第7話:立山輝一が横浜国大からKDDIへ

 1994年に翠嵐高校に入って大学と専門について立山哲男が輝一に聞くと、

これからの世の中、コンピューターとネットワークの時代が来るから、工業系の

勉強をしたいので、翠嵐から近い、横浜国立大学の理工学部情報工学を狙いたい

と言った。そこで東大はと立山哲男が言うと学校が遠いし、東大、早稲田、慶応

という時代じゃない、近くて便利で、そこそこ程度が良ければ十分だと言い

大学よりも就職の方が大事だと思うと、随分と大人びたことを言うには驚いた。


 その後1995年を迎え高校2年生になり本格的に勉強をして公開模擬試験

を受けていた。1996年高校3年の春の公開模擬試験では横浜国立大学への

合格確率75%になり安全圏内に入った。そう1997年、いよいよ大学受験

の年となり家族3人で神社へ初詣に行き合格祈願をし横浜国大の受験日を

迎えて落ち着いてやるように自分に言い聞かせ会場へ入り出て来た時には、

ベストは尽くせたと良い、翌週の合格発表で合格が決定し合格祝いをして、

受験勉強をねぎらった。こうして橫浜駅からバスで横浜国立大学に通いだした。

 合格祝いに熱海へ温泉旅行に行って通信の関係の企業に入りたいと豊富を語り

、来年、米国に留学したいので1997年の夏休みと冬休みには家庭教師を

掛け持ちして稼いでいて忙しそうにしていた。この年、資産もできたので

8人乗りのハイエースの新車をを350万円で購入、し輝一が大学生になって

から旅行は夫婦でハイエースで出かけ、運転に疲れたらカーテンを閉めて

仮眠したりして静岡、山梨など近場に日が日帰りで行くようになった。


 3月の桃の花を見に山梨に行ったり4月に静岡の沼津、三島から見る富士山

を写真に撮ったりして楽しんでいた。そうして1998年を迎えて、7月から

8月の2ケ月間、立山輝一がシアトルの大学に短期留学するので輝一の小遣い

とアルバイト代を足した50万円と同額を両親が渡して総額百万円で2ヶ月の

米国留学に出発した。8月30日、日本に帰ってきてシアトルの食事が

美味しいので本当に良かったと言い、町の雰囲気も良くて、また、社会人に

なっても、シアトルなら行きたいなと話していた。1998年10月を過ぎる

と就職を前にした会社説明会に出かける日が多くなり、就職先の候補をNTT、

ドコモ、KDDIターゲットにしたが。1999年に入り、受験の手続き

書類を出す段階でドコモとKDDIに絞り込んで、2社に選考のための書類

を提出した。


2001年3月に試験を受けて両者から内定の通知をもらい、最終的に

KDDIに入社することを決め、KDDIの研修に出かけていき、

2001年4月にKDDIに入社しネットワークの開発部に配属された。


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