第70話 エピローグ 初恋と幽霊

 冷たい風が頬を撫で、ブルリと少しだけ身を震わせる。もう4月だと言うのに、今日は少しだけ冬が逆戻りしてきたみたいだ。

 啓太が墓地に入ると、一つのお墓の前に立つ藍の姿を見つけた。藍はそのお墓の前にしゃがみ込み、そっと手を合わせる。このお墓は、優斗のものだ。

 音を立てないようにそっと近づくと、呟くような彼女の声が聞こえてきた。


「ユウくんがいなくなってから、もうすぐ半年が経つね」


 文化祭があったあの日、藍達と啓太、それに大沢や松原がステージで演奏したあの日、優斗は光となって藍の目の前で消えた。生前、この世に残していた全ての未練を晴らして、無事成仏していった。

 当たり前のことだが、あれ以来優斗は一度も姿を現してはいない。それでもふとした瞬間、どこかにいるのではないかと探してしまう事がある。それくらい、優斗が幽霊になってから消えるまで、そばにいるのは当たり前になっていた。


「だけどなんだか、今でも近くにいるような気がするよ。もしかして、今もどこかで見ていてくれてるの?」


 普通に考えれば、幽霊として現れ半年間一緒にいたのだって、十分にありえない出来事だ。それなら、あの世から見ているくらいあってもおかしくないだろう。


 そんな事を思っていると、油断したのかつい足音を立ててしまった。それに気づいた藍が振り向き、二人の目が合う。


「よう、来てたのか」

「三島――――」


 藍は少しだけ驚いた顔をしていたが、啓太がここにいると言うのは、そうおかしな話じゃないだろう。この墓のあるお寺は、彼の家でもあるのだから。


「お邪魔してるよ。ユウくんに報告をしてたの。明日から二年生になりますって」

「だいたいわかるよ。今日で春休み終わりだし、そろそろ来るんじゃないかって思ってたよ」

「そうなの?私ってそんなに分かり易いかな?」

「ああ。少なくとも、先輩の事に関してはな」


 藍は何だか納得のいかない様子で首を捻るが、こうも自信たっぷりに言われてしまっては返す言葉が無いのか、それ以上は何も言わなかった。

 それから改めて優斗の墓に向かって手を合わせると、その隣で啓太も同じように手を合わせた。

 小さく話す藍の声が、はっきりと耳に届いている。


「明日から新学期が始まって、私たち二年生になるんだよ。ユウくんと同じ、二年生に」


 優斗とは七つもあった年の差。かつて小学生だった啓太にとってそれはあまりにも大きくて、どうやっても追いつけないくらい大人に見えた。なのに彼が幽霊として現れた時、その差は僅か一つにまで縮まっていた。そして明日からは、生前の彼と同じ高校二年生になる。

 死んだ人間は年を取らない。当たり前の事なのに、こうして段々と追いついていき、ついには並んでしまった事に、なんだか不思議な気がしてならなかった。


「すぐに新入生に向けた部活紹介があって、去年みたいに三島と一緒に演奏するんだよ。今年こそ、入ってくれる子がいたらいいな」


 そこまで言うと、藍は再び手を合わせ深く頭を下げる。もうこの世にはいない彼に、この言葉が届いていると信じて。

 これにて報告は終わり。時間にすれば、ほんの数分程度の短いものだ。それでも、そばでそれを聞いていた啓太にとっては、何だかすごく長い時間に思えた。


「終わったか」

「うん――――」


 報告を終え、藍が墓を背に歩き出すと、自然と啓太もその隣に並ぶ。そして藍の自転車を置いてある駐輪場に向かって、一緒に歩き始める。

 途中、藍が不思議そうな顔でこちらを見る。何か話でもあるのかと言いたげだ。だが啓太は未だ一言も喋らず、無言のままついて行く。だが駐輪場の前までやってきた時、今まで閉じていた口をようやく開いた。


「なあ、藤崎。先輩の事、まだ好きか?」

「えっ…………」


 突然の言葉に、声が出なくなる藍。とても驚いているのが見ているだけでわかるが、それでも文句の類は一切言ってこなかった。

 もっとも啓太としては、ここでそんなことを言われても困るだろう。彼も、決して面白半分で聞いているのではないのだから。


 こんな風に向き合っていると、かつて告白した時の事を思い出す。文化祭直前に、ずっと好きだったと伝えたあの告白だ。結局それはキッパリと断られて、それ以降啓太も一切話題に出さなかったが、藍はその一件をどう思っているのだろうか。

 だが今は、そんな疑問を懐いている場合ではない。大事なのは、今の質問に藍がどう答えるかだ。

 少しだけ間が空いて、それでも藍はハッキリと答えた。


「好きだよ。そりゃ、ユウ君はもういないし、いつまでも引きずってちゃいけないから、どこかでけじめはつけるべきだと思う。でも、今はまだユウくんのことが好き」


 果たして、それがいいことなのかは分からない。相手がもうこの世にいない以上、本当はとっくに気持ちを切り替えなければいけないのかもしれない。それでも、無理に自分の気持ちを曲げてまで切り替えようとは思わなかった。


 そんな藍を見ながら、フッと、啓太の口から力の抜けるようなため息が漏れた。


「いいんじゃねえの。無理やりどうにかしようって思ってできる事じゃねえしな」

「そ、そうなのかな?」


 それは啓太にとってあまりにも予想通りの、そしてあまりにも藍らしいと思える答えだった。


「お前が散々初恋を拗らせてるってのは、とっくに分かってるからな。今更俺がどうこう言う気はねえよ」

「別に拗らせてるわけじゃ……」


 無い。とは言い切れないだろう。何しろ小学生の頃から好きで、彼が亡くなってからも、幽霊になってからも、成仏して消え去った後も、それはずっと変わらなかった。これで拗らせていないわけがない。

 そんな事を言われて心中複雑なのか藍は眉間にシワを寄せて悩んでいる。その仕草が、何だか妙に可愛く思えた。


「だから、いいんじゃねえのって言ってるだろ。ずっと好きだったんだから、そう簡単に忘れろって方が無茶だろ」

「――――そうかもね」


 笑いながらそう言うと、藍もつられて息をつき、少しだけ空気が軽くなる。だけど啓太にしてみれば、これからが話の本番だった。

 藍に悟られないよう小さく息を吸い込み、できるだけさり気ない感じで次の言葉を続けた。


「相手がいなくなったって、一回告白してフラれたって、すぐには忘れられねえよ。散々初恋を拗らせてるのは、俺だって同じだからな」

「えっ⁉」


 せっかくさり気なく伝えようとしたのに、どうやらそんな小細工は通用しなかったみたいだ。そのセリフが出た瞬間、藍は思わず身を固めていた。

 啓太の言っている、相手がいなくなったというのは、当然藍と優斗の事を指している。それと同じように、一回告白してフラれると言うのも、もちろん具体的な誰かを指していた。


「ねえ、それって……フラれたって、いったい誰の事を言ってるの?それに、初恋って……」

「俺の事。去年、藤崎に一度フラれてるだろ。俺の初恋は藤崎だよ」

「なっ――――⁉ ちょ、ちょっと待って。それってつまりどういう事?」


 藍だって、これはだいたい分かっていただろう。それなのにこんなにも声を上げるのは、啓太の真意が分からないから。どうして今になってそんな事を言うのかは分からないから。

 だからもう少しだけハッキリと、伝えたい言葉を口にする。


「俺がまだ、藤崎を好きだってことだよ」

「――――っ⁉ 三島、どうしちゃったの。そんな事言うキャラじゃ無かったじゃない。それに告白はもう……断ったし……ユウくんが好きって言ったばかりだし……」


 半分パニックになってあげたはずの声が、だんだんと力を失っていくのが分かった。いくら一度伝えたとはいえ、この状況でもう一度、断るとか優斗が好きだとか言うのは躊躇われるのだろう。


「フラれたのにまた告白なんて、自分が自分でもカッコ悪いことしてるって分かってるよ。でも仕方ねえだろ。藤崎の事、まだ好きなんだからよ」

「でも……」


 思いがけない告白に、藍はただただ狼狽するだけ。だが実は、啓太もまた顔を赤くし、握る手はわずかに震えていた。彼もまた緊張していた。これは決してふざけてでも冗談でもない、れっきとした二度目の告白なのだから。


 だけど、藍がこの気持ちには応えらないのは分かっている。彼女が優斗を好きである以上、ここで啓太に告げられる言葉は一つしか無かった。

 だから――――


「ごめん三島。でも、私やっぱり……」

「待った」


 躊躇いがちに、それでも放とうとした言葉。だがその前に、先手を打つように啓太がそれを止めた。


「返事は聞かねえよ。今のままじゃ、答えなんて分かってるからな」

「それじゃ、どうしてあんな事いったのよ?」


 それを聞いて尚更狼狽える藍。それはそうだろう。また好きだって言って、返事を聞かないって言って、これではいったい何がしたいのか分からない。だがそれでも、啓太には啓太なりに、ちゃんと伝えたい思いがあった。


「知ってほしかったんだよ。俺が今でも藤崎の事を好きなんだって。俺、ずっと先輩に勝ちたいって思ってた。いつも藤崎の一番だった先輩に。結局、最後まで敵わないまま勝ち逃げされたけどな」


 本当は、一度断られた時、確かに諦めようとした。藍の言葉を借りると、この気持ちにけじめをつけようとした。その一方で、優斗はもういないのだからと言う考えが頭をよぎり、そんな自分を嫌悪したりもした。

 だけどどんなに悩んでも、結局いつも最後はここに戻ってきてしまう。


「やっぱり藤崎の事簡単には諦められねえし、先輩にもいつかは追いつきたい。だからこれは、そのための宣戦布告みたいなもん。藤崎にも、先輩にも」


 今の自分では、まだ敵わないのは分かっている。だけどこれからなら、もっともっと時間を重ねていけば、あるいは変わってくるかもしれない。いや、変えてみせる。そんな思いを込めた、二度目の告白だった。


「ちょ、ちょっと待って。でも――――」

「返事は聞かねえって言っただろ。それだけじゃなくて、待ってとかも無しな」

「そんな。三島、イジワルだよ」

「忘れたのかよ。俺は元々イジワルだったぞ。小学生の頃からそうだったろ」


 そんな事を言って思い出すのは、かつて毎日のように藍に対してイジワルを続けていた自分の姿だ。同時に、その度に優斗に諫められていた事も思い出す。我ながらバカな事をしていたものだ。


「それとも、好きでい続けるのもダメか?」

「……その言い方、ズルくない」

「ズルいよ。けど、なりふり構ってられないからな」


 もし小学生の頃の自分が、変な意地なんて張らずにもっと優しく出来ていたら。もし優斗が亡くなってから幽霊になるまでの間、この気持ちを伝えていたら。そんなもしもを何度頭の中で描いただろう。

 それは、すでに取り返せない過去の話。だから今度こそ、自分の気持ちに蓋をしたまま隣にいるだけなんて嫌だった。藍が優斗への想いに本当にけじめをつけたその時、振りむいてくれるような自分になりたかった。


「どんなに経っても、三島の気持ちに応えられるかなんて分からないよ。ユウくんの事ずっと忘れられないかもしれないし、もしかしたら全然別の人を好きになる事だってあるかもしれない」

「ああ。もしそうなったら、すっげー悔しいだろうな。だから、そうならないよう頑張ってみせるよ」


 口では強気にこんな事を言いながら、内心は心臓が壊れるくらいに緊張している。

 自信なんてないし、明日からどんな顔をして話せばいいかも分からない。部活で二人きりになったりしたら、絶対変な空気になるだろう。

 だけどそう思いながらも、この溢れる思いを伝えられずにはいられなかった。


『なあ先輩。もし俺と藤崎が本当に付き合ってたとしたら、どうしてたんだ?』


 ふと、かつて優斗に言った言葉を思い出す。藍に告白を断られた後、それを伝えた際に言った言葉だ。

 結局優斗は、それには何も答えてはくれなかった。だが実は、その後にこんな事を言われていた。


『こんな時に言う事じゃないかもしれないけど、俺には三島が少し羨ましい。これから先も、藍の近くにいられるんだからな』


 何だよそれ。その時はそう思った。何しろこっちはフラれた身だ。それで傍にいられる事に、いったいどれほどの意味があるだろう。


 優斗が何を思ってそれを言ったのかは分からない。だがそれでも、まだ先があるなら、藍の隣にいる日々がこれからも続いていくなら、もう一度くらい挑戦してみても良いかなと思った。

 優斗も藍を好きであった以上、まさかそんな意図で言ったわけじゃないだろう。だがもし優斗が自分の立場にいたなら、きっとそう簡単には諦めないような気がした。何しろ、幽霊になってまで再び藍の前に現れた奴なのだから。


 だから自分も、そう簡単には諦めない。この初恋を、まだ終わらせたくはない。


 こんな風に言うと、何だか優斗に触発されたみたいで癪だが、事実その通りなのだろう。藍がそうであったように、自分もまた優斗がいた事で何かが変わった一人なのかもしれない。

 そんな事を思いながら、ここにはいない恋敵に向かって、ずっと幽霊として近くにいたアイツに向かって、もう一度宣言する。


(先輩。いつか絶対に、あんたを追い越してみせるからな)



                             初恋と幽霊  完

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初恋と幽霊2 ラストソングをあなたと 無月兄 @tukuyomimutuki

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