ACT61.7 彼女の油断ならないところは?


「じゃあ、今日もお疲れさまでーすっ!」


 夏休みに入って数日が経った、午後五時。

 同級生の眼鏡の女の子、緑谷奈津が、意気揚々と作業場の図書準備室を出ていく様を、斎場さいじょう紫亜しあは、ポカンとした態で見送っていた。


「……おなつさん、なんだか、夏休みに入ってからイキイキしてます」

「浮かれポンチという言葉がしっくりくるわね。でも、奈津自身、原稿の進捗は順調だし、質もなかなかのものだったから、作業さえ出来ていればテンションが高いに越したこと無いわ」


 紫亜とは違って、少々呆れたように奈津を見送っていたのは、紫亜の対面の作業机に座る、三年生の拝島はいじま士音しのん先輩。紫亜の想い人である。

 呆れたように、という様子ながらも、知的な真鍮眼鏡越しの視線はどこか温かい。

 そんな温かな雰囲気に、紫亜は胸の高鳴りを感じる。

 ああ、何度見ても、先輩は素敵だなぁ……。


「? 紫亜ちゃん、どうしたの?」


 と、拝島先輩がこちらの視線に気づいたのか、首を傾げて訊いてくるのに、紫亜はビクゥッと肩を震わせた。


「ひゃいっ!? い、い、いえ、なんでも、ありましぇん!」


 そして、台詞を噛んだ。いつも通りの、自分の癖である。

 そんな紫亜に、拝島先輩は苦笑しつつ。


「……そんなところまで噛まなくても。まあとりあえず、私達も帰りましょっか。紫亜ちゃん、駅まで送ってくわよ」

「え……い、いいんですかっ!?」

「いつも手伝ってくれてるしね。そのくらいの、お礼はさせて?」

「あ……あ、あ、ありがとうございましゅっ!」

「ふふふ」


 またも台詞を噛む紫亜に、拝島先輩はまた可笑しそうに笑う。

 彼女と接するに当たって、ここ最近の定番になりつつあるやりとりだったのだが、やはりどうにも紫亜にとっては、この噛み癖はどうにかしたい。

 なおかつ、想い人である拝島先輩に良いアピールをしたいっ!

 だからこそ、この帰り道のチャンスも、ちゃんと会話しないとっ!

 そう言う風に意気込む紫亜なのだが、


「じゃ、部屋の鍵、閉めるわよ」

「はいっ!」

「……って、紫亜ちゃん」

「はい?」

「スマホ、作業机に起きっぱなしになってるわよ」

「え? あ、ああっ!? ご、ごめんなしゃいっ!」

「……ホントに、ツメアマねぇ」


 意気込んだ矢先に、この空回り。

 紫亜、前途多難である。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 あの、期末テスト前に図書室で紫亜ちゃんが私に告白してきて、とりあえず友達から始めようとなって以来。

 紫亜ちゃん、私の漫画の原稿のアシスタントをするようになったのよね。奈津と同じく、押し掛けてくる感じで。

 元より漫画家志望で経験があった奈津はともかく、まったくの素人である紫亜ちゃんだったから、大丈夫かしら……と、最初は思ったものだけど。


『ん……ここをこうやって、ちょいちょいちょい……っと』


 素人のアシスタントには定番の、ベタの作業を任せてみると、なかなかどうして。

 はみ出しもなく足りなくもなく、枠内きっちりの綺麗な仕上げを見せてくれたのには、流石に驚いた。


『おお、上出来ね。すごいわ』

『え? こ、こんな感じで、いいんですか?』

『うん。紫亜ちゃんになら、安心して任せられるわ。もう少し、お願いして良い?』

『は、はいっ! え……えへへ、ほ、誉められちゃいました』

『あ、でも、ここの一カ所だけ、塗り忘れあるわね』

『はうっ!?』

『……そう言うところもツメアマなのね』


 とまあ、彼女特有の詰めの甘さもあるけど、作業全体に滞りがあるわけでもなく、むしろ助かっている。

 真夏のイベントの締め切りにも余裕で間に合いそうなので、紫亜ちゃんには大いに感謝だ。


「は、拝島先輩」

「ん? なぁに、紫亜ちゃん」


 午後五時過ぎだけど、まだまだ日が高い駅までの帰り道。

 肩を並べて歩きながら、紫亜ちゃんが私を呼んでくる。


「そ、そのう……不躾なことをお聞きしますけど。拝島先輩、結構、原稿の作業が多いようなんですけど……じゅ、受験勉強などは、大丈夫なのでしょうか?」

「ん、ああ、その辺については心配しなくても抜かりはないわ。この前の模試も、一学期の通知表もバッチリだったし。よほどのことがない限り、失敗することはないでしょうね」

「そ、そうなんですか……ご、ごめんなさい、不要な心配、でしたね」

「ううん、気遣ってくれて嬉しいわ。ありがと」

「は……は、ひゃいっ!」


 本心からお礼を言うと、紫亜ちゃん、飛び上がるかのようにオーバーな返事をした。

 可愛い……のもあるけど、子犬のようなアクションが、全然飽きない。

 本当に、面白い子だ。


「逆に訊くけど、紫亜ちゃんは成績大丈夫なの? 私の原稿手伝ってばかりで、そっちが疎かになるのも悪いし」

「あ……ええと、おそらく、大丈夫かと。夜にも勉強してますし」

「そう? ちなみに、一学期の学年順位はどのくらい?」

「総合……二位です」

「おお、すごいのね、紫亜ちゃん。原稿のことといい、何気にスペックが高いわっ」

「あうう……でも、わたし、全教科でどこかしら一個だけケアレスミスをしてて、それで一位の黄崎さんには中間も期末も差を離されちゃってて……」

「……あー」


 そう言うところでも詰めが甘いのか、この子。ここまでくると、逆に天才の域では無かろうか。 

 私としてはとても面白くはあるけど、本人が気にしていることなので、そこは黙っておこう。


「まあ、注意深くやっていれば、いつか一位だって取れると思うわ。紫亜ちゃんなら、きっと大丈夫」

「あ、は、はい。学年の成績でも、あと……」

「? あと?」


 続きが気になったので、ついつい、私は促してみると。

 すっと、彼女の紫色の瞳の輝きが、こちらを捉えて、



「――拝島先輩にとっても、一番になれるように頑張りますっ」

「!!!!!」



 躊躇なく、大胆なことを言ってくるものだから。

 私は思わず、顔に熱を持ってしまった。いやでも胸の高鳴りを押さえることが出来ず、呼吸も浅くなってしまう。

 やだ、ちょっと……この、感覚、私……。


「は、拝島先輩?」

「ん……なんでも、ないわ。頑張ってね」

「? はいっ!」


 ツメアマな子だと侮っていると、本当に、不意打ちでこう言うのがくるのだから、油断できない。

 でも……彼女のそんなところが。

 あらゆる意味で、とても面白くて。

 あらゆる意味で、目が離せない。


 本当に。

 斎場紫亜ちゃんは、私を、ワクワクさせてくれる子だ。

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