ACT91 気分転換に、どう?


「あ、斎場さん」


 二限目と三限目の間、少し長い休憩時間。

 真白は、トイレで用を済ませて、洗面所で少しだけお化粧を直そうとしたところ、同じく洗面所の鏡で向かい合っている女生徒――別クラスの友達の少女である斎場さいじょう紫亜しあを見かけたので、声をかけてみると、


「え……乃木さん、こんにちはっ」


 紫亜はこちらを向いて、長い前髪を揺らしながら控えめな笑みを浮かべた。


「こんにちは。先週ぶりかしら」

「そうですね。あの、実力テストの成績発表の場(ACT81参照)以来ですっ」

「うん。だから、改めて言わせて。学年一位おめでとう」

「あ、ありがとうございます……」


 真白の祝福を受けて照れたのか、お化粧の仕上げをしながらも頬を赤くする紫亜。

 時折、彼女とはメールのやり取りをしているものの、面を合わせたのはまだ数えるくらいの回数なのだが……それでも、なんとなく今ここで真白が感じたことは、


「っていうか、斎場さん、最初に会ったときよりも綺麗になってない?」

「え? そ、そうですか?」

「うん。顔形とか、お肌の質とか、髪の艶とか、他にもいろいろ。元より素材はよかったんだけど、いろんなところに隠れた努力があって、それが成果を上げてるって感じ」

「そ、そんなっ……私なんて、まだまだでしゅしっ、乃木しゃんの方がしゅて……すてぃえ……すてき、ですしっ」

「斎場さん、噛んでる噛んでる」

「あううう……」


 綺麗になりながらも、紫亜の噛みっぷりはまだまだ健在であるらしい。

 でも、真白としては、そういうところも彼女の魅力だと思えるし、その上で噛んだのを自覚して恥ずかしがるところなんかも、子犬チックでとても可愛い。無意識にほわほわしてしまう。

 ただ、


「素敵って言ってくれるのは嬉しいけど、斎場さんも素敵なんだから、誉め言葉はちゃんと受け取ってよね」

「あ……ご、ごめんなさい」

「謝らないでよ。あたしとしては、もっと自信を持ってほしいんだから」

「きゅ……急に言われても、無理ですぅ……」

「あらら。まあ、急には無理でも、斎場さんならいつか出来ると思ってるわ。……拝島はいじま先輩のために、頑張ってるんでしょ?」

「あ、はい」


 彼女の想い人の名を出すと、少し気が入ったのか、紫亜はハッキリと頷く。


「まだ、全然届いてないですけど、いつかは届くって、信じてますから」

「うん。あたしの目を覚まさせてくれるくらいに、斎場さんは強いんだから。きっと大丈夫」

「つ、強いだなんて、そんな」

「本心よ」


 初めて会ったとき、紫亜のその想いの大きさに、真白はいたく目を見張ってかつ尊敬の念を覚えたし。

 何より、真白自身の朱実への想いに気づかせてくれたのも、朱実と一緒になれるキッカケをくれたのも、間違いなく彼女だと思っている。

 だからこそ、真白は紫亜にも幸せを掴んで欲しい。

 そのために、彼女に自信を持ってもらうには、


「んー……じゃあ、気分転換にイメージチェンジなんてどう?」

「イメージチェンジ、ですか」

「うん。例えば、その長い前髪を上げてみるとか」

「う……。そ、それは、ちょっと、恥ずかしいような……」

「ものは試しよ。少し待っててね。確かポケットに、あっちゃん先輩からもらったヘアピンのケースが……っとと、これこれ」


 ごそごそとスカートのポケットを探り、数個のヘアピンが入った、平べったいプラスチックケースを取り出す。


「ちょっと、じっとしててね……」

「あ、は、はい」


 その中から、紫色の菱形がアクセントになっているヘアピンを一つずつ、紫亜の左右両側の前髪に挿し込んで、少し上げる形で留めてみると、


「……おお、本当に綺麗になった」

「え……こ、これは……!」


 パッチリとした、紫がかった大きな瞳がよく映える美少女が、洗面所の鏡に写っていた。

 普段は前髪に隠れがちだったけど、ここまでの素材が、またも隠れていたとは。


「これ、すごくない? 前髪を上げただけで、眼鏡を外したおなつさんレベルになってるわよ」

「おなつさんって……あの、おなつさんですか? え、うそ、あの美少女モードに、私が……!?」

「うん。すっごく綺麗。これぞ、斎場さんの持つ美少女モードねっ」


 真白、クラスの友達の隠れ美少女の名前を例に挙げて、ついつい直球で言うと。

 その言葉を受けてか、紫亜は、


「え……あ……ひ、うぅぅぅぅ~~~」


 自身のその奥ゆかしさも相まって、耳まで真っ赤になって、顔を両手で覆ってしゃがみ込んでしまった。

 その様もとても可愛らしいのだけども……これは、自信を与えるのと、逆効果になってしまったのでは? 

 と、真白は一瞬考えたが、まだ遅くないとも思える。

 ここは一つ。


「斎場さん、大丈夫。大丈夫よ」

「あうぅぅぅ……」


 しゃがみこむ紫亜に、真白も寄り添うようにしゃがんで、声をかけ始めてみる。

 急に立ち上がらせるのではなく、焦らず騒がず、ゆっくりと。


「だ、大丈夫じゃないです……恥ずかしいぃ……」

「こんなに綺麗になったんだもの。もうちょっと自信を持てば、拝島先輩にだってきっと届くはずよ」

「…………拝島、先輩」

「うん。その美少女モードでいくと、拝島先輩も流石にクラッとくると思う」

「……本当、ですか?」

「本当よ。あとは斎場さんの、あともう少しの頑張りが、成果を結んでいくんだと思うわ」

「…………」


 そうやって真白が励まし続けることで、紫亜は顔を覆っていた両手を解き、ゆっくりと顔を上げる。

 そして――紫亜の頼りなさげだった表情が、スッと引き締まって、



「本当の、本当に?」



 前髪が上がったことで、よく映えるようになった紫色の瞳と、それに相乗して可愛らしさに磨きが掛かった細面が、こちらを正面から捉えてきたのに。


「――――っ!」


 真白は、息が詰まるような心地を得た。

 ゾクリ、と背筋から全身を震わせる感覚。

 顔中に広がっていく熱。

 呼吸が浅くなって、鼓動が高鳴る。

 それくらいに……斎場紫亜の瞳は吸い込まれそうになるくらいに美しく、その顔は視線が釘付けになるくらいに可愛らしく、しかも息づかいを感じられるほどに近くにあったものだから、


「……本当に、です」


 ついつい、真白は彼女に丁寧語で答えてしまっていた。


「そう、ですか」


 その回答に何を思ったのか、紫亜はゆっくりかつ穏やかに微笑む。

 それにもまた、真白はいろいろと撃ち貫かれる気持ちだったのだが、生憎、その微笑みを最後に、紫亜はしゃがんだ状態から立ち上がるとともに、こちらから離れていく。

 ……それを残念に思っている自分に、真白は改めてびっくりした。


「そ、それじゃ、今日は無理ですけど……。明日の放課後に拝島先輩と会う予定ですから、その、頑張ってみますっ」

「う……うん」


 ヘアピンを外して前髪を下げつつ、ふんす、と可愛く鼻息を漏らす様は、美少女モードではなく、いつもの控えめで奥ゆかしい紫亜である。


「えっと、このヘアピン、お返ししますね」

「あ、いや、その……斎場さんに、あげるわ」

「え。そんな、悪いですよ」

「大丈夫。あたしは、まだいっぱい持ってるから。それに、斎場さんに紫色、合ってると思うし」

「そ、そうですか? あ、あ、ありがとうごじゃましゅっ」

「斎場さん、またも噛んでる噛んでる」

「あ……う、ううぅ……」


 またも凹む紫亜。アップダウンが激しい子だった。

 真白、少々複雑な気持ちになりながらも……そう言えば、と思って、腕時計を見ると、


「そうこうしてるうちに、休み時間終わっちゃわね」

「あ、ほ、本当ですね。早く教室に戻らないと。ついつい話し込んじゃいました」

「うん。また、時間があれば、ゆっくり話しましょうか」

「はいっ。改めて、ヘアピンありがとうございます。私、とっても嬉しかったですっ」

「あたしもよ。斎場さんに会えて、嬉しかった」

「えへへ、それじゃ、またっ」


 笑いながら手を振って、少し早歩き気味に去っていく紫亜。

 その背中を見送りつつ、真白も真白で、自分の教室に戻るべく女子トイレを出て、廊下に歩を進めようとするも、


「……はぁ。なかなか、油断ならないわね」


 真白は一度、大きく息を吐いた。

 人の魅力というものは、本当にどこに隠れているのかわからないものだ、とつくづく思わされる。

 確かに、真白にとっては朱実が一番なんだけども。

 その上で、ここまでこちらの心を動かす素質を持っている辺り……実は、とんでもない子と友達になってしまったのではなかろうか?

 そう思うと、今一度、全身を震わせてしまうと共に、


 ……あとで、朱実に謝っておこう。


 夏休みの図書館の時(ACT62参照)と同じく、またも他の女の子に気を取られてしまったことに、罪悪感が手放せない真白であった。



  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★



 はっ!

 またも、どこからかラブコメの波動を感じるっ……!

 しかも、同時に妙な危機感が……!

 と、わたしがそんな謎の感覚に身を震わせていたところ、


「朱実っ!」

「え、シロちゃん?」


 直後、教室戻ってきたシロちゃんが、わたしの席にズンズンズンと歩み寄ってきて、


「ごめにゃ! ……ごめんな、さい……あぅ」


 何故か、こちらに謝ってきようとしてセリフを噛むという、情報量のあることをしてきた。

 ……どこかで見たような、この流れ。既視感?


 とまあ、それ以降『またもツメアマが写ってしまったわ……』とシロちゃんがマジ凹みしたのと、わたしの中の危機感がどこかに溶け消えてしまった辺り。

 一から十まで謎の現象だった、休み時間終了間際の、そんなお話。

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