昨日、伽羅様がカトリックと知り心を痛めました。
恐らく私のツイッターや小説「戦うエリザベス」もそうですがカトリックを悪し様に表現する箇所があるんで気を悪く、いや、受け入れらないと思われてるのでは?と
学生時代米国人の教授に改宗を勧められた事があります。立派で尊敬できる先生でした。しかし正月に商売の神様である大阪の今宮戎の笹をもっていくと、先生は悲しい顔で怒りました
そこでキリストが非寛容であると初めて体感したのです。もしかしたら、それがなければ私も改宗してたかもしれません。でもカトリックではなく、カルヴァン派でしょうが(苦笑)
イスラムは行動に神が宿るとしてます。心は関係ないのです(乱暴にいえば)。決まった通りに礼拝し、行動すれば神がいるのです
それに対して、キリストは心だと思います。心は何を考えているのか?他人では分かりません。ところがこの先生は分かるというのです。神も見ているし、人間というのは顔を見れば分かるというのです
私は危険だと思いました。キリスト教は、他人が見て、もっというと聖職者が見てこいつは異端な思想をもっていると判断すれば処刑もできたのです。18世紀までは
それがのこっていたでしょう
ここまでで、イスラムとキリスト。どちらが健康的か?と問われれば、イスラムかも知れません。不愉快に思われたらすみません。でも正直にお話ししたいので。
でも、今はカトリックも変わりました
勉強不足ですがヨハネ・パウロ2世の第二バチカン公会議関連の書籍を読み漁りました
カトリックも正式に寛容さを備えて今にあると感じてます
その歴史をまっすぐに見る為に私はツイッターや小説でこれからもカトリックの事を正直に表現したいと思います
日本人は宗教を知らない、いや、正確に言うと一神教であるユダヤ・キリスト・イスラム(どれも同じ神様なのに争っている事)に苦しんでる歴史がない
だからダメではなく、恥じる事もない。でも、西洋の方とお話する時には、相手の事実・歴史を体感して知らなければ真の会話ができないのではないか?と
思ってます
多く書き過ぎました。書き過ぎて、誤解を招く事、不愉快な気分になられたかもしれません
伽羅様の信仰を尊重してます。
尊敬する伽羅様にはしっかりとお伝えしようと思いました
作者からの返信
「尊敬する」だなんてくすぐったくなるのでやめて下さい。私なんてこんなにイスラム教徒のことを悪く言う、実は差別主義者なのかもしれないですね。
宗教の問題はものすごく難しく、私にはやはり日本の「八百万の神」が一番性に合っているように思います。多分教会とマリア像が好きなだけで、キリスト教の神様を本当に信じているかと聞かれたら、多分答えは「No」でしょう。キリスト教の神様のため踏み絵など間違ってもできませんが、そもそもどの神様のためにも出来なかも知れず、宗教心もかけらもないようにも思います。
そうそう、その米国人の教授のようなそういう非寛容な方もその宗教にもいますよね。私は子供時代のシスター達が「頂上へ向かう山の道は色々ある」という言葉がなければ決して洗礼を受けなかったと思うので、やはりそもそも日本の「八百万の神」が根底にあるので、本当のキリスト教徒ではないかと思います。
なので、商社城さまでも他のどなたでもキリスト教を批判している方に悲しくもならないどころか、魔女裁判はじめ、植民地政策時代の宗教勧誘のやり方には腹ただしい思いが強いです。世界で一番悪いことをしていた可能性さえ、過去にはありますよね、残念ながらそれも真実なので、商社城さまのお考えも全く否定できません。
何となく、欧州に生まれ育たないと一神教については理解できないんだろうなー
と、様々な宗教ごちゃ混ぜでも全然違和感の無い日本人的無宗教者は思います(笑)
やはり八百万の神々が根っこにあるのは大きいのかな。
作者からの返信
逆に考えると、欧州やアラビア諸国で生まれたわけもでもなく、またキリスト教やユダヤ教、あるいはイスラム教の家庭に生まれ育っていないのに、一神教を本当に信じることができる日本人の方は逆にすごいなと思います。これは良い意味というよりは、悪い意味の方でですが……。
灰山さんもおっしゃられる通り、私達日本人の根底には八百万の神があり、それが悪いことでもなければ、そのせいで無宗教とは私は思いません。
日本人も様々な局面で神様や仏様に手を合わせ、宗教行事も日頃の生活でたくさんしていますよね。
日本人は無宗教的でもないですし、実に寛容で八百万の神を受け入れ、亡くなった人は仏様になると手を合わし……そう考えると、実はこれこそ真の宗教と言っても良いのではないだろうか、と最近思いました。