ACT106.75 彼女が描いている未来とは?


「話……ですか」

「ん、話」


 彼女から手を繋ごうと言われた時はとても驚いたし、とてもドキドキした。

 そして、彼女の差し出すその手を取った時、ちょっと冷たくて、その雰囲気の通りに緊張していたのがわかった。

 だからこそ、斎場紫亜は悟る。

 今から、拝島士音が話そうとしているのは――紫亜が最も知りたかった、彼女自身が描いている未来のお話だ。


「聞かせて、ください」

「うん」


 差し出す手を握り返して紫亜が言うと、拝島先輩は頷いて。

 駅の方向にゆっくりと歩きながら、彼女のお話が始まる。


「私が隣の市の美大に進学するっていうのは、紫亜ちゃんには言ったわよね?」

「はい。以前、先輩が話してくれましたから。もっと絵の技術のお勉強をしたいと」

「ん、それでね。その進学に伴って、私は家を出て一人暮らしをしようと思うの」

「……一人暮らし、ですか」

「今住んでる家からでも通えなくはないんだけど、やっぱり近い方がいいし、自分の時間を多く取りたいからね。お父さん達にも了承を取ってるわ」

「…………」


 苦笑ながら言う拝島先輩だけど、紫亜の胸中は穏やかではない。

 一人暮らしというワードを聞くと、またも、彼女との距離が開いていくような気がして――


「それで。私が行く美大と、私が住もうとしているところが、ここ」


 と、ぐるぐると紫亜が思う傍ら、拝島先輩が紫亜と繋いでいる手とは逆の手でスマホを取りだして画面を器用に操り、その画面を見せてくる。

 画面には地図アプリが開かれており、彼女が示すその地は――


「え……私の家の、近所?」


 この町の最寄り駅から、電車で四駅ほどの地区。

 その地区には、紫亜の家があって……その家からは、徒歩十分くらいの距離。

 そこに、拝島先輩が予定している住居と、そこからさらに徒歩二十分の距離に、彼女の進学しようとしている美大が……って、


「ええええっ!?」

「大学、隣の市と言っても、この市の境の結構近くだったみたいね。で、もっと調べてみたら、紫亜ちゃんの家の結構近くでもあったみたい」

「えっと……えっと……!」


 紫亜、頭が追いつかないので、思い返してみる。

 確かに、拝島先輩が行く予定の美大は隣の市であると言っていただけで、詳細な位置は聴いていなかった気がする。

 そしてその辺りに美術大学があること自体、紫亜は知らなかった。

 徒歩三十分くらいの距離とは言え、あまり行ったことのない地区である上に、いつも足を運ぶ最寄り駅から反対側の位置にあるしで。

 ということは、だ。

 もしやこれは、先輩との距離が離れるどころか。

 むしろ近くなるのでは……!?


「それで、私から提案なんだけど」


 と、紫亜がいろいろと驚いている矢先。

 拝島先輩は、先ほどからあるその雰囲気の通りに、緊張の面持ちでこちらを見てきて、



「――私と、一緒に住まない?」



「……………………え?」


 一瞬、何を言われたかわからなかった。

 わたしと、いっしょに、すまない?

 一緒に、というのはともかく、すまないというのは、謝っているのだろうか? だとしても、謝られる理由とは一体? いや、そもそも謝っているのか? 違う意味では? 澄まないでは? 済まないでは? それとも――


「紫亜ちゃん、混乱するとは思ってたけど、必要以上にはしないでね」

「はっ……!」


 またもや追いつかなくなってしまった紫亜を、拝島先輩は優しく声をかけてくれることで、どうにか落ち着かせてくれた。

 そして、先ほど、彼女の言ったことを落ち着いて咀嚼すると、とても重大な意味のように思えたので、やはり聞き間違いなのではないか……と思ったのだが。


「もう一度言うわ。紫亜ちゃん、私が引っ越したら、その時は一緒に住みましょう」

「――――」


 聞き間違いではなかった。

 未だに緊張しているようだけど、それでも、拝島先輩は真っ直ぐにこちらを見て、紫亜にそれを言っていた。

 彼女は、本気だ。


「ど、どうして先輩は、私を……?」

「私の描く未来に、紫亜ちゃんが必要だからよ」

「未来……それは、先輩が漫画家になる夢のための、ですか? それとも――」

「夢も、人生も、何もかも」

「!」

「私が漫画家を始めたら、紫亜ちゃんにアシスタントして欲しい。私に良いことがあったときは紫亜ちゃんにも笑って欲しい。私が悲しいときは紫亜ちゃんに受け止めて欲しい。他にもたくさんたくさん、これから先の未来、私の隣に紫亜ちゃんに居て欲しい」

「先輩」

「もちろん、紫亜ちゃんが笑うときは私も笑う。悲しいことがあれば受け止める。紫亜ちゃんの思う幸せのためなら、私は必ず力になるわ。それくらい、私は――」


 ここで、言葉が止まる。

 いつか見た、彼女の一時停止。

 でも。

 繋いでいる手を、強く、強く握って。

 先日のようなことはなく、今度はもう――拝島士音は、止まらない。



「私は、紫亜ちゃんのことが、好きだから」



 はっきりと、その思いを口にしてくれた。

 一瞬、夢かと思った。

 だが、今、どんどん目が痛くなってきていることから、夢ではないとわかった。

 それくらいに嬉しくて、今、紫亜の目からは止めどなく、涙が溢れてきて――


「ありゅ……ありがと、ごじゃいま、しゅ……」


 どうにか絞り出てきた返事は、ものすごく噛んでいた。

 どうにか言い直そうとしても、もう、変な過呼吸が生まれるだけで、言葉にはならない。

 感情が嬉しさで暴発しそうになるのをどうにか抑えたいけど、もうダメだ。抑えられるはずがない。

 総合的に言って、どうにもこうにも、ボロボロな紫亜だけど、


「…………なんとか、言えたわ」


 拝島先輩も、緊張が限界だったらしい。

 もはや普段の悠然さも何もなく、泣きそうな顔になりながら脱力して、繋いでいた手を一旦離して、へなへなとその場でしゃがみ込んでしまった。


「せ、先輩?」

「……知ってると思うけど、私、告白、初めてだったから」

「先輩」

「一言を告げることで、こんなにも腰砕けになっちゃうなんてね。それを思うと、夏に私に告白してきた紫亜ちゃんはとてもすごかったし、私はこんなにも情けないのね……」

「そ、しょんなこと、ないでしゅよっ」


 またも台詞を噛みながらも、紫亜も膝を地に突いて、未だにしゃがみ込んでいる拝島先輩の様子を見る。


「は、拝島先輩、立てます?」

「……しばらく無理っぽい」


 蚊の鳴くような声で答える拝島先輩は、とても儚くて、でも、安堵の笑顔を浮かべいて。

 そんな彼女の弱い部分も、紫亜にはとても魅力的に思えて、こんな時だというのにまた一つドキリとなったのだけど。

 今は、答えないといけないことが、ある気がする


「えっと、拝島先輩、先ほどの回答なんですけど」

「あ……うん。紫亜ちゃん、一緒に住んでくれる?」

「それについては急なことですので、お父さんやお母さんと一杯相談しないといけないと思います。即決はできません」

「……まあ、それはそうね。紫亜ちゃんにとっては、結構重大なことだし」

「でも」

「? でも?」

「拝島先輩の未来に私が必要であるのと同じで、私の未来に拝島先輩が居ないなんていやですから……どんな形でも、私はあなたの隣に居たいです」

「!」


 紫亜の言葉を受けて、顔を赤くしながらこちらを見つめてくる拝島先輩に向けて。


「それくらいに」


 普段からの想いと、先ほどのお返しも含めて、


「私は、拝島先輩のことを」


 改めて、この言葉を。


「ずっと、すきゅ……しゅ、好きで居ます!」


 噛んだ。


「あなたに、ずっと付いていきましゅ!」


 噛んだけど、噛みながらも、言い切った。

 さっきはツメアマが悪い方向に働くと危惧していたけど、もう知ったことか。

 拝島先輩は自分の弱い部分をさらけ出しながらも、精一杯、想いを形にしてくれた。

 だったら紫亜自身も、これからはそんなツメアマの部分も自分で受け入れて。

 前に進もうと、そう決めた。


「……紫亜ちゃんっ」


 はたして。

 そんな紫亜の決断を包み込むかのように、拝島先輩はこちらのことを抱き締めてくれた。

 彼女自身、また緊張しているのか全身が震えていて、ぎゅっと強くとはいかなかったけど、それでも、


「好きよ。これからも、ずっと」


 精一杯の想いを伝えてきた。

 だから、紫亜もそんな想いに負けないように、彼女のことを抱き返す。


「私も、です。大好きです。先輩」


 今度は噛まずに言えた。

 そのためか、


「紫亜ちゃん、いい?」

「……はい」


 拝島先輩がそんなことを言ってきても、紫亜は止まらずに勢いで、答えることができた。

 鼓動はバクバク言っているけど、そんな状態でも、今は何でも出来てしまいそうだ。

 だからこそ、目を瞑って、紫亜は自分から――



 ゴチン



「いだっ」

「はぅっ」


 重なりに行こうとしたのだが。

 拝島先輩も自分からと思っていたためか、お互いに額をぶつけてしまった。

 当然、二人して悶絶した。


「あううぅぅ……まさか、こんなところでもツメアマが働くなんて……」


 額を押さえながら、べそをかく紫亜。

 今さっき、ツメアマな自分も受け入れて前に進むと決めたというのに、この体たらく。

 全部を受け入れるのには、まだまだ時間がかかるようで、紫亜は気が沈みこんで行きそうな心地なのだが。


「ふ……はは、あははははっ」


 反面、拝島先輩は可笑しかったのか、肩を揺らして笑っていた。

 先ほどの弱々しさはどこへやら、だ。


「いやー、紫亜ちゃんと一緒に居るのって、本当に飽きないわね」

「……でも、これだと私達、まだまだ前に進めそうにないですか?」

「進めるわよ」


 きっぱりと、悠然と、拝島先輩は答えてくれた。


「紫亜ちゃんのそんなツメアマも、私は大好きなんだから。きっと大丈夫」

「! あの、先輩、かなり恥ずかしいことを言ってますけど、私の大丈夫の根拠は?」

「さっき紫亜ちゃんが、噛みながらも言い切ってくれたじゃない。私と同じように、紫亜ちゃんも自分のツメアマを嫌いにならずに受け入れようとしている証拠でしょ?」

「――――」


 ああ。

 自分の想いを、感じ取ってくれていたのか。

 彼女が、そんな風に、自分のことをわかってくれていて、受け入れてくれるなら。

 ますます、好きになってしまうではないか。

 だからこそ、


「先輩、私、頑張ります。だから……その、待っててください」

「うん。いつまでも待ってる」


 先輩は、自身の想いに決着をつけてくれた。

 今度は、紫亜自身が自分のコンプレックスに決着をつける番だ。


 とても難しい気がするけど、大丈夫な気がする。


「っと……じゃあ、そろそろ歩けそうだから、行きましょうか」

「は、はいっ」

「ほら、手」

「……はい」


 どんな時でも、彼女が手を引いてくれるしから。

 そしていつかは、自分が先輩の手を引くくらいに強くなる。

 それが出来て、初めて、彼女の隣を歩けるような気がした。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 ……正直、あの場面。

 紫亜ちゃんのツメアマで助かった部分も、あると言えばあるのよね。

 わりと勢いでファーストキスをあの場でやっちゃったら、私、またその場でしばらく歩けなくなっちゃいそうだったから。

 今はこういう風にカッコつけて、紫亜ちゃんの手を引いてるんだけど、さっきのようにボロが出てしまわないか、自分でハラハラしているもの。

 だから、紫亜ちゃんが自分で強くなろうとしているのに負けないように、私もしっかりしないと。


「あ、そ、そういえば、言っておいたほうがいいことが」

「ん、なぁに、紫亜ちゃん」


 と、決意を新たにする傍ら、手を繋いで歩く紫亜ちゃんが声をかけてきた。

 なんだろう? という気持ちで、私は紫亜ちゃんの顔を見るんだけど。

 ――紫亜ちゃん、スッと、時折見せるスイッチが入ったかのような真っ直ぐ凛々しい顔になって、



「先輩、私と付き合ってくださいっ」



 そんなことを、改めて言って来るものだから。

 私ってば、頭を殴られたかのような衝撃を受けて、なおかつ一気に鼓動が跳ね上がった心地を得ながら、



「……………………はい」



 そう答えるのが、やっとだった。

 紫亜ちゃん、基本的にツメアマなんだけど、想いをぶつけてくるのはまったく躊躇ないものね。……そんなところも、好きになっちゃったのはともかく。

 本当に。

 これから先、この子と一緒に居るのは飽きることがないし。

 この子と一緒にいる未来を思うだけで。

 楽しみで、ワクワクして、とても……愛おしさが、止まらなさそうだった。

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