第40話 リンブルグ公国とは

数日前、ベルギーへ行く機会があったので、リンブルグの名前の由来はそこから来たという、ベルギーのリエ-ジュ州のその小さなランブール村(フランス語のリンブルグ読み)へ行ってきた。


村自体は34,63 km²、現在の人口は5,680人ということで、本当にあっという間に通り過ぎてしまうくらいの小ささなのだが、丘の上になんとも素敵な建物が見え、そのまま車で行ってみると、丘の上にはまた小さな村、そして教会があった。

これが実はこのリンブルグ村の中心部であり、古い建物もほぼ完全に保存されているとのこと。


元は要塞だったその丘のサン・ジョルジュ教会前の小路はなんとも中世的な細かい石の石畳が続いていて、その日は何かのイベントで中世風の衣装をつけたご婦人方が何人も歩いていて、まるで中世の世界にタイムスリップしたかのような気分を味わった。

教会前の広場には村の人達も20人くらいしか人もいなくて、私はカフェに入り、カカオを飲んでいたのだけれど、そのカフェにも数人のお客さんがいた程度だった。


私自身はこの村がリンブルグ公国の名前の由来になったということで、こんな小さな村が…と、感慨深い気持ちになったのは、なぜならリンブルグ公国という名前は今までも何度も耳にしたことがあり、

「一体どんな公国だったんだろう」と、もともと興味があったからだ。


その昔リンブルグ公爵の所領はリエージュ州北部から、現在のベルギー・オランダの両リンブルフ州、さらに現在のドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州の一部にまたがっていた広大な地域だったということで、そのため今でもリンブルグという名前は、ベルギーとオランダにそれぞれその名前の州があり、ドイツにもリンブルク・アン・デア・ラーンという名前の町があるのだが、そういうわけでこの地域がリンブルグ公国に関係があったということが想像できる。


また今でもリンブルグという名前は、


1.発祥の地 リンブルグ村(リエージュ州・州都リエージュ フランス語のワロン地域)

2.リンブルグ州(ベルギーの1つの州・州都はハッセルト フラマン語のフランドル地方)

3.リンブルグ州(オランダの1つの州・州都はマーストリヒト)

4.リンブルク・アン・デア・ラーン(ドイツのヘッセン州の町で面積は45,15 km²、人口35,000人の町、州都はヴィースバーデン)


と、ベルギー、オランダ、ドイツにそれぞれ4つの違う地域や町や村に名前が残っているのだ。


もともとリンブルグ公爵家のリンブルグ城は、1020年頃にフレデリック2世が古い王室の領地バーレンのヴェーザー渓谷(発祥の地の近くの川)にリンブルフ城を、中世の要塞城として建てたのが最初なのだという。

その後、1280年の最後の公爵と1283年の相続人の死後にリンブルクの継承権争いが勃発し、ボーリンゲンの戦いにおいて、その勝者であるブラバント公爵がリンブルグ公爵の称号を獲得、またブルゴ-ニュ(ブルグンド)公国、その後はドイツ神聖ロ-マ帝国領に属し、ゲルデルン公国、ユーリヒ公国、リエージュ司教領、ケルン大司教領によって分割統治されていた一帯でもあった。


また1549年ドイツ神聖ロ-マ皇帝にしてスペイン王のカール5世によって、ネーデルラント17州がハプスブルク家に統合され、ナポレオン時代にはフランス帝国に併合された後、またその直後のウィーン会議にて1815年にはネーデルラント連合王国領となる。

ところが1830年に今度はネーデルラント南部諸州がベルギーとして独立すると、リンブルグはベルギーの支配下に置かれるのだが、それからまた1839年にはリンブルグの東側半分がオランダ領、西側半分がベルギー領として分割されることになるという大変複雑な公国でもあった。


実はリンブルグ公国を代表する街でもあるマーストリヒトとリエージュはオランダ・ベルギーという違う国でありながら良く似た街並みで、なんとなく不思議に思っていたのだが今やっと私にもその理由がはっきりとわかった。


しかし何度も色々な国に支配された後、やっとオランダ・ベルギーに分割されて現在の状態になったものの、オランダ側のリンブルフは、1866年まで「リンブルク公国」の名でドイツ連邦に属していて、「公国」の名は、その後も1906年まで州の公式名称であったというのだから、今の私達が「リンブルグ公国」はどこか懐かしい響きの名前と思うのも無理はないのかもしれない。

100年前までこの公国は名前としては残っていたということなのだから、それほど大昔という話ではないということだ。


ただリンブルグ公爵家の血筋は1280年には途絶え、実際には色々な公爵や司教区、また色々な国に支配されていたため、その実態は簡単には説明できないのだろうし、また非常に複雑でわかりにくいものの、近郊の権力者達が手に入れたい魅力ある国だったということは間違いない。


リンブルフ公国は、ヒースや荒れ地の森林地帯(南東部のヘルトゲンヴァルト)の大部分から成っていたが、14世紀に繊維産業が、陶器は15世紀から栄え、公国をはるかに超えて認知されていた。

また同じ頃15世紀には、豊富な鉱物資源(鉄鉱石、鉛、ガルメイ)の普及が始まった。鉛とガルメイの特に豊富な鉱床は、前政権の終結後、プロイセンとオランダの両方から非常に求められ、前回の「中立モレスネット」の成り立ちとなる、非常に魅力的な場所でもあった。


またこの地域は美しい景観の街が多い。気候は北方地方と違って昔でも多少は温暖であり、冬もそれほど厳しくはなかったことだろうし、もともとロ-マ時代のベルギカの道(ローマからケルン方向に来て、現在のベルギー、オランダ辺りを抜けてイギリス・大西洋方向へ抜ける道)にもかぶっている辺りなので、ヨ-ロッパ人には馴染みの深い愛着を感じる地域のひとつだったのかもしれない。


ということで今回はリンブルグ公国についてあれこれ書かせてもらいました!

長くなり失礼致しました!



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る