影を慕う

 風見鶏の影が織り成す

 初夏の陽光の群舞に

 わたしは当たり前のように憑かれてしまった

 それからは通りを歩いても

 影の建築にしか心惹かれず

 美しい異性の顔立ちは覚えられなくとも

 闇で満たされた彼の輪郭は眼に焼きついた


 わたしは闇に向かって恋文を書いた

 言葉を飾り立て わざとのように感情を透かし ときには韻を踏み せいいっぱい影に気に入られようとした

 返信はなかった

 わたしがポストを覗くたび夢見た

 沈黙の茶封筒

 影の舌先が溶けこんだ切手

 泉下を薫らせる漆黒の便箋

 そこに書き記された

 まごころのこもった呪詛

 すべてむなしかった


 他界に憧れながら

 わたしはゆっくりと通りを歩いた

 昼間の街灯は卒塔婆のようだった

 静止を下知する赤信号が

 おりもの臭い点滅をまきちらしている

 わたしはゆっくりと影を引き剥がした

 薄皮をこそげた影は水彩画のようだった

 交わりを峻拒する影法師が

 食肉のようなわめき声をまきちらしている

 わたしはゆっくりと死にかかっていた

 他界に憧れながら


 影には魂がなかった

 魂には色彩がなかった

 色彩には沈黙がなかった

 沈黙には未来がなかった

 未来には希望がなかった

 希望には影がなかった

 影には魂がなかった


 影が耳もとでささやいてくれた

 そのいかものめいた吐息

 分裂的なその言辞

 彼の頭は死でいっぱいだ

 ささやきの内容物は

 ピーラーのようにわたしの脳をむいていく


 井戸の底のような影との日々

 仄暗い闇との睦み合い


 ふと影を見ると

 ほがらかな皺が眼にとまった

 影にも時は刻まれていた

 影にも死は近づいていた

 君も死ぬんだね と

 わたしは子どもっぽくはしゃいでしまった

 人間には数多くの死因がある

 影にはただひとつの死因しかない

 光への焦れ死に

 身分違いの恋を抱いて

 闇と別れた影は死んでいく


 影を野辺に送りながら

 わたしは故郷の歌をうたった

 影が口笛で伴奏してくれた

 死が静寂でハミングしてくれた

 即興でこしらえられた

 病者のアンサンブル

 風はわたしたちの音楽を憶えていた

 風はわたしたちの死を記憶していた

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