ACT118.3 二人が、ちょっとだけやり直す時間とは?
「いらっしゃいませ……って、朱莉!?」
「あら、茶々様。今日はあなたがお出迎えしてくれますの?」
十一月の少し肌寒くなってきた正午前。
本日は娘の通う高校の文化祭当日と言うことで、仁科朱莉は娘のクラスである一年二組が出し物として行う、喫茶店に訪れていた。
出迎えてくれたのは、朱莉の遠縁の従姉妹の娘であり、昔からの友人でもある女の子、八葉茶々だ。
文化祭とは言え、いきなりの朱莉の来訪に、茶々は驚いたようである。
そして、
「いきなり来るなんてびっくりしたわ……それはそうと、そちらは?」
「初めまして、乃木美白ですっ。キミが噂の茶々様かな? 真白ちゃんからよくよく話を聞いてるよっ」
「乃木……って、えええええっ!? ま、真白の、お母様!?」
朱莉の隣にいる女性――朱莉の学生時代の後輩で、夫や娘と同じくらいに大切な存在、乃木美白の快活な挨拶に、茶々はパニックのあまり眼を白黒させたようである。
それもそのはず、茶々は美白の娘である真白に淡く想いを寄せているからだ。朱莉の娘である朱実や、付き人である紺本奈央にも懸想していることを朱莉は知っているのだけれども、それはそれとして。
「え、ええと、初めまして、八葉、茶々です。その、真白さんには、普段からお世話になっています……」
「そんなにも固くならないで大丈夫だよっ。真白ちゃんの言っていたように、堂々としてて良いからっ」
「む……そ、そうね。茶々としたことが、我を見失うところだったわ……コホン。乃木美白さん、会えて光栄よ。これからも真白さんとはいい友達付き合いをさせてもらうと嬉しいわ」
「おおぅ。エラそうなのに、それでいて言いしれない気品が漂っている。こりゃ、将来茶々様は大物になるねっ」
「……美白さんも『様』で呼ぶのね」
「真白ちゃんがいつもそう呼んでいるから、アタシもと思ってっ。ちなみに、アタシのことも美白で呼び捨てでいいよっ。アタシ、茶々様ともお友達になりたいからっ」
「躊躇なくグイグイくるところは、まさに真白のお母様ね。わかったわ、美白。これからもよろしく」
いきなりの初対面だけに、茶々は身動きが鈍くなっていたのだが、そこは美白の社交性。
茶々が緊張を解くのに時間はかからず、最後には握手まで交わして、すっかり友人関係を築いたようだ。
……そういえば、初めて会ったときも彼女はそうだった気がする、と朱莉は少々思い出に耽るのだが。
「とりあえず、席に案内するわね。朱実、二名様を三番テーブルにご案内したから、注文を取りに行ってあげて」
「わかりました、茶々様……って、お母さんっ!? しかも、美白さんまでっ!?」
娘の朱実もようやくこちらに気づいたようで、なんだかやけに落ち着かない様子である。
そんな可愛い可愛い娘達を見ると、
「なんだかこう、ちょっとゾクゾクするね」
「美白さんも、思いますの? ふふふ」
美白も同じことを思っていたらしい。
同じ思いを共有できた嬉しさと、昔の頃を思いだした懐かしさとで、美白と二人で席に着きながら悪戯っぽく笑い合う。
そんな様子を見て、我が娘の朱実は、
「……この前に面を合わせたのは知ってるけど、なんだか、すっかり仲良しさんだね」
「やだなぁ、朱実ちゃん。先輩とはもうずっと仲良しだよっ」
「そういうことですの」
「まあ、それはそれで、とてもいいことなんだけど……って、美白さん? 今、お母さんのこと、先輩って?」
「ん? そりゃ、朱莉先輩の方がアタシより一つ上だからねぇ」
「この歳でそう呼ばれるのもいろいろと違和感がありますが、まあ、美白さんのお好きなようにさせておりますの」
「うーん……?」
朱実、首を傾げて釈然としないようである。
娘達には、学生時代の朱莉と美白の関係をまだ明かしていないだけに、それも当然と言えようか。
別に隠しているわけでもなく、ただそこまで急いで明かす必要もなく、いつかは明かす時がくるのだろうけど。
少なくとも今ではない、というのが朱莉と美白の間で自然と出来上がった暗黙の見解だ。
「朱実ちゃん。この一日五個限定、ハートにクリティカルフィニッシュパンケーキ、まだ残ってる?」
「ああ、ええと。あと一個だけですけど、まだあります」
「じゃあ、先輩と一緒に半分こして食べたいから、それ注文ね。ものっすごいラブラブな感じでお願いっ」
「ら、ラブラブ……うーん、美白さんが言うと、冗談なのか本気なのかがわからなくなってくるような」
「いいじゃないですの、美白さんとのらぶらぶ」
「お母さんっ!?」
「わおっ。先輩、あーんしちゃう? しちゃう?」
「ふふ、いいですわよ。朱実、雰囲気たっぷりに仕上げてくるように、調理の方にお頼みしてください」
「いや、雰囲気たっぷりと言われても」
「朱実ちゃん、お願いお願いっ」
「お願いしますわっ」
「二人とも、なんでそんなにノリノリで、長年のカップルのように息ピッタリなのっ!?」
とまあ、二人の秘密が娘達に明かされるまでは。
娘の、こういう反応を楽しむのも、ちょっといいかも知れない。
そんなことを平気で思うあたりは、やはり、愛する彼女の影響なのでしょうか……などと、軽い雰囲気の裏でこっそり思う朱莉である。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「いやー、楽しかったねっ」
「そうですわね」
娘達のクラスを後にしてから、アタシは朱莉先輩と肩を並べて、賑やかな校内を歩き回っていた。
「それにしても、パンケーキ、本当にラブラブなデコレーションで出てきたねっ」
「ええ。あの気合いの入りっぷりは、さすがにわたくしも驚きました。それに味付けが、微妙にわたくしのものと似ていたということは」
「まあ、真白ちゃん作だろうねぇ。アタシの師匠が先輩で、真白ちゃんの師匠がアタシだから、やっぱり似通ってくるのかもねぇ。そういえば先輩は真白ちゃんの手料理は初めてだったと思うけど、どうだった?」
「あなたの教えを守って、それでいて素直さの伝わってくる、素敵なモノでしたわ。美白さん、いい教え方をしましたわね」
「……そこまで率直に褒められると、逆に照れちゃうなぁ」
いつも通りのゆるふわな先輩の笑みに、アタシはちょっと頬が熱くなる。
あと、教室を出る際に、奥から真白ちゃんがこちらに笑顔で手を振ってくれていたのを、アタシはしっかりと見ていたのだけど、それを思い出すことで……その、なんだ、また胸が温かくなっちゃう。
それらを、全部ひっくるめて言うと。
「幸せだなぁ……」
「見事に色ボケてますわね、美白さん」
「だってさぁ、娘の楽しそうな笑顔も見られて、なおかつ先輩と一緒に文化祭回ってるんだよ? 過去と現在の嬉しいことを二重で味わってるんだよ? 凄いとは思わない?」
「……確かに、そうですわね。学生時代、こうやって二人で学校の文化祭を一緒に回りましたものね」
ちょっと懐かしそうな朱莉先輩。
アタシも、今、鮮明に思い出す。先輩と一緒に売店で買い食いしたり、お化け屋敷で震える先輩を楽しく眺めたり、輪投げで先輩が景品を総取りしたり、静かな場所で休憩しているときに二人で隠れてキスしたり……。
「うむ。アタシの文化祭、先輩のことでいっぱいだよ」
「よくも恥ずかしげもなく言えますわね……と、言いたいところですが。わたくしも同意見ですわ」
「だから、最後の一年、先輩と回れなかったのは、めちゃくちゃ寂しかったなぁ」
「……それは」
そして、思い出すのは、アタシが高校三年生の最後の文化祭。そのとき、先輩はアタシの隣に居なかった。
確かに先輩とは一つ違いで、先輩はその時は生徒じゃなかったんだけど。
在校生じゃなくても必ず駆けつけます、と。
美白さんの最後の文化祭も一緒に回りましょう、と。
その一年前の文化祭の終わり際に先輩は約束してくれた。
でも、約束は守られなかった。先輩は卒業と共に、外国で暮らすことになってしまったから。
「ごめんなさい、わたくしは」
「ううん、怒ってるわけじゃないの。学生時代を思い出すとどうしても避けられないことなだけで、今こうやって先輩と会えてもいるから大丈夫」
「ですが」
「一年生と二年生の、先輩と一緒の文化祭はとても楽しかったから、アタシはそれでプラマイはないよ」
「ダメですわ。プラスではないと」
「お……先輩?」
と、隣で歩く先輩は、アタシの手をきゅっと握ってきた。指の一本一本を絡めて、力強く……言わば、恋人つなぎで。
「今この時だけ、わたくし達、学生時代に戻りましょう」
「い、いいんだよ、先輩。そんな、アタシのためにそこまで」
「美白さんのためだけではありません。わたくしのためでもあるのです」
「え……」
「わたくしだって。美白さんが三年生の文化祭のその時、向こうで約束を果たせなくて。とても、寂しい気持ちを抱えていましたもの」
「――――」
ちょっと恥ずかしげに、それでいて切なげな朱莉先輩の顔を見て、アタシはきゅんとなると共に、また胸が温かくなる。
ああ。
先輩も、アタシと同じ気持ちだったのか。
最後の文化祭を、一緒に回りたかったのか。
……だったら、
「改めて、一緒に文化祭、回ろっか」
「はい」
「さっき喫茶店いったばかりだけど、屋台で買い食いしようね」
「もちろん。まだまだイケますわよ」
「お化け屋敷も行こうね」
「それは気が進みませんが……美白さんと一緒なら、大丈夫ですわ」
「輪投げも行こうね、と言いたいけど、どこかでやってるかなぁ」
「あるといいですわね。あったら、景品総取りしちゃいますわ」
「それで……静かな場所で休憩して、隠れてキスもしようね」
「…………」
これには、先輩、ちょっとだけ考えたようだけど。
「――一度だけ、ですわよ?」
恥ずかしげに、応えてくれた。
最後のは、わりとノリで頼んだんだけど、まさかOKが出るとは。
ならば、楽しみがまた増えた気がする。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
朱莉先輩が握ってきた小さな手を、アタシは握り返す。
もうそれだけで、昔の感覚が甦ってきて、三年生の頃に抱いた寂しさがどんどん埋まっていって、学生の頃に戻れたような気分だ。
だから。
今、この時、この場を、ちょっとだけ借りさせてもらうことにしよう。
今日はつくづく、アタシにとって幸せな日になると思うよ。
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