ACT118 その人にとっての幸せとは?
「うーん、なんだか緊張するよ……」
文化祭が始まって、約一時間半。
校内が大きく賑わっているのに相反して、ここは静かな女子更衣室。
そこで、真白と朱実は、もうすぐやってくるクラスの出し物である喫茶店のシフトに備えて、黒木小幸に作ってもらった喫茶店制服への着替えを行っていた。
ただ、シフトに入るにはまだ時間が結構あるためか、今、この女子更衣室は真白と朱実の二人きりである。
あと、同じシフトの時間に入る茶々と奈央、桐子と奈津は、既に喫茶店の制服に着替えて、空き教室で茶々と桐子の接客練習をしているらしい。感心なことだと思う。
「朱実は普段から喫茶店でバイトしてるから、接客はもう慣れてるんじゃないの?」
「それはそうなんだけどね。バイトは結構のんびりとした空気で出来るんだけど、こういう文化祭は結構特殊な雰囲気だからかな……それに、ここまで本格的な服を着るとも思わなかったから」
「確かに、本格的といえば、そうかもしれないわね……よいしょっと」
たった今、白と朱のストライプのシャツに茶系のパンツ、『二組』とロゴのついたエプロンという制服に着替え終える真白。
朱実も同様に着替え終えて、
「似合ってる……かな?」
こちらに訊いてくる。
顔には文化祭特有の高揚感と同時に、ちょっとした気後れも存在しているようだ。顔も少々赤い。
それらを総評すると、
「うん、大丈夫。――可愛いよ」
この表現しかあり得なかった。
「シロちゃん、いつも以上に眼がギラギラしているというか、近い近い近いっ!」
「可愛い制服に可愛い朱実、可愛さ二倍どころか二乗を軽々しく超えていくわね」
「言っていることの意味がわからないけど、シロちゃんが褒めてくれているのはわかったよ。……その、ありがと」
「! 今ので、さらに二乗がかかるわねっ」
「シロちゃん。ストップ、ストップだよ」
興奮気味の真白に対して、朱実は半眼で制止をかけている。
そんなやりとりを経て、若干、朱実はホッとしているが、緊張や気後れが完全に拭い切れていないようにも見える。
「…………」
そんな朱実のソワソワを取り除くには、どうするべきか……と考えて、真白の頭に浮かぶのは、
……こう言うとき、あっちゃん先輩なら。
自分にとっては姉的存在であり、初めて会ったときからずっと尊敬しているあの人の顔。
彼女のように出来るだろうか、という懸念もあったけど。
「朱実、こっちに――」
朱実のためならば、と思い、真白が名前を呼ぼうとしたところで、
「……あら? 真白ちゃんと、朱実ちゃん?」
ガチャリと女子更衣室の戸が開き、中に入ってきたのは。
朱実と同じくらいの小柄な背丈で、きっちりと着こなした制服姿に、大きな着ぐるみを抱えている。栗色セミロングの髪にトレードマークともいえる青い星型のヘアピン、整った眉目に、たった今こちらを見て柔らかに浮かべる笑顔は、
「あっちゃん先輩」
「藍沙先輩」
今さっき、真白が頭に思い浮かべた、中学時代からの先輩であり、姉とも言える存在の少女。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「あっちゃん先輩、どうしてここに?」
「ん、私の部活の出店で、わたしが着ぐるみで客引きすることになっていてね。ほら、この前に言ってたやつよ」
「ああ、あの試着がとっても可愛かった犬の着ぐるみ(ACT87&ACT88参照)ですかっ。遂に着ちゃうんですねっ」
「……そこまでテンションが上がられるのも、ちょっと困るわね」
わいのわいのと話す、シロちゃんと藍沙先輩。
藍沙先輩がこの更衣室に入ってきたことで、シロちゃんは明らかにホッとしている様子で、わたしは少しだけモヤっとなったんだけど。
……悔しい話、藍沙先輩のことを見て、安堵しているのも事実なんだよね。
「それにしても、二人とも可愛い服ね。確か、クラスで喫茶店するんだっけ?」
「はい。あたしが調理班で、朱実が接客班なんです」
「なるほど、料理上手な真白ちゃんと、バイトで接客慣れしている朱実ちゃんにはベストな人選ね」
「あたしもそう思いますっ。でも、朱実の方が少し……」
「ん、なんとなく見ただけでわかるわ」
と、藍沙先輩、こちらを見てきた。
どうやら、わたしの今の状態を見透かされているようである。年上の余裕にしても、こういう風に何でも見抜いてくるところが、わたしが藍沙先輩をちょっと苦手に感じている部分だ。
でも。
それでも、だ。
「朱実ちゃん。初めての時のように、緊張、解しておく?」
「……お願い、します」
藍沙先輩が手招きをするのに、わたしは一も二もなく頷いてしまう。
知ってしまったからだ。
それは、わたしがバイト先の『Sea&Wind』のレディースデイで、慣れない衣装で接客することになった日(ACT97~ACT99参照)。
「あ……」
――こうやって、藍沙先輩は抱き締めてくれた。
力加減も、伝わってくる温もりも、わずかに響いてくる鼓動も、シロちゃんとはまた別の意味で心地よい。
その心地よさを知ってしまえば、今このときのように緊張した日は、どうしても藍沙先輩に何もかもを委ねたくなる。
そんな風に、わたしもなってしまったのだ。
「どう?」
「はい……もう、大丈夫です」
一分ほどでこちらを解放して、微笑む藍沙先輩。
対して、わたしはすっかりリラックス出来て、いい感じの状態とも言える。この後の接客も、上手くできるというイメージすらある。
「あ、あの、あっちゃん先輩」
「ん? どうしたの、真白ちゃん」
「出来れば……その、あたしも」
「ふふ。会ったときから、甘えん坊さんなところは変わらないわね」
「だって……!」
「わかってる。真白ちゃんもおいで」
あと、この光景を見て自分もと思ったのか、シロちゃんも藍沙先輩に抱き締められていた。
彼女のいうとおり、甘えん坊属性のあるシロちゃんなので、この流れはもはや自然ともいうべきか。
小柄な背丈も、平べったい胸も、ほとんどわたしと同じくらいだというのに、藍沙先輩のこの包容力は一体どこから来ているのだろう?
「はぁ……ありがとうございます、あっちゃん先輩」
「うん。満足できたようで、私も嬉しいわ」
「本当は、朱実のことは、あたしがあっちゃん先輩のように緊張を解したかったんですけど、やっぱり、あっちゃん先輩にはかないませんね」
「そう言われるのもちょっと照れちゃうけど……私だって、こうすることで、真白ちゃんや朱実ちゃんから、元気をもらえているわよ?」
『え?』
わたしとシロちゃん、揃って『?』を浮かべて首を傾げるのだけど。
藍沙先輩は、柔らかく微笑んで、
「私はね、決めてるの。私は私のやり方で、私の大好きな人達を笑顔にするって。だからね、真白ちゃんと朱実ちゃんが私を頼ってきて、笑顔になってくれることが、私の元気だもの」
「あっちゃん先輩」
「藍沙先輩」
「それに、こうやって今二人が仲良くしているのも、私の応援する気持ちがちょっとは絡んでくれているのかなと考えると、とても嬉しいわ。二人には幸せでいて欲しいと、いつも願っている」
『――――』
本当に、この人は。
他人の笑顔が自分の元気だなんて、聞く人が聞けば偽善にも取られるかもしれないと言うのに、この人はそれでも平然とやってのけてしまうのだ。
シロちゃんとわたしの笑顔を見て、この人は心から笑っているのだ。
そう言う人だから、ちょっと苦手で、でもどこまでも素敵な人だと思えてしまうのだ。
「ちょ、ちょっとどころじゃないですっ。あっちゃん先輩が支えてくれてなかったら、あたし達、出会えていたかどうかもわからないですっ。少なくとも、あたしから朱実に声をかけられていなかったです……!」
「ふふ、ありがと、真白ちゃん」
シロちゃん、感極まったかのように藍沙先輩の手を握っているのに、藍沙先輩も笑顔で返している。
そんな彼女の笑顔を見て、わたしは一つ、思ったことがある。
「藍沙先輩」
「ん? どうしたの、朱実ちゃん」
「藍沙先輩も、幸せに、なってくださいね」
「――――」
思ったことを、シロちゃんのようにそのまま告げると。
藍沙先輩は、ちょっと驚いたような顔をしたけど……また、優しく微笑んでから頷いて、
「うん。それも、きっと、いつか見つかると思うから」
「はい」
わたしの言うことを、理解してくれた。
それだけで、わたしには充分だ。
「っとと、二人とも、時間は大丈夫? 結構長く話し込んじゃったけど」
「あ……そうね、そろそろいい時間かもね。朱実、準備はいい?」
「もちろん。行こうか、シロちゃん」
「じゃあ、あっちゃん先輩、あたし達は先に行きます」
「うん」
一つ、頷いて。
「頑張ってね、二人とも」
『はい』
最後に、笑顔で送り出してくれる藍沙先輩の一言を背に、わたしとシロちゃんは更衣室を出て、教室に向かう。
不安な気持ちはもちろんなく、足取りも実に軽い。
そんな軽やかな道中で、
「ねえ、朱実」
シロちゃんが、わたしに声をかけてきた。
「どうしたの?」
「こんなことを、朱実に言って良いかどうかはわからないけど、今さっき、わかったことがあるの」
「なぁに、シロちゃん」
と、シロちゃんに続きを促して見るも。
わたしは、シロちゃんの言いたいことが、なんとなくわかっている。
「――あっちゃん先輩は、あたしの初恋だったんだと思う」
「うん、そうだと思った」
「? 朱実、自分で言うのもなんだけど、怒らないの?」
「怒らないよ。わたしから見ても藍沙先輩は素敵な人だと思うし、それにシロちゃんと藍沙先輩は、わたしよりもずっと付き合いが長いもんね~」
「……やっぱり、怒ってる?」
「怒ってないよ。ちょっと嫉妬しちゃってるけど」
「だ、大丈夫よっ。これからあたしと朱実は、あっちゃん先輩との時の長さを塗り替えるくらい、ずっと一緒に過ごしていくんだからっ」
「…………うん、シロちゃん、そういうところだよ」
藍沙先輩の素敵なところにはまだまだ追いつけてないけど、そんなシロちゃんの初恋を塗り替えるくらい、今、シロちゃんはわたしに恋してくれてる。
その点については、わたしの誇れるところでもあるけど。
あの人がさっき言っていたように、いつか、あの人もその幸せを見つけたなら。
――とっても素敵な恋に、なってそうだよなぁ。
彼女のことを慕う従姉妹のことを思い返して心の中で応援しつつ。
そんな素敵さに負けないくらい、シロちゃんとの時間を大切にしたいなと。
わたしは改めて思って。
「ん。どうしたの、朱実」
「なんとなく。手、繋ぎたくて」
「……実はあたしも、そう思っていたところ」
もうすぐ仕事場となる教室に着くまで。
わたしは、大切な人のその手の温もりと感触を存分に楽しみ、噛みしめた。
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