第54話 シャルルマーニュことカ-ル大帝について
西ヨ-ロッパ史最大のフランク王国を統一した、西洋史上最も重要な人物であり、ヨーロッパの父とも呼ばれているカール大帝が、フランス語ではシャルルマーニュ(Charlemagne)、ドイツ語ではカール・デア・グローセ(ドイツ語Karl der Große)であり、また英語ではフランス語綴りを英語読みでシャーレメイン、または英訳してチャールズ・ザ・グレート(Charles the Great)、そしてイタリア語でカルロ・マーニョ(Carlo Magno)、ラテン語ではカロルス・マグヌス(Carolus Magnus)と各国言語でそれぞれ呼ばれているのは、このフランク王国がフランス、ドイツ、イタリアなど、現在の欧州の心臓部を形作る国々の礎となった国々を含む西ヨ-ロッパを最初に統一した王国だったからである。
フランク王国最初の王朝メロビィング家の実力者であったエリスタル伯ピピン(カール大帝の曽祖父で通称 中ピピン―ちなみに中ピピンの祖父は大ピピンと呼ばれている)、彼の庶子カ-ル・マルテルが頭角をあらわし、720年に全フランク王国の宮宰となり、史上有名なトゥ-ル・ポアティエの戦いでイスラム教徒を撃退する。
政治手腕に長けていた息子ピピン3世(小ピピン)が、当時西ローマ帝国が滅びた後、後ろ盾を失い苦境に立たされていたローマ教会の教皇ザカリアスと手を結び、751年にメロビィング朝からフランク王国の国王の座を奪うことに成功し、ここにカロリング朝が誕生したのだ。
この王朝の名前はカール大帝の名をとってあとにカロリング朝とよばれることになる。
786年にこの父ピピンが亡くなった時、カ-ルは26歳であり、弟カ-ルマンと共に王国を分割統治することとなる。
カ-ルは水泳や狩猟をよくし、たぐいまれな馬の乗り手であったそうで、子供のころから厳しい生活を送って身体の鍛錬にはげみ、父王ピピンの実戦にも参加して、父に対しては深い敬意を払い、母に対してはひたすら素直な少年だったらしい。
というのも母ベルトは通称「大足のベルト」と呼ばれているのだが、非常に才媛の上、いいお母さんだったようで、父からは「王者の道を」、母からは「宮中のこまごましたことを」学んだ、と言い伝えられているそうだ。
分割した領土(カールは王国の主要部分)の問題で弟カ-ルマンとの対立も母ベルトが間に入って調整するなどしたようである。
カ-ルは生涯5人の妻を持ち、庶子にいたっては20人前後だということだが、フランク王国長年の敵であったランゴバルト王国(ゲルマン系のランゴバルド族による王国で現在のイタリアにあたる地域)の王女とカールとの政略結婚を画策したのも母
ベルトだったそうだが、母の望んだ平和的解決にはならず、最終的にはこの王国もカールに滅ばされ、征服されることとなる。
弟カールマンが771年に早世し、それ以降の43年間、カールは70歳すぎで死去する
まで単独で王国を統治する間、カールの生涯の大半は征服の旅で占められていて、
46年間の治世のあいだに53回もの軍事遠征をおこなっていたので、首都をパリからア-ヘンに変えたものの、キエルジ-からメッス、フランクフルト、ランス、バ-デンボルンと居所をかえたのだそうだ。
大帝カール本人だけではなく、宮廷そのものが、1箇所に留まらずに常に国内を移動していたのは、絶えず領内を移動して、伯との接触を確保する必要があったからでありまた、道路の整備も不充分で、各地から食糧などの生活物資を宮廷まで運ぶ輸送手段がなかったため、宮殿中のたくさんの人が長い間食料となるものを調達し続けることが困難だったので、違う場所に移動せざるを得なかったということなのだが、そんな逸話からも当時の人々の生活に思いをはせることができるのではないだろうか。
人生の大半を遠征に使い、戦いに明け暮れ、カール大帝の領土はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域(今日のドイツ・フランス・イタリア・スイス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク、チェコに相当)に及び、この地域を統一支配した空前絶後の大国家を支配したカ-ルだったが、生活はつつましく、飲酒を好まなかったため、彼の宮廷では宴会もほとんどひらかれなかったそうだ。
彼は当時の国際語だったラテン語は話したのだが、読み書きは苦で、"KAROLUS"の7文字を組み合わせたものが彼のサインだったのだが、彼自身では中央の菱形の中のⅴのような一筆だけしか書いていなかったとか。
ラテン語とギリシャ語は勉強のかいあって話すことはできるようになったということだが、彼の母国語はといえば、古フランク語というものだったそうだ。
フランク人はもともと現在のオランダやフランドルのあたりに住んでいたゲルマン民族で、南に進出してフランク王国を建てたそうで、カール大帝は現在のベルギ-のリエ-ジュ近郊で生まれたといわれている。
この古フランク語というのは、古いドイツ語・オランダ語のようなものと考えるとわかりやすい。
古フランク語は後に英語やフランス語はじめ、なんとラテン語にまで大きい影響を与えたのだということだが、当時のフランク王国はいかんせんイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域を統一支配した大国家だったことを考えればその影響力の大きさは相当なものだったということなのだろう。
以上、憧れのカ-ル大帝について簡単に書かせてもらった。
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