第64話 社

 夜。

 こっそりと家を抜け出した社はすぐに詩織に見つかった。

「こんなことだろうと思いました」

 詩織は自慢げに腕を組んでいた。

 それを見て社はむっとした。

 詩織が社の行動を読んだ理由はこうだ。

 二人が中学から帰る際、すれ違った青年を見て社は言ったのだ。

「あの人、よくない霊が憑いてるよ。祓わないと悪いことが起こるかもしれない」

 詩織も同じ青年を見たが、不機嫌そうなだけでこれと言った異変は感じなかった。

 だが、社は確信していた。

「やれやれ。父さんはまた旅に出ちゃったから、俺がなんとかしないと」

 まだ中学二年だというのに大人の振りをする社に詩織は少し呆れていた。

 同時に社が家を抜け出し、何かをしようと思っていることを長年の勘から気付いていた。

 詩織の勘は見事に当たり、今こうして社と共に夜の町を歩いている。

「でもどうやってあの人の家まで行くんですか?」

「あの人をつけるよう式神に頼んでおいたんだ。だから大丈夫だよ」

 社はそう言って人形と呼ばれる紙を取り出した。

「一応これも持って来た」と、ナイフをちらりと見せる。

 すると詩織は少し怯えた。

「あ、危ないですよ」

「使うつもりはないって。ただいざという時、詩織を守れないと困るだろ? 相手は高校生だし。大丈夫。見せるだけだよ」

 それを聞いて詩織は怖そうな、でも少し嬉しそうな顔をした。

 そうこうしている内に緋神と表札が書かれた家に着いた。

 よくある二階建ての一軒屋を二人は近くの路地から見上げる。

 緋神家を見ると社の表情が真剣なものに変わった。

「詩織はここに居て。十分経って俺が出てこなかったら、警察に電話するんだ。もし俺以外が出てきたらすぐに逃げろ。いいな?」

 神妙な面持ちの社に気押され、詩織はこくんと頷いた。

 社は辺りを見渡したあと、鍵がしてなかった玄関から緋神家に入っていく。

 詩織は不安に思いながら社の後ろ姿を見つめていた。

 家に入った社はすぐに異変を感じた。

 さっきまでした大きな話し声が止んだのだ。

 悲鳴のような声も聞こえる。

 社は靴を履いたまま廊下を走り、リビングのドアを開けた。

 目の前の光景は衝撃的だった。

 両親と思われる中年の男女が血を流して倒れていた。

 そして彼らを刺したと思われる昼に見た青年が今まさに小柄な少女に襲いかかろうとしていた。

 社の体は自然に動いた。

 自分がなにをやったかは分からない。

 気付くと、青年の腕を掴み、いつの間にか取り出したナイフを刺していた。

 体格的に力では敵わない。なら犯行を完全に止める方法は殺害するのが一番合理的だ。

 社は本能的にこの選択肢を選び、実行していた。

 ナイフの刃は心臓にまで到達していた。

 筋肉が収縮する感触が柄から伝わる。

 そこでようやく社は自分が人を殺したことに気付いた。

 青年は社を見て、安堵したように笑うとその場に倒れた。

 それを見て社は震えだした。

 同時に背後で誰かが倒れた音がした。

 ハッとして振り返ると、先程見た少女が気を失っている。

 社は青年が死んだのを確認するとすぐに少女の元へ駆けつけた。

「大丈夫?」

 だが返事はない。静まり帰ったリビングで社は汗を流した。

 このまま通報すれば、自分は捕まってしまう。

 そうなれば詩織までもが共犯とされるかもしれない。

(・・・・・・どうする?)

 その時、社は後ろに気配を感じて振り返った。

 そこには若い女の霊が立っていた。彼女を見て、社は事の真相を理解した。

「・・・・・・あんたのせいか」

『・・・・・・どうしてみんなは家族がいるのにあたしはいないの? どうして?』

 高校のセーラー服を着た少女は社に尋ねた。

 社はズボンのポケットに手を入れた。

「さあ。浮浪者みたいな父親に振り回される子供もいるんだ。いればいいってわけじゃないよ」

『どうして? ねえどうして? どうしてあたしだけ不幸なの?』

「皆なにかしら不幸なんだよ。だから幸せになろうとする。不幸なのはあんただけじゃない。逆恨みで死者が生者に関与しないでほしいな。悪いけど祓うよ」

 社は人形を取り出した。

『どうして?』

「俺にしかできないから、かな」

 社の真っ黒な目に少女は脅え、しかしすぐに怒った。

 髪を逆立て、鬼の形相となる。

『ならお前も不幸にしてやるっ!』

「生憎だけどもうとっくに不幸だよ」

 社は余裕の笑みを浮かべた。

 怨霊退治はこれが初めてではない。

 父親の司に連れられ、何度か体験していた。

 社は怨霊降伏で有名な摩利支天の鞭法を三度唱えた。

「オン・マリシエイ・ソワカ。オン・マリシエイ・ソワカ。オン・マリシエイ・ソワカ」

 すると少女の怨霊は喉を押さえ、息苦しそうにもがきだした。

 それを見て、社は成功を確信する。

 だが、すぐに余裕は消え、背後に感じた巨大な熱にゾッとした。

 社が振り向く前に炎が放たれ、目の前の怨霊を火で包んだ。

 女の怨霊は苦しそうな悲鳴を上げ、のたうち回る。

 それを見て社はゴクリと唾を飲んだ。

 ゆっくりと振り向くと、そこには先程気を失ったはずの少女が立っていた。

 うっすらと目を開けているが、瞳に生気は感じられない。

 だが少女からは確かに炎のような熱が感じられた。

 それを見て社は摩利支天が陽炎の力を借りる真言だと思い出した。

 それを唱えたせいで少女の体から何かが生まれようとしている。

 そしてそれは炎を操るものだった。

 社はこの家が神楽町の南に位置すること。

 そして長男の年齢から考え、昔あった大火事のあとに建てられたことを推測すると、目の前の光景に一つの答えを導いた。

「・・・・・・朱雀。・・・・・・その子を依り代にしたのか」

 それはつまり今、目の前で神が生まれようとしていることを示していた。

 そうなれば少女の肉体は耐えきれないだろうことはすぐに分かった。

 少女の体に青白いヒビのようなものが現われ、増えていった。

 社は気を落ちつかせ、大きく息を吐いた。

 そして覚悟を持った目で少女を見つめた。少女の背後には炎の翼が見える。

 それは一刻の猶予もないことを示していた。

(今の俺じゃ、完全体の四神を鎮めるなんて無理だ……)

 社はちらりと後ろを見た。そこには息絶えた緋神夫妻が横たわっている。

「・・・・・・すいません。使わせてもらいます」

 社が使用を決意した法。

 それは、修験者や忍者が用いた呪法。

 飯縄権現の法だった。

 二頭の夫婦鹿を捕まえ、生きたまま皮を剥ぎ、供物に捧げる。

 これを社は人間の夫婦の屍で代用した。

「高天原に神とどまります神のまなこのこのイズナききとめて、祓えたまえ、清めたもう」

 祓えの詞を唱えると、少女の背後にくっきりと朱雀の姿が見えた。

 社は続けた。

「神の加護により陰陽道の秘術を授けたまえ!」

『ならば我の半身をそなたに』

 朱雀がそう言うと、巨大な炎が上がり、家を焼いた。

 そしてその一部が社の持つ人形に吸い込まれていく。

 それが終わると、人形はすーっと浮き、社の中に入っていった。

 突如として異変は起こった。

 社の目が猛烈に痛み視界が悪くなる。

 血涙を流す社は今まで見ていた景色が塗り替えられるのを感じていた。

 物が形を失い、光になる。

 生者は強く光り、死者は弱く光った。

 なにもないはずの空間を無数の光が舞い蠢く。

 それは、人が見ることのできない世界だった。

 物質の概念が及ばない次元だった。

 社は混乱し、叫び、そして理解した。

(これは・・・・・・人が視てはならない世界だ)

 炎が家を焼いていく中、社は悟り、そして思い出す。

 小白はどうなったのか?

 そう思い、目線を動かすと、爛々と煌めく小さな白い光が見えた。

 社は小さいながらに力強い光に目を奪われた。

 そしてすぐさまそれが先程の少女だと理解した。

 同時に聞き慣れた声が聞こえてくる。

「大丈夫ですかっ!?」

 異変に気付いた詩織は家の中に入り、三つの死体を見て愕然とした。

 その上社は血にまみれている。

 詩織が狼狽するのを感じ取った社はこのままでは駄目だと少女を抱き上げ叫んだ。

「出口はどっちだっ!?」

 社の言葉に詩織は我に返り、「こっちです!」と先導を始めた。

 社には詩織も光にしか見えなかった。

 だが他とは違う特別な光に見えた。

 社は小白を抱いたまま詩織を追いかけ、なんとか先程居た路地まで走って逃げた。

 すぐさま狼狽した詩織が尋ねる。

「この子は? それにその髪と目はどうしたんですか?」

「説明はあとでする」

 社はそう言うと小白をその場に置いてじっと見つめた。

 微かだが、まだこの世の風景も見える。歩くくらいなら可能だ。

 光の強さからどうやら小白は無事のようだった。

 ほっとしたのも束の間。すぐに近所の人が騒ぎ出した。

 口を揃えて消防に通報しろと叫び出す。

 このままここにいては捕まると思った社は詩織の手を探し、掴んだ。

「この子は大丈夫。もう逃げよう。悪いけど目がよく見えない。うちの神社まで連れていってくれ」

 それを聞いて詩織は愕然としているようだった。

 しかし震える手で社の手を握り、走り出す。

 二人は夜の町を駆け抜け、雲龍神社へと逃げ込んだ。

 そしてこの日のことは二人だけの秘密となった。

 事件を境に社は夜の視力を失い、同時に今まで見えなかった世界を見るようになった。

 それは人の世に重なる別の世界。

 生命が原始的な形を保つ陰の世だ。

 神と呼ばれるもの達が見ている世界でもある。

 社は慣れるまで時間がかかったが、しばらくすると光の法則性がいくらか分かり、闇の中でも少しは動けるようになった。

 しかし、だからと言って社の夜が戻ってくることは永遠になかった。 

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