第28話 ユダヤ教の面白い決まりごと その1
あんまりイスラム教のことばかりになってしまったので、今回は少し目先を変えてユダヤ教について私が見聞したことについて書こうと思う。
今から約30年前、私が日本で初めてドイツ語の勉強を始めたときの先生がユダヤ系フランス人だったのだが、現在残念ながらユダヤ教の友人はいないので、昨年ユダヤ教の礼拝堂シナコーグの見学会へ行った時にラビ(ユダヤ教の神父様)から聞いた話を書きたいと思う。
もう1年以上前のことだが、ケルンと言うドイツでも4番目に人口の大きい街にある、シナコーグでの勉強会へ50人くらいのドイツ人と共に参加する機会があったのだ。
ケルンとは昨年にはヨーロッパ最大のイスラム教の礼拝堂モスクも建てられ、トルコのエルドアン大統領も開会式に来た街だ。
私自身は以前にも近郊の小さな村のユダヤ博物館へも行ったことがあり、その時も勉強会ということで、実に様々な人が来ていて非常に興味深かった経験があり、どうしても一度本当のシナコーグへ行ってみたかった。
なんせその時のお客様の中にはカトリック教会の神父様、イスラム教徒の方、その上近郊の町のフリーメーソンの代表者なども来ていて、まさにこの4人が談笑している場面に出くわした際には
「わーお、異教徒同士の懇談会!」と、そばで微笑ましくなったことを覚えている。
なぜなら、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の人達が一緒というのもなかなか珍しいのだが、フリーメーソンも負けてはいない。フリーメーソン自体は長年にわたってキリスト教会から目の敵にされてきていたという歴史があるので、その4名は
「あちらを見てもこちらを見ても天敵同士!」みたいな構図なわけだが、今は中世ではないので、皆さん本当に和やかに楽しそうにお話しておられた。
そしてこの大きいケルンでのシナコーグではまず礼拝堂見学だったのだが、本来は女性と男性は同じ場所に入ることはできず、男性は広々とした1階、女性は2階のこじんまりした場所からミサに参加するとのことで、でも今回は勉強会ということで男女全員一緒に1階に入室が許され、ラビのお話を伺った。
ただひとつ中に入る際には、必ず着帽が義務付けられている。
私は中へ入れないと言われるのが嫌できちんときれいな帽子をかぶって行ったのだが、その日来ていた多くのドイツ人女性はあまりかぶっていなかった。
でも男性は全員かぶっていた、前もってそのようにお達しが来ていたからだ。
通常キリスト教の教会では女性は帽子をかぶったまま入室できるが、男性は脱帽しなければならない。しかし、シナコーグは逆に帽子をかぶってしか入室を許されない。
それは何故かご存知だろうか?
カトリックの教皇様が頭の上にちょこんと載せるようなかわいい帽子をかぶっているのを見たことがあるだろう。
あれは初代教皇であるとされるペテロがイエス・キリストの友人であるという考えに基づいて、ロ-マ法王様はペテロの後継者として、教皇と枢機卿、大司教、司教は着帽を許されているものらしいのだが、ユダヤ教ではむしろ神様は自分達の親しい友人という意味から、親愛を示すために着帽を義務付けられているのだという。
反対にキリスト教では尊敬を表すために、教会入室には脱帽するのが決まりなのだが、ユダヤ教では逆に脱帽している状態が敬意を欠くことになるのだそうだ。
キリストも弟子達も皆もともとはユダヤ人でユダヤ教だったわけだから、やはりユダヤ教だった一番弟子のペトロの姿をそのまま法王の姿に模倣したのがキリスト教であり、一方ユダヤ教は昔からの形態のままに全員が着帽という感じなのだろう、なかなか興味深いことである。
少し長くなったので、そこでラビに聞いた少し変わった決まりごとについては、次回への続きとさせてもらう。
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