨花のことを訪ねたこと思い出しながらも、圭が自分に何の相談もなくいなくなってしまったことを思うと自分がおいてきぼりをくらってしまったような焦燥感がよぎり、圭が自分とはもう別の世界の遠い人になってしまったことを痛感した。圭の失踪については職場では同情の的になるぐらいの影響だったし、圭の弟の笙やその頃妻だった真由実にも何かと世話にもなったのだった。


 だが、真由実がその秀才ぶりを発揮して論文が認められた頃、笙も父の会社の系列のイギリス支社へと赴任することが決まり、家族でイギリスへと旅立った後は、珠樹は笙や真由美とは忙しい合間に時折、メールで連絡し合うようになったのだが―、結局のところ、笙と真由美は離婚することになり、笙が帰国したのが三ヶ月前のことだった―。

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