第48話 隼人
「あと一人? 痛っ!」
隼人振り向くと社が長い物差しで肩をぺしっと叩いた。
「ほら、崩さない。お寺の子だろ?」
ここは寺でなく、雲龍神社の本堂だ。
普段は閉じられ、関係者以外は入れないが、今日は特別に開いている。
隼人の前には御神体が祀られていた。
社の父、司が拾ってきた三種の神器。
つまり八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣が並べられている。
司曰く、どれも史実から忘れられた本物らしいが社は信じていなかった。
社は話を聞きに来た隼人をここに案内して正座させた。逮捕されたお返しだった。
負い目がある隼人も大人しくこの座禅ごっこに付き合っている。
ひんやりとした床板は堅く、足を痺れさせた。
隼人は姿勢を正して尋ねた。
「・・・・・・あと一人って、なんでそんなこと分かるんだ?」
社は隼人の後ろをうろうろしながら呆れて問い返す。
「寺の子なのにその数字を聞いてもなにも分からないのか?」
「・・・・・・悪かったな。数字? 瀬在が八人目だとして、九か。・・・・・・九? ・・・・・・救急車?」
ぺしんっ。
社はまた隼人の肩を叩いた。
「真面目に考えなさい」
「考えてるよ。分からんもんは分からん。足の感覚がなくなってきた。もう答えを教えてくれ」
早々のギブアップに社は嘆息する。隼人を諦め、入り口で二人を見守る詩織の方を向いた。
「詩織なら何が浮ぶ?」
突然の質問に詩織は慌てて考え出した。
しかし隼人が先程言った救急車で頭がいっぱいになってしまう。
「あの・・・・・・、えっと・・・・・・ですね・・・・・・。・・・・・・・・・・・・きゅう・・・・・・り?」
あたふたする詩織に社は楽しそうな視線を送った。
そして「ヒントだ」と言って右手の人差し指と親指を立てて見せる。
それを見て、最初はピンとこなかった詩織が頷いた。
「九字・・・・・・ですか?」
「そう」
社は頷いた。
「ああ!」
隼人も納得する。
「あの手をシュバシュバするやつか」
「・・・・・・俺としてはスッって感じなんだけど。まあ擬音はいい。
臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前
術者がそう言いながら空に線を切っていくのは見たことあるだろう。あれが九字切りだ」
「線? あれ? あやとりみたいなやつじゃないのか? 忍者がやったら火ぃ吹けるんだろ?」
「あやとり・・・・・・。隼人が何を言ってるのか大体分かったよ。そうだ。あれも九字だ。蒼一はそれをしようとしているんだろう。人の血を使ってな。詩織」
「はい」
詩織は手に持っていた地図を広げた。神楽町を大きくプリントアウトしたものだ。
隼人の前にそれを置き、社は説明を始める。
「神楽町は碁盤の目になっている。当然道路は縦横の直線が混じり合うわけだ。蒼一はここに目をつけたんだろう。阿澄翔子が殺されたのがここだ」
社は町の北東を指差した。
「佐藤というOLが惨殺されたのがここ」
次に西南を指差す。
「そして瀬在が襲われたのがここだ」
最後に東を指差した。
「それぞれ近くに比較的大きな道路が通ってる。そこに線を引くと縦線が二本、横線が一本となるわけだ」
「なるほど・・・・・・」
隼人は地図を見て困惑しつつも納得していた。
社が続ける。
「決定的なのは佐藤と瀬在だ。佐藤は死体を裂かれていた。そして瀬在は在がつく珍しい名前だ。狙われた理由の一つはそれだろう。特に瀬在は厄抱えでもある。蒼一からすれば理想的だった。目を付けたのは昨日や今日じゃないはずだ」
「計画殺人か・・・・・・。ああ、そうか。だからお前は死体が七体あるとか、あと一人とか言ってたのか。でもこれはなんなんだ? これをやったらどうなる?」
「九字は日本で生まれた独特の護身法だ。本当の意味は作った修験者にしか分からない。だけど分かることがある。いつも同じ場面で使われるんだ。それは文字通り護身だ。自らに呪いをかけて、他の呪いから身を守るんだよ」
「呪いで呪いを? よく分からんな」
隼人は首を傾げた。
「毒をもって毒を制す。呪いには呪いだ。呪いと聞けば負のイメージが先行するけど、正の呪いだってあるんだよ。祈祷やお祓いだって大別すれば呪いなんだ」
「じゃあ蒼一はこの町に呪いをかけようとしてるってことか? その為に人を殺したって?」
隼人は眉をひそめる。
社は頷いた。
「そうだ。馬鹿げてる。だけど蒼一は本気だ。でないとこんなこと考えても実行できない」
社は真剣な目をした。
それを見て隼人も蒼一の目を思い出した。
同じ目をしていた。性質は真逆だが、本気という点は同じだ。
「・・・・・・分かったよ。じゃあ仮にそうだとして、その九字の呪いをかけるとどうなるんだ?」
「言っただろう。九字は護身だ」
「聞いたよ。守るんだろ? 良いことに聞こえるけどな。やり方は最悪だけど。痛っ」
社はまた隼人の肩を叩いた。呆れて溜息をつく。
隼人は「なんだよ?」とむっとする。
「分からないのか? 守るってことは、守らなきゃならない状況になるってことだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」
隼人は間抜けな声を出した。
「平和な時に盾は持たない。持つのは危険な時だけだ。蒼一は危険を招こうとしている。だけどそれから町を守ろうともしてるんだ」
「・・・・・・なんの為に?」
「それは蒼一にしか分からない。いくつか想像はつくが、はっきりとはしない。ただ確かなのは蒼一にとってそれは殺人をしてまでやる価値があるってことだ」
煮え切らない返答に隼人は顔をしかめた。
社は気にせず続ける。
「だが問題もある。九字は強力な厄払いだが、土地にかけるとマイナスに作用することがあるんだ。実際、九字の法を用いた平安京は悪鬼悪霊が跋扈したと言われてる。陰陽師が活躍したのもその時代だ。守ろうと思って九字を切り、その結果呪いが逃げ場を失って充満するということはよくあることなんだよ。だから九字を知ってる者は無闇やたらに切らないんだ」
それを聞いて隼人の指はぴたっと止まった。慌てて手を振って社に尋ねる。
「じゃあ、性質っていうのはなんだ?」
「厄抱えは俺がそう呼んでるだけなんだけど、文字通り厄を抱えてしまう体質の人間だ。他人の不幸まで自分のものにしてしまうような人だ。傾向的に優しい人間が多いな。普段は厄に抵抗があるんだけど、その分容量を超えた時の反動が大きい」
「ああ。いるいる」
隼人は頷いた。
「明るくて元気だったのに突然鬱病でいなくなったり、自ら命を絶ったりする人だな。心当たりはあるよ」
「そうだ。お前は信じないと思うが、俺にはそういう災いを引き起こす厄が視えるんだよ。お前は信じないだろうけどな」
「いやまあ・・・・・・。信じてないわけじゃあないけどさ・・・・・・。一応俺も寺で育てられてたわけだし」
言葉を濁す隼人に、社はやれやれと肩をすくめる。
「隼人が信じようが信じまいがどうでもいい。それは警察もだ。重要なのは蒼一がそれを信じ、そして視えているということだ。でないと行動に説明がつかない。オカルト好きの異常者が儀式の為に快楽殺人をしている。こんな答えが欲しいなら俺のところへ来ないで週刊誌やお笑い芸人が出てるニュース番組でも観ればいい。だがそこに蒼一が信じる答えはないだろう。人がこの世で信じられるのは自分で感じたことだけだ。あとはお前が決めればいい」
結局、全てを決めるのは自分だと言われ、隼人は腕を組んだ。
(普通の思考回路を持っていたら、社の話は到底信じられることじゃない。呪いの為に人を殺す奴の正当性を説いてるんだ。いや信じられないというより、大の大人が信じちゃだめなんだ。だけど、社は瀬在佐和子を救った。それだけは確かだ)
隼人は小さく息を吐き、自分の選択に苦笑した。
「・・・・・・・・・・・・難しいな。俺は見えないし、何も感じないから」
隼人は顔を上げた。
「だから俺はお前を信じるよ。そっちの方が良さそうだ」
それを聞いて社は溜息をつく。
「つくづく罰当たりな奴だな。阿弥陀如来も悲しんでるだろう」
「別にいいよ。会ったことないし」
隼人は笑った。しかしそのあと笑みに寂しさが混じる。
「……蒼一に会って、あの目を見て分かったことが一つある。あいつは理路整然と壊れてるんだ。常識で計っても火傷する。ならこっちも目線を合わせなきゃならない。その為に使えるものはなんでも使う。結果が出ればなんでもいいさ」
気楽に笑う隼人。
社は「好きにしてくれ」と苦笑した。
一方で詩織は冷たい目で隼人を見てぼそりと言う。
「逮捕したくせに」
聞こえた隼人は気まずそうにむむっと顔をそむけた。
「胸ぐらも掴まれたしな」
社が油を注いだ。
「そんなことまでっ!? 信じられない。よく謝らずに平然とできますね」
場の空気が急にひんやりしてきた。
「ボタンも取れたし、カツ丼も自腹だった。二日目なんてクスリで捕まった人がずっと大音量でアルゴリズム体操を歌っていたよ」
「あら危ない・・・・・・」
詩織は想像し、頭に手を当ててぶるっと震えた。
非難の目に我慢できず、隼人が声を上げる。
「ああもう! 分かったよ! 悪かった。これでいいだろ?」
隼人は立ち上がろうとするが、足が痺れて横に倒れた。
それを見て、社は楽しそうに笑う。
「ははっ! いい気味だ。神罰だな」
ご機嫌な社に、さっきまで冷めていた詩織も嬉しそうに安堵している。
隼人だけが床でのたうち回っていた。生まれたての子鹿みたいな隼人がなんとか立ち上がろうとするとそこで一つ言い忘れていたことに気付いた。
「ああ、そうだ。お前、次に襲われるのが共犯者だって言ってたよな?」
「多分だけどな。誰だった?」
「それだけど・・・・・・。やっぱりお前の考えすぎってことはないのか?」
「もちろんあるよ。リスクを減らすためにアリバイを作ってもらったとしても、そのあとすぐに捕まる可能性がある場所で犯行をしたら意味がない。全く関係ない別の事件だと思う方が健全だ。・・・・・・ただ」
社は目を細めた。
「もし蒼一が、俺の指示で動いた隼人に犯行を止められる可能性まで考えていたら話は別だ。逃亡するのが前提なら、共犯者は足手纏いにしかならない。そこから潜伏先が割れるかもしれないからな。今、この状況が計画に入っているなら、共犯者の元に隼人が駆けつけた時点で切り離す判断をしても不思議じゃない。少なくとも俺ならそうする」
「・・・・・・お前、留置所の中でそんなことまで考えてたのか?」
隼人は社の読みに唖然としていた。
「暇だから考えることくらいしかやることがなかったんだよ。隼人の寺からは何か出てきたか?」
「いや、なにも。あそこで人が生活していたのかってくらいだ。指紋もほとんど出てこなかったし、髪の毛だって落ちてなかった。潔癖症どころじゃない。ただ、日記が出てきた」
「自分が殺人犯になるまでの日記?」
社は苦笑した。
「・・・・・・まあ、噛み砕いて言えばそうなる。でも嘘には見えなかったぞ」
「それは真実を隠すためだ。事実から意図的に情報を抜いても事実だ。でも真実じゃあない。きっと単独犯だと思わせる文章が書き綴られていたんだろう。もしそうなら、逃亡までが計画の内というのは確定だな」
「考えすぎじゃないのか?」
「七人も殺すまで容疑者でさえなかった男だ。考えすぎた方が良いよ。現に今も捕まってない」
「それもだけど、蒼一は本当に七人も殺したのか? そこがどうも信じられない」
「そうだな。別に殺さなくもいい。血で九字を切るのが目的だから。蒼一は住職だ。人の死があちらからやってくる。それを利用したのかもしれない。ただ、もしそうなら、蒼一は気の遠くなる時間、他人の死を待ち続けたことになる。なら今になって我慢できなくなった理由がいるな。心が壊れたのか、それとも・・・・・・。まあいい。結局あの日襲われたのは誰だったんだ?」
そこで話が戻り、隼人はちらりと詩織を見た。
詩織は不思議そうにする。
「聞いてないのか? ほら、お前らの知り合いだよ。一緒にいるところを見たことがある」
社と詩織は顔を見合わせた。
まだ社が釈放されて二日目だ。
社は学校に行ってないし、詩織は社のことで頭をいっぱいにさせ、噂話に耳を貸す余裕がなかった。
二人を見て隼人は言った。
「まあ、新聞やニュースも蒼一の話題ばっかりだったからな。あの子だよ。茶髪の。えっと名前は・・・・・・」
隼人は手帳を取り出した。
「ああ、白沢だ。白沢蓮」
社は「あの子か・・・・・・」と考えを巡らせる。
一方で詩織は驚いていた。
「白沢が? あ、そう言えば廊下ですれ違った時、包帯をしてました。でも襲われたなんて・・・・・・」
社は否定した。
「いや。もし彼女が共犯者なら襲われたんじゃない。自分でやったんだ」
断定する社に詩織は驚いた。
だがその意見を隼人が否定する。
「だからありえないんだって。女子高生が自分で自分の肩を刺せるか? 切ったんじゃない。刺したんだ。角度的にも誰かに刺されたものだと医者が証言してる」
それを聞いて社は首を横に振った。
「何かにナイフを固定して、そこへ体重を預ければいい。凶器を処分してから通報すれば――」
「ないね。隼人に共犯者がいる線はこっちも考えてる。お前が瀬在と会った同じ時間、同じ現場の周辺に不審な男が車に乗った映像があるんだ。それが蒼一だとしても、共犯者は車を運転してる。だから白沢蓮が共犯者の可能性はない」
「・・・・・・なるほど。蒼一もうまくやったな。その車、まっすぐゆっくり走ってこなかったか?」
「・・・・・・そうだけど。お前、まさか」
隼人は半ば呆れていた。
「深夜、あの辺りは交通量が皆無と言って良い。よく知らないけどオートマ車なら、例え運転の経験がなくても、誰もいない直線を走らせることくらいできるんじゃないか? 無免許で捕まる奴がたくさんいるのに、女子高生が運転できないって決めつけるのはよくないよ」
「普通そこまでするか? 蒼一と白沢が恋人だったとしても怪しいぞ。それにそんな気配すら出てこない。携帯の履歴だってちゃんと調べてるんだ」
隼人は信じられないと首を横に振った。
だが社は違った。自虐的な笑みを浮かべる。
「携帯なんて盗めばいいだろう。もう忘れたのか? 俺達は普通じゃない。凶人を常識で計ろうとするな」
社にそう言われると隼人には説得力があった。
通常ではありえない。だからこそありえる。
分別ある大人が排除する可能性を蒼一なら上手く利用することは否定できない。
「・・・・・・一応頭の隅に留めとくよ。けど結局蒼一を捕まえないと意味がない。ただ、もし蒼一がそこまで考えられる奴なら、捕まえるのは簡単じゃないな」
「だろうな。例え白沢が共犯者だとバレても対策してる可能性が高い。考える時間はあったんだ。それこそ精神が狂うほどの」
社はどこか理解を示すように頷く。
そして見る者を不安にさせる決意を目に浮かべた。
「だからと言ってこれ以上好き勝手させる気はない。打てる手は打つ」
「待てよ。聞き忘れてたけど、お前、あの夜ナイフでなにをしようとしたんだ? まさか」
「そのまさかだよ。言うまでもない」
隼人は社を睨んだ。
だが社は表情を崩さない。
しばらく沈黙が続いた。
社は肩をすくめる。
「俺は俺のやり方でやる。だけど目的は同じだ。情報は共有しよう」
社は隼人に手を伸ばした。
隼人はその手をじっと見つめた。色々思うことはある。だが、この手を拒否すれば事態が悪化することだけは分かった。
「・・・・・・俺にお前を二度も逮捕させるなよ?」
隼人が握手に応じると、社はフッと笑った。
「交渉成立だな」
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