ACT104 ただ、そうしてもらいたい時のお願いとは?


「それでね。その時のあたしってば反抗期だったためか、お母さんとケンカになっちゃって」

「真白さんの反抗期というのも、想像が付かないですわね」


『Sea&Wind』のテーブル席にて。

 真耶とは改めて仲良くなったということで、真白は、彼女とのお喋りに花を咲かせていた。

 今、二人が話しているのは、


「それで家を飛び出しちゃって、ケンカをしたことにものすごい後悔しながら町中を歩いていたときに……偶然通りかかったあっちゃん先輩が、あたしに優しく声をかけてくれたの」

「まあっ。とても運命的ですのっ」


 真白の中学時代からの先輩かつ憧れであり、真耶にとっては焦がれに焦がれている想い人である戌井藍沙に、真白が初めて会ったときのエピソードである。

 そして、そのファーストコンタクトの内容に、真耶は少々興奮気味だ。


「一見して背丈がちっちゃかったから一瞬年下かと思ったんだけど、話してみると、とても……お姉さんって感じがして」

「それで、実際年上でしたと?」

「うーん、先輩が年上だって知るのは、その日の翌日に、お母さんとあっちゃん先輩のお母さんがお友達だったていうことが判明したときのことなんだけど……その話は、ひとまず置いておくわね。それで、その時に感じた優しさオーラから、この人になら何を話しても良いって気にさせられたのよ」

「……お姉さんは、中学時代もそう言う風に包容力溢れる魅力的な方でしたのね」

「うん。気が付けば何もかもあの人に話していて、それで『お母さんに謝りたいって気持ちがあるなら、素直になれば大丈夫』ってアドバイスをもらったわ。それから……」

「? それから?」

「『頑張って』という言葉と一緒に……あっちゃん先輩は、あたしのことを優しく抱き締めてくれたの」

「――――っ!」

「あの時のあっちゃん先輩の感触と温もり、何よりもあたしの気持ちの落ち着きっぷりは、今でも忘れられないなぁ……って、どうしたの、真耶ちゃん?」


 感慨深く話しているところで、真白は気づいた。

 真耶が、顔を赤くして涙目になりながら全身をプルプル震わせていることに。


「ま、真白さん、ずるいですのっ」

「え、ずるいって」

「わたくしでも、まだ、お姉さんとお近づきになってから一度も抱き締めてもらえたことがないのに、真白さんは出会ってすぐだなんて……!」

「そうだったの?」


 これは驚いた。

 あの人は、一定以上親しくなった人に抱きつく癖が結構ある(それを目撃する度に、真白がその相手に軽く嫉妬していたのはここだけの秘密)ことから、真耶も既にあの癒しを体験済みかと思っていたのだが、まだであったとは。


「頼めば、そうしてもらえると思うわよ?」

「それは……おそらくそうなのでしょうけど、面と向かっては頼み辛いと言いますか……過去、どうにか手を繋いだことはありますけど、それ以上は……そのぅ……」


 視線を逸らしながら両の手指を合わせつつ、恥ずかしげにごにょごにょと呟く真耶。

 これがまた、彼女特有の奥ゆかしさを現していて、とても可愛い。


「じゃあ、あたしからも頼んであげるから、あっちゃん先輩に抱き締めてもらいましょう」

「え……え、ええええええっ!?」

「大丈夫。あっちゃん先輩はとても優しいから、真耶ちゃんならあっさり受け入れてもらえるわよ」

「それは……でも……あううぅ……」


 突発で出た真白の提案は逆効果だったようで、真耶は余計に縮こまってしまう。思ったことをすぐに実行に移す真白とは、正反対だ。

 自分の想い人がお互いの姉的存在、という似た境遇ながらも、性格までは似てくれないと言うことなのだろうが。

 真白としては、やはり、彼女を少しでも前に進ませてあげたいという気持ちもあるので。


「真耶ちゃん、聞いて」

「……はい」

「真耶ちゃんはとてもいい子だから、こういう時、少しだけ我が儘になっても良いとあたしは思うわ」

「――――」


 我が儘、というワードに、真耶はピクリと反応したようだ。

 一瞬、彼女にとってそうすることはダメだったかと、真白はすぐに訂正の言葉を頭に浮かべようとしたのだが、


「そう、ですね。もう一度、ちょっとだけ我が儘になってみますの」

「あ……うん。やってみよう」

「真白さん、ありがとうございます。真白さんを通さずに、わたくし自らお願いしてみようと思いますの」

「おお。偉いぞ、真耶ちゃん」


 どうやら杞憂だったようだ。

 真耶、緊張を残しながらも気を落ち着かせて、決心したようである。

 もう一度、という言葉が少し気になったのだが、彼女の決心に横やりを入れるのも野暮な気がしたので、真白は黙っておくことにした。

 ともあれ、腕時計を見ると、四時五十五分。

 そろそろ、部活を切り上げた藍沙が、バイト先であるこのお店に出勤してくる頃合いか――



「おはようございます」



 と、思った矢先に。

 お店の奥から、真白の憧れの先輩である、戌井藍沙が制服の上にエプロン着用で姿を現した。

 呼んでもいないのにジャストなタイミングでの出勤だったのに、この人の間の良さが、真白にはとても眩しく見えた。

 改めて、真白は彼女への尊敬の気持ちが深まる思いだ。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 どうも、シロちゃんと真耶ちゃん、藍沙先輩のお話をしていたみたいだね。

 藍沙先輩が出勤してきた瞬間、シロちゃんと真耶ちゃんが二人揃ってガタッてなってたのは、わたし、ちょっと吹き出しそうになっちゃったよ。

 

「あれ? 真白ちゃんに、委員長ちゃん? 二人が一緒だなんて、珍しいわね」

「はい、こんにちは、あっちゃん先輩。真耶ちゃんとは、さっきお店の前で会って、そのまま仲良くなりまして」

「そうなんだ。親しい人同士がお友達になってるってシチュエーション、なんだかいいわね」

「っ……は、はいっ」


 経緯を聞いて、ちょっと嬉しそうに藍沙先輩がお姉さんスマイルを向けるのに、真耶ちゃんはおろか、シロちゃんまで結構骨抜きになっちゃってる。

 うぬぅ、さすが藍沙先輩、背丈はわたしと変わらないのにこの包容力、わたしには持ち得ない能力だよ……。この辺については、まだ白旗を揚げざるを得ない状況だね。


「あ、あの、お姉さん、突然ですが、一つお願いがありますのっ」


 と。

 骨抜きになる自身にどうにか活を入れて、真耶ちゃんが藍沙先輩に話しかけていた。

 しかも、彼女の視線がどうにも熱っぽい。

 これは、いきなり告白か……と思いたいところだけど。

 この前、真耶ちゃんは藍沙先輩に電話越しに想いを伝えた(ACT56参照)はいいものの、藍沙先輩、親しみ的な意味で受け取っちゃってるからなぁ。

 となると、面と向かって、再アタックか?

 うーん、どうだろ。とにかく、状況を見守ろう。


「どうしたの、委員長ちゃん」

「えっと……あのっ……」


 その熱に何かを感じたのか、正面から向き直る藍沙先輩に、真耶ちゃんは一瞬だけ言葉に詰まる。

 昔から、引っ込み思案な子だからなぁ……でも、応援したい。

 頑張れ、真耶ちゃんっ。


「お願いっていうのは、お姉さんに……」

「私に? 何?」


 わたしの念が通じたのか、真耶ちゃん、一つ深呼吸。

 そして、少し首を傾げる藍沙先輩に向かって、



「わたくし、お姉さんに、抱いてほしいですのっ」



『!!!!!?』


 瞬間、わたしだけに限らず、店内にいるお客さんが皆して『ガタッ』てなって、真耶ちゃんと藍沙先輩に注目しだした。

 え、なに、どういうことなの。

 抱いてって……え? 

 小学生が、いっていい言葉なの? どうなの?


「え……え、ええと……」


 当の言葉を受けた藍沙先輩、顔を赤くしつつも固まっている。流石に、対応に詰まっている模様。

 やはり皆のお姉さんでも、面と向かってそう言われるのは、どう答えればいいかがわからないようだった。わたしでもわからない。


「あっちゃん先輩、あたしからもお願いします」


 と、シロちゃんが後ろから藍沙先輩に声をかける。

 これは、真耶ちゃんが言葉足らずだっただけで、シロちゃんがきちんと補足する流れなのかな……?


「昔、あっちゃん先輩がいつもあたしにそうしてくれたように、真耶ちゃんのことも抱いてほしいんですっ」


 シロちゃ――――――んっ!?

 え、なに、いつもシロちゃんにそうしたようにって、え、えええええっ!?

 何も知識がないように見えて、シロちゃん、既に藍沙先輩に……その、レーティングの危機的なことを……!?


「……ああ、なるほど、そういうことね」


 ただ、藍沙先輩、慌てふためくわたしの思いとは裏腹に、すべてを納得したようだった。

 苦笑しつつも、一つ深呼吸してから軽く腕を広げて、


「おいで、委員長ちゃん」

「え……お、お姉さん? いいですの?」

「うん。委員長ちゃんって、こうやって誰かに甘えるのは無縁ないい子だと思ってたけど、委員長ちゃんがそうしたくなったっていうなら、私はちゃんと胸を貸すわ」

「お姉さん……!」


 藍沙先輩の優しい声に、真耶ちゃん、感極まりつつも。


「では、その、失礼します」

「うん」


 まだ少し緊張気味に、藍沙先輩の胸に飛び込んでいた。

 藍沙先輩はそんな真耶ちゃんの頭を撫でながら、優しく抱き締めてあげている。

 ここまできて、ようやくわたしは、真耶ちゃんの『抱いてほしい』の主旨を理解した。

 なるほどね。親しみのこもったハグのことね。そういうことね。もう、びっくりさせないでよ……。

 わたし、未だに収まらない熱を抱えつつも、大きく一息。

 ちなみに、店内にいる他のお客さんも同様で、何ともいえない空気で、それぞれ息を吐いていた。


「朱実、なんでそんなに赤くなってんの?」


 と、脱力するわたしに、シロちゃんが声をかけてきた。


「いや、まあ、いきなり真耶ちゃんがびっくり発言するものだから、ちょっとね……」

「そうなの? ある程度親しい間柄だと、結構普通のように思えるけど」

「それはその、親しかったら普通かも知れないけど」

「ちなみに、あたしもそうしてもらいたくなったら、朱実には普通にお願いするわよ」

「え……」


 一瞬、何を言っているのかわからなくて、わたしがシロちゃんの方を向いた矢先。

 シロちゃんは、わたしの目を正面から見据えて、



「――朱実、抱いて」



「――――っ!!?」


 この言葉を、雰囲気たっぷりに、しかもちょっとエロい表情で言われたものだから。

 わたしがその場で悶絶したのは、言うまでもない。


 ……躊躇のない天然って、恐ろしい。

 シロちゃん。それ、他の人はおろか、わたしにも言っちゃダメからね……。

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