ACT118.7 彼女達が最も時を過ごした場所とは?


「ふぅ……」


 午後三時。

 文化祭一日目も終わりの差し掛かりといったところで、斎場さいじょう紫亜しあは、ついつい息を漏らしていた。


「紫亜ちゃん、ちょっと疲れちゃった?」

「え……あ、ご、ごめんなさい。そうかも知れません」


 そんな紫亜の様子を、二つ上の三年生であり、先日からお付き合いさせていただいている少女、拝島はいじま士音しのん先輩がいち早く感づいたようだ。

 拝島先輩、よく気がつく人なので、さすがに誤魔化せそうにはない。彼女のそんなところも素敵に思えるのだけど。

 それはそれとして。


「お互い、クラスの出し物が明日の担当だから、今日はずっと私と一緒に歩いていたもんね」

「はい。先輩と一緒でとても幸せでしたから、ついついハシャぎ過ぎちゃいました。えへへ」

「……そういう不意打ちを混ぜてくるのが、紫亜ちゃんの怖いところね」

「え? どういうことです?」

「なんでもないわ。ともかく、どこかお店で休んでいく? 確か、真白ちゃん達のクラスが喫茶店やってたはずだし、聞いた話、今の時間くらいに真白ちゃん達がシフトに入ってるらしいし」

「それもいいかも知れませんけど」


 確かに紫亜としては、別のクラスの友達である乃木真白にも会ってお話したいという気持ちもあるけれど。

 やはり、紫亜の思うことは。


「今日はずっと、先輩と二人きりで居たいです」

「そう? それじゃ、喫茶店以外で静かで落ち着けそうな場所といえば……ううん、中庭のベンチはやけに仲良さげなご婦人の二人が居るみたいだし……」

「そうですね」


 廊下の窓から外をに視線を向けると。

 拝島先輩の言うとおり、美人で快活そうな長身の女性と小柄でゆるふわな雰囲気の女性が、寄り添っているのが見える。

 少々ただならぬ関係のようにも見えるが、突っ込むのは野暮とも言うべきか。

 ともあれ、他に紫亜の思いつく限りで場所といえば……と思考を巡らせたところで、ふと、思い浮かんだ場所がある。


「先輩」

「ん、なぁに、紫亜ちゃん」

「先生に言って許可が出ればの話なんですけど、あそこに行きませんか?」

「許可? あそこ?」


 そして、そこは。

 紫亜にとっては、馴染みが深くて大切な場所でもあった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「ここに来るのも結構久し振りに思えるわね。私が引退してまだ三週間くらいだというのに」

「はい。ここに来るだけで、自然とインクの匂いが漂ってきそうな気がします」

「もうここで作業はしてないから、そんな匂いは残って……なくもないわね」


 紫亜ちゃんが休憩場所に指定してきたのは、図書準備室だった。

 文化祭の今日は、図書室は普通に解放されているのだけど、準備室は誰にも使われていない。

 ということで、私と紫亜ちゃんが図書委員の担当の教師に許可を取って、休憩に使わせてもらうことにしたのだ。

 それにしても、まさか私よりも先に紫亜ちゃんがここを思い浮かべるとは。それだけ、思い入れが深いのかな。


「立ちっぱなしも何だから、座りましょうか」

「はい」


 と、紫亜ちゃんは頷いて、作業に使っていた長机の、私達にとってはいつもの席に落ち着こうとしたんだけど、


「紫亜ちゃん」

「? なんです?」

「今日は、こっちに座らない?」

「え……あ……」


 そこでは、私の席の対面になるので。

 私はいつも使っていた席の隣に一つパイプ椅子を置いて、ポンポンと叩いて見せた。

 それだけで、紫亜ちゃんは私の言うことを察したのだろう。少々、頬を赤く染めながらも、


「そ、その、失礼しましゅっ」


 台詞を噛みつつ、私の指定した隣席に座って。

 そのまま、私の肩に頭を預けてきた。

 ……多分、さっき見たご婦人の二人の見様見真似だと思うし、それは私の望んだシチュエーションでもあるんだけど。


「……………………」


 なんだろう。

 すごいドキドキする。

 今までだって勉強を教える時なんかに紫亜ちゃんと席を隣にしてきたこともあったけど、こうやって、先日から恋人として彼女と付き合いだしてから、こういう風に寄り添って……巷でいうところのイチャつくという行為は初めてなだけに。

 私自身、緊張もするし、鼓動がどんどん早くなっていくような気がする。

 ……このシチュエーション、紫亜ちゃんはどう感じているのかな、と私が思ったところ。


「ごめんなさい、先輩」

「え、紫亜ちゃん?」


 紫亜ちゃんが静かに謝ってきたのに、私は少々ドキドキも忘れて、首を傾げたのだけど。


「まだ、先輩と一緒に住めそうになくて」

「ん……ああ、その話」


 次に出てきた紫亜ちゃんの言葉を受けて、私は心の中で納得した。

 先日の告白の時、私は大学への進学と共に紫亜ちゃんの家の近所のマンションで一人暮らしをすることになったので、紫亜ちゃんに一緒に住もうと提案した(ACT106.75参照)ことがある。

 ただ、紫亜ちゃんの親御さんとの相談の結果、紫亜ちゃん自身が高校を卒業するまで――つまり二年後までは許可が下りないと告げられてしまった。


「仕方ないわよ。私の我が儘みたいな提案なんだし」

「でも……わたしは、すぐにでも、先輩と一緒に住みたかったです」

「私もよ。でも、やっぱり親御さんの気持ちもあるから、ね。紫亜ちゃんは、二人のことをきちんと愛しているのでしょ?」

「はい。とても、大切に育ててくれましたから」


 例え近所とはいえ、娘が離れていくのは抵抗がある、という親御さんの気持ちも理解できる。

 ただ、紫亜ちゃんが卒業するまでという条件を付けるあたりは、娘の意志を尊重したいという気持ちも感じ取れる。

 総じて言えることは、紫亜ちゃんはいい両親に恵まれた、ということだ。

 ……私が会いに行って、紫亜ちゃんとお付き合いさせていただいてますって言ったらどんな顔をするかな、という不安もあるけど。

 そういうところも含めて、お互い、二年という心の準備期間が必要なのかも知れない。


「大丈夫よ。一緒に住めないといってもご近所さんになるんだし、いつでも会えるんだから」

「……そうですよね」

「だから、ゆっくり、私達は……その、愛を育んで行きましょう」

「…………」

「……紫亜ちゃん、恥ずかしいことを言った自覚はあるけど、いくら何でも無反応は……って」


 先ほどから微妙に紫亜ちゃんの反応が薄いので、私の肩に頭を預けている紫亜ちゃんをふと見ると。

 紫亜ちゃん、目を閉じて静かな寝息を立て始めていた。


「……まあ、疲れちゃってたもんね」


 息を吐いて、私は紫亜ちゃんの髪の感触を肩に感じながら、ゆっくりと図書準備室を見回してみる。

 私が図書委員になったのは、一年生の後半から。

 その時はこの準備室にはそこまで馴染みがなかったけど、二年生の前半に委員長になって、いろいろ個人的なことにも使わせてもらってからは、一気に思い出が増えた。

 自分の趣味である漫画の原稿作業、親友であり初恋でもある小森こもり好恵このえや、尊敬する後輩の姫神ひめがみナナキを始めとする様々な人達との語らい、三年生になってからの緑谷奈津の突然の弟子入り、そして――斎場紫亜。

 夏のあの日、図書室に私に会いに来て、告白してきて、彼女の可能性に興味を持って、そしてこの図書準備室で時を過ごすうちに、どんどん惹かれていって。


「好きに、なっちゃったのよねぇ」


 隣で寝息を立てる紫亜ちゃんのことを見る。

 紫の瞳は閉じられており、その寝顔は非常に穏やか。長い睫毛、少しだけ丸みのある頬、整った鼻筋に……少し薄いけどそれでも柔らかそうな唇に視線がいって、私の胸中は少し騒ぎ出す。

 私からの告白のあの時、流れでキスまで行きかけたけど、結局は出来ず仕舞いで。

 今の今まで、まだキスは出来ていない。

 だから。


「……紫亜ちゃん」


 この、思い出の詰まった、図書準備室なら。その初めてを迎えるのもいいかも知れない。

 そんな思いで、私は紫亜ちゃんの肩を優しく抱いて、その唇に近づこうとするのだけど。


「…………」


 進めない。


「……………………」


 緊張して、前に進めない。


「…………………………………………」


 あの時に行こうとした流れが、思い出せなくて、前に進めない。


「……あ~~~~~~~~~」


 気がつけば、顔どころか身体中に熱を持っていて、私はがっくりとなる。

 私が紫亜ちゃんに初めてハッキリとした想いを持ったとき(ACT91.7参照)に、それを口に出せなかった場面と同じだ。私の中のヘタレな部分が顔を出してしまった。

 本当にこれ、どうにかならないのかなという情けなさと申し訳なさで、紫亜ちゃんの顔をもう一度みたところ、


「ん……?」


 紫亜ちゃん、穏やかな寝顔ではなく。

 何故か顔を赤くしていて、しかも目がぎゅうっと閉じられていて、唇も小刻みだけどプルプル震えていて。

 ……これは、まさか。


「紫亜ちゃん、起きてたのっ!?」

「えっと……その、ごめんなさい」


 ぎゅうっとしていた目をおそるおそる開けて、こちらを見てくる紫亜ちゃん。可愛い。可愛いけども、和む余裕が、私にはない。


「ちょっと意識が飛ぶか飛ばないかの段階で、先輩がちょっと近づいてきたのがわかって、一気に目が覚めたというか……」

「も、もう! それならそうと言ってよ! 私、うっかり……いや、まあ、進めなかったけども!」

「そのぅ、なんとなく言い出せなくて。だって」

「? だって?」


 オウム返しに問いかける私に、紫亜ちゃんは、


「寝た状態なら、もしかしたら来てくれると思ってましたから……」


 そのように恥ずかしげに言うのが、これまたとても可愛くて。

 私はいろいろたまらなくなって、もう、紫亜ちゃんの顔を見ることが出来ない。

 この状態で、紫亜ちゃんの期待に応えることは、もう無理だと思う。


「なんか、ごめん……」

「いえ、その、今はわたしからも行けそうにないですので」

「言ってみれば、お互い様ってやつかしら」

「そうですね……」

「……でも」

「え……わっ」


 言って、私は紫亜ちゃんの小柄な身体を抱き寄せて、密着を強くする。

 これだけでもかなり緊張したし、ドキドキもしたけれど、私の中ではギリギリの許容範囲だ。


「せ、先輩?」

「これくらいなら、私でも出来るから。しばらく、こうしてていい?」

「……はい。それだけでも、とっても幸せです」


 そう言って、ゆったりと身を預けてくる紫亜ちゃん。

 彼女の存在を全身に感じながら、私は目を閉じてゆっくりと深呼吸。それを繰り返すことで、逸る気持ちはどんどん鎮まって、落ち着いた心地になる。

 この場で前には進めなかったのはちょっと残念だけど。

 紫亜ちゃんの言う幸せの通りに、今はこれでいいとも思えた。


 ――だって。


「先輩」

「ん?」

「これからも、ずっと、先輩のことが……その、でゃ、大好き、でしゅっ」

「紫亜ちゃん、噛んでる噛んでる」

「あうぅ……でも、だ、『大好き』の部分はちゃんと言えたから、まだいいと思いみゃしゅっ」

「まだまだ噛んでるけど……まあ、それもそうね」

「? 先輩?」

「私も、紫亜ちゃんのこと、大好きよ」

「……は、ひゃいっ!」


 こういう風に、時々ツメアマを繰り返しながらも


 私達の時間は、まだまだ、ずっと、続いていくからねっ。

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