第63話 小白

 三年前。

 その日、緋神家では家族全員が集まり、長男真一郎のことで話し合いがされていた。

 最近真一郎の素行が悪いことはまだ中学に入ったばかりの小白にも理解できた。

 帰りが遅いし、煙草を吸ったり、酒を飲んだりしている気配もあった。

 学校の友人からも悪いグループと遊ぶ真一郎を見たと言われて心配されたくらいだ。

 そしてそんな噂は両親の耳にも届いていた。

 真面目で成績がよく、優しかった兄が変わり、その事実に家族の誰もが不安を抱いていたのだ。

 両親は嫌がる真一郎をなんとかなだめ、今日こうして話し合いの場を設けた。

 テーブルについて話し合う両親と兄の姿を小白はリビングのソファーに座り、心配そうに眺めていた。

「これはなんだ?」

 眼鏡をかけた父親は高圧的な声を上げた。

 テーブルには真一郎の部屋から出てきた煙草や酒、そして小白にはよく分からないが、小さな袋に入った白い粉末が並べられていた。

 それを見て真一郎は舌打ちをした。

 黒い短髪に高めの身長、この前まで父親同様眼鏡をかけていたが、今はコンタクトレンズにしていた。

 優しかった兄の目は鋭く尖っていた。

「勝手に人の部屋に入りやがって」

 背もたれに深くもたれ、反抗的な態度を取る真一郎に父親は激怒してテーブルを叩いた。

 母親は俯き、小白はびくっと体を震わせる。

 父親は大声を上げた。

「ふざけるなっ! お前、これがなんだか分かってるのかっ! 犯罪なんだぞっ!」

「だから?」

 真一郎はニヒルな笑みを浮かべる。

 それを見て父親は更に激怒した。

 身を乗り出し、息子の胸ぐらを掴む。

「真一郎っ!」

「はなせよ!」

「やめてください!」と母親が制止に入る。

 だが父親の怒りは収まらなかった。

 小白はこれほど怒っている父親を見たことがなかった。

 怖くなった小白は家族を見ることを止め、耳を塞いで小さく丸まった。

 それでも大声の会話は聞こえてくる。

「いつからこんな人間になったんだっ!? おかしいぞお前!」

「そんなこと親父には関係ないだろっ! 俺はもう子供じゃないんだ!」

「高校生が子供じゃなくてなんなんだ! 親の金でそんなものを買って心が痛まないのか!?」

「心が痛むかだと? よく言うよ! 俺の気持ちも知らないでっ! 葵がっ! 俺の恋人が死んだ時、あんたらはなにをしてくれたよ? もう忘れるんだ? お前には未来がある? そんな葵を侮辱するような言葉ばっかりかけて、俺が喜ぶとでも思ってたのか?」

「・・・・・・やっぱり、あの子が原因なのね?」

 母親は落胆して聞いた。

「なんだよその言い方?」

 真一郎は激昂した。

「皆が皆、葵をそんな目で見やがって! あいつは心が弱かったんじゃない! 強すぎたんだっ! だから誰にも言わずに死ぬまで耐えてきたんじゃないかっ!」

「だからって、お前がこんな人間になることないだろうが!」

 父親は悲しみながら叫んだ。

「・・・・・・俺は、葵とは違うんだ」

 真一郎の声が小さくなる。

「俺は弱いんだよ。葵がいないとどうしようもないんだ。道を失った気分だよ。もうなにも見えない。暗闇の中だ」

「真一郎・・・・・・」

 父親も同情の声を出した。

 そこで小白は恐る恐る顔を出し、再び家族の方を向いた。

 兄はうな垂れ、父親は兄を悲しそうに見つめ、母親は泣いていた。

 真一郎は嘆いていた。

「・・・・・・俺が、葵の気持ちに気付いてやれば・・・・・・。少しでも寄り添ってやれれば、こんなことにはならなかったんだ。全部・・・・・・俺のせいなんだ」

 真一郎は瞳に涙を浮かべる。

 父親は近寄り、そっと息子の肩に手を乗せた。

「・・・・・・すまなかった。お前も、苦しんでたんだな・・・・・・。それを分かってやれなかった。ごめんな」

 父親の謝罪を聞いて、真一郎は辛そうに下を向いた。

 父親は続けた。

「だけど、俺は俺の家を、家族を守らないといけない。だからこんなものをこの家に入れることを許すわけにはいかないんだ。お前も、それは分かるだろう?」

 父親の問いに、真一郎は力なく頷いた。

 それを見て父親は安堵した。母親も涙を浮かべてほっとしている。

 だが、小白だけは違った。

 真一郎の背後を見て怯えていた。

 そこには若い少女が立っていた。

 なのに両親は気付いていない。

 その少女は生気のない青白い顔に、失望の色を浮かべている。

 ふいに少女が動き、兄に抱き付いた。

 次の瞬間、悲劇は起こる。

 真一郎が隠し持っていたナイフを父親の横腹に刺したのだ。

 これには一同唖然とした。

 刺された父親も、刺した真一郎も同じく驚いている。

 真一郎はナイフを抜き、狼狽して後退った。

 父親は傷に手を当て、呆然と尋ねた。

「どうして・・・・・・?」

「違う・・・・・・。違うんだ」

 血を流す父親を見て、真一郎は自分でも信じられないと首を横に振った。

 だが、言葉とは反対に、真一郎は父親に襲いかかった。

「真一郎っ、やめるんだっ!」

 父親はそう叫んだあと、胸を刺され、倒れ、動かなくなった。

 それを見て母親は顔面蒼白になり、夫の元に駆け寄る。

 そして涙を流して真一郎を見つめた。

「やめて・・・・・・。真一郎、どうしてこんなことをするのっ!?」

 悲しむ母親は息子に尋ねる。

 だが、真一郎さえどうして自分がこんなことをしているか分からない様子だった。

「分からない・・・・・・。か、体が勝手に・・・・・・」

 真一郎はそう言いながら混乱した表情で母親に近づくと、その喉にナイフを突き立てた。

 しばらくすると母親は血の気を失った。

「やめろ・・・・・・。やめてくれ・・・・・・」

 真一郎はナイフを持った右手を左手で掴んだ。

 真一郎の右手は自分のものではないように動き回り、ナイフに付着した血が飛び散った。

 それを見ていた小白は茫然自失としていた。

 兄が目の前で両親を殺した。

 その光景を現実のものとして受け止められなかった。

 青ざめ、震え、体は硬直して動かない。

 すると真一郎の目が動き、小白を捉えた。真一郎は告げた。

「小白・・・・・・。逃げろ・・・・・・。小白!」

 そう言うと同時に真一郎は小白の方へ走り出した。

 小白は逃げることも出来ず、ただ目を瞑った。

 殺される。

 そう思った刹那、ナイフが肉を刺す音が聞こえた。

 小白は殺されたと思った。

 すぐに痛みがやって来て、自分の命を奪っていくと予感した。

 だが、その予感は当たらず、痛みはいつまで経っても訪れなかった。

 恐る恐る目を開けると、目の前に誰かの背中があった。

 彼は兄が小白を刺す直前で腕を掴み、逆に自分の持っていたナイフを兄の胸に刺していた。

 パーカー姿の髪と瞳の黒い少年だった。

 血を吐きながら兄が倒れるのを見て、小白はショックで気を失った。

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