ACT115 二人だけの、秘密?


「昨日は私の早退により、班の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます」


 文化祭前日の午前、間借りさせてもらっている調理室の一角にて。

 クラスの調理班の全員の前で、紺本奈央が九十度のお辞儀で頭を下げるという丁寧な謝罪をしたので、班の皆からは、当惑とも言えるどよめきが起きたのであった。


「奈央さん、何もそこまでしなくても」

「いえ、真白様。これくらいしなければ、誠意は伝わらないと思いましたので」

「だ、大丈夫ですって。奈央さんのこれまでの班での貢献を考えれば、どうということはないですよ。誠意もしっかり伝わってますし、むしろ休んで欲しかったくらいですしっ」

「緑谷様にそう言っていただけると、少々胸をなで下ろす気持ちでございますが。今日明日は、しっかりと昨日の分を取り戻させていただきます」


 ふんす、と力が入っている奈央。

 いつもは冷静に一歩引いて物事を俯瞰するイメージの奈央であるが……今日に限っては、少し熱が籠もっているようにも真白には見える。


「……奈央さん、何かあったの?」


 彼女の謝罪が終わってからほどなくして調理班の仕事の時間となり、メニューの一つであるクッキーの生地を作る傍ら。

 真白は、奈央に直接、その意気込みの理由を訊いてみることにした。


「何かあった、と言われますと」

「なんだか今日の奈央さん、ちょっと活き活きしているように見えるから」

「活き活き、ですか?」

「うん。雰囲気で言えば悪い感じじゃなくて、良いことがあったんじゃないかって」

「…………相変わらず鋭いお方ですね」


 一つ息を吐きながら、奈央は苦笑。

 それから彼女は少し考える素振りを見せたのだが、数秒もしないうちに作業の手を止め、


「真白様」

「は、はい」


 改めてこちらに向き直って名前を呼んできたので、真白も真白で改まった返事をしてしまう。

 ただ、先ほども感じ取ったとおり、彼女の雰囲気は柔らかく活き活きしているので、深刻な話でもないのがなんとなくわかった。


「茶々様の件につきましては、温かな御対応をありがとうございました。改めて、お礼を申し上げます」

「え? あ、うん。やっぱり茶々様は大切な友達だから、好きって言ってもらえてとても嬉しかったというか。例えそれが恋心だったとしても、朱実と二人で、真っ直ぐに応えたいと思ったの」

「はい。あの子は本当に良いご友人を持てたと、私もとても嬉しく思っております」

「……ただ、その、よくよく考えると。奈央さんの気持ちのことを考えてなかったなって」


 一昨日。

 真白は、奈央の料理の技術にある優しさが、昔から誰のためのものであるかを直感で看破した(ACT110参照)。その、奥底にある気持ちについても。

 昨日の茶々の告白を受けて、真白は朱実と一緒に正面から向き合ったのだが……その時は、奈央の気持ちのことが頭から抜けていたのを、今朝になって思い出した。

 真白としては、そのことが気になっていたのだが。


「お気になさらずに」


 当の奈央は、どこまでも表情が穏やかで。

 そして、


「私も、茶々様のご寵愛を受ける身になりましたので」

「……え?」

「真白様や朱実様と同じく、茶々様は私のことも愛してくださる、と」

「…………」


 にこやかに奈央がそう言うのに、真白は一瞬思考が停止しかけたのだが、


「ああ、あの話の後に、ね」


 その後に、自分の中でいろんなことが腑に落ちた。

 奈央と茶々、真白はおろか朱実よりも長く共に時を過ごしてきた二人だからこそ、一番にそれが自然にも感じたし、茶々にとってはそうならない理由がないとも思った。

 となると、真白と朱実への気持ちはどうなのか……というと、それもまた本物なのだろう。

 それらすべてを統括すると、


「……なんだかすごいね、茶々様」

「私もそう思います」

「じゃあ、さ。これからも茶々様に好きでいてもらえるように、お互い頑張っていこうね、奈央さん」

「それはいわゆる、ライバル宣言と言うものでしょうか?」

「ううん」


 首を傾げる奈央に真白は頭を振って、彼女のその手をそっと握って、きれいな顔を正面に見ながら、


「あたし、一昨日にも言ったように奈央さんともっと仲良くなりたかったから。こうやって同じ立場になった今、奈央さんとまた距離が近くなれたようで、とても嬉しいの」

「――――」


 率直に今の心境を言うことで。

 一昨日と同じく、奈央は伏せていた目を見開いて、ボッと顔を赤くした。


「……真白様も真白様で、とてもすごいお方ですよね」

「そうかな?」

「ええ。茶々様が心惹かれるのもわかるというものです。それに……茶々様という存在がありながら、私自身も、おそらく……」

「え? 奈央さん?」

「真白様……」


 と、こちらが握る手を奈央が握り返してきて。

 奈央はまだ赤い顔のまま、とても熱の籠もった視線で名前を呼んできて、ゆっくりと距離を詰めてきたところで、


「あのー、お二方。パンケーキのレシピについて確認したいことが……って、何してるんです?」

「!」


 横から、友達の緑谷奈津が声をかけてきた。

 これには、奈央が少々ガクリとずっこけたようになりつつも、


「……緑谷様、絶妙な間の悪さです」

「ええっ!? な、何言ってんです、奈央さん!?」

「こういうのもラブコメの王道であるのですが、緑谷様がそうされるということは、緑谷様の新作はそういう間の悪い展開を面白おかしく昇華されると期待してよろしいでしょうか?」

「いえ、その、プレッシャーかけるのやめてもらえます!?」


 ちょっと『むー』となりつつ、奈央には珍しいジト目を向けられているのに、奈津はわりと涙目である。

 先ほどにも感じたとおり、普段は冷静で大人っぽい奈央が、今日はやけに活力があって、年相応の少女にも見える。

 でも、なんだろう。

 そこに、何となく彼女の本質があるように、真白には思えた。もちろん、そんなところにも魅力を感じるのだけども。


「っていうか、お二人とも、一体何をしていたんです? 見た限りではやけに距離が近くなっていたようですが」


 ともあれ、奈津が少々疲れたように訊いてきたのに、真白はどう応えたものかと考える。距離が近くなっていたと言う点に関してはそうかもしれないけど、そこはスルーしておいて。

 少々複雑ではあるのだけども、奈津にも事情を知ってもらっておいた方がいいのだろうか?

 奈津自身にも黄崎桐子という大切な存在が居るからには、そういうことに理解があるだろうし、友達に隠し事というのも何となく気が引けるしで。

 そう思って、真白は簡潔に話そうとしたのだが、

 

「真白様と私、二人だけの秘密、でございます」


 と、奈央が悪戯っぽく笑いつつ、人差し指を口元で立てていた。

 真白、これには驚いて奈央を見るのだが、奈央はこちらに向かって柔らかに微笑むだけである。


「ゑー、これはなんだか気になりますねぇ」

「緑谷様に隠し事は気が引けるのですが、私としてはまだ少し、知られたくないことではありますので」

「おおぅ……これはこれは、背徳的と言いますか、禁断的なものを感じますな」

「禁断……」


 そのワードに、奈央は何を思ったのか、


「え……な、奈央さん?」

「あるいは、そうなのかもしれませんね……」


 真白の腰を優しく抱いて、その頭を真白の胸に寄せつつ、



「私、真白様には何度もその情熱をぶつけられている身ですので……」



「奈央さん!?」


 綺麗な手指で、こちらに『の』の字を書いてきた。

 その仕草があまりにも色っぽくて、真白の胸中が高鳴らないはずもなく、なおかつ顔に熱を持っていくのがわかった。

 さっきは茶々の寵愛を受けたと喜んでいた奈央が、なんでこんな……!?


「ま、真白さん……ついに、奈央さんを本格的に落としちゃったんですか……!」

「え、いや、なんでそこで妙に納得しているの、おなつさん!?」


 もちろん、それを見せられている奈津も顔を赤くしながら驚愕しているのだが、真白の言うとおり、納得した様子で頷いてもいた。

 意味がわからなかった。


「まあ、冗談なのですけどね」


 と、奈央がパッと真白から離れて、ひらひらと手を振ってみせる。

 あの熱の籠もった様子も色っぽさも微塵もなく、雰囲気にフランクさが残りながらも、いつもの奈央である。

 そんな彼女の様子を受けてか、奈津は大きく息を吐いて、


「ああ、冗談なんですね。びっくりした……」

「文化祭を前に、こういう戯れもたまには良いと思いまして」

「……それにしては、やけに気合が入っていたようにも感じましたが」

「そうでしょうか? 気のせいでございますよ」

「ううむ……まあ、いいでしょう。それよりも、パンケーキについてお聞きしたいことなのですが」

「お答えしましょう」


 とまあ、緩やかに奈央が話題を逸らす雰囲気であるのに、奈津はもう一度息を吐いて、本題であるいくつかの質問に入っていく。

 奈央はそれに簡潔に答え、数分で、奈津が仕事に戻っていくのを見送るのだが。

 その間も、真白は先ほどの奈央の感触にドキドキしぱなっしで、ほとんど仕事が手に付かなかった。


「おや、真白様。手が止まっているようですが、どうかされましたか?」

「えっと……さっきの奈央さんの冗談に、まだちょっと驚いているというか」

「そうでございますか」


 と、奈央は少々満足そうに笑って、


「言わば、いつものお返しというやつです」

「お返し」

「真白様の今抱いている気持ちが、普段、私や茶々様、朱実様があなたに対して抱いているものとお思いください」

「はあ……」


 なるほど、普段から真白が率直に気持ちを伝えることが、朱実や茶々にとってはこういうドキドキになっているのか……そんな気持ちを共有するのも、なんだか良いような……とも思ったのだが。


「……あれ?」


 今、奈央は朱実や茶々のことだけでなく、自分自身についても言っていたような?


 ということは、奈央さんも、あたしに……?


 それについて、なんとなく気になったのだけども。

 奈央は今も活き活きと作業に没頭しており、この集中を切らすのも悪いと思ったので、これについては聞けず仕舞いだった。

 そして。

 そんな活動的な彼女の横顔も、真白にはとても綺麗に思えて、また少し胸が高鳴ったように感じた。朱実には悪いと思いつつも。


 ……茶々様の気持ち、わかっちゃうなぁ。


 朱実のことが好きで、茶々のことも尊くて、今隣にいる奈央のことも素敵に見えて、気持ちがいろいろ止められない。

 複数の人を好きになる茶々の気持ちを、体感できたような気がして。

 どういうわけか。

 それが、真白にはちょっと、心地良い。

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