第32話 社

 取調室の明かりは何一つ付いていなかった。

 古く安っぽい机にパイプ椅子を窓から入る自然光だけが彼らを照らす。

 そこで隼人と社は向き合っていた。

 隼人は明らかに不機嫌そうな顔をしている。

 対する社は疲れ切った無気力な表情を浮かべていた。

 社の手には手錠がされており、すでに取り調べは八時間に及んでいる。

「・・・・・・お前がやったんだな?」

「・・・・・・隼人。お腹が減った。カツ丼が食べたい」

 社はぼそぼそと告げた。

「阿澄翔子も、佐藤友恵も、そして瀬在佐和子も」

「・・・・・・隼人。カツ丼が食べたい。ソースを使ってないのがいい」

「社・・・・・・。お前・・・・・・」

「・・・・・・隼人。カツ丼だ」

 それを聞いて隼人の目が見開かれる。怒りに任せて机を叩き、その勢いで立ち上がり、腕を伸ばして社の胸ぐらを掴んだ。

 それでも社は無気力なままぼうっとしていた。

「社っ!」

「・・・・・・何度も言わせるな。隼人。・・・・・・カツ丼が食べたいんだ」

「てめえっ!」

 叫んで殴りかかろうとした隼人を近くにいた須藤が取り押さえた。

「おい! 綾辻。落ち着け!」

 須藤の言葉に隼人は荒げていた息を長く吐いて、なんとか心を落ち着かせた。

 隼人は舌打ちをして社を椅子へと押すようにして戻し、自分もどかっとパイプ椅子に座った。

「お前が俺じゃないと話したくないって言ったから来てやったのに、なにがカツ丼だっ!」

「頭に血が登りすぎだ」

 須藤は隼人の肩をぽんと叩いた。

「代われ」

 上司に言われた隼人は渋々席を譲り、近くの壁に腕組みしながらもたれかかった。

 隼人としてもこんな社を見るのは初めてだった。

 憔悴し、意識がはっきりしてないようだ。視線はどこにも向いていない。

 いつも浮かべている優しい微笑は跡形も亡く吹き飛んでいた。

 ぐったりと椅子に座る社に須藤が語りかけた。

「話を整理しよう。いいかい? まず昨日の深夜一時頃。君は商店街で瀬在佐和子と出会い、それから三十分程会話している。これは目撃者もいるし、防犯カメラにも写っていた。そして一時四十分頃。瀬在と一緒に片付けをし、東へ向って歩き始めた。そうだね?」

 尋ねられても社は何一つ答えなかった。

 須藤は続ける。

「君と瀬在佐和子が一緒に歩いているのは周囲の防犯カメラからも明らかだった。そして瀬在のマンションへ向い、近くで分かれ、背後から襲った」

 やはり社は何一つ答えない。

 須藤は写真を取り出して机の上に並べた。

「周囲に捨てられていたこのナイフに君の指紋があった。だけど血痕がない。君が救急に電話し、救急車が辿り着いた時、君は全身血みどろだったのにだ。どうやって血痕を消したんだ?」

 それを聞いて社はおかしそうに小さく笑った。

「・・・・・・ルミノール検査も、ヘモクロモーゲン結晶検査もどちらもパスする方法ならある。だけど、それなら別の跡が残るはずだ。その跡も残さずどうしたのか。そう言いたいんですか?」

「・・・・・・詳しいな。だがそうだ。それともナイフを二本用意したのか? ならどうして一本捨てた。そして殺した方のナイフはどこに隠したんだ?」

「・・・・・・ばからしい」

 社は疲れたように言った。

「そこまでして指紋の付いたナイフを捨てる意味が分からない。・・・・・・あれは、偶然持ち歩いていたのがポケットから落ちただけです」

 それを聞いて隼人は歯ぎしりした。

 須藤は年季の入った眼光で社を睨む。

「つまり君は深夜に偶然瀬在佐和子と出会い、家まで送り、偶然持っていたナイフを落としたと言いたいのか? そんな話を誰が信じる?」

「・・・・・・・・・・・・あいつは、瀬在はどうなりました?」

 社は急に話を変えた。

 須藤は眉根を寄せて答えた。

「意識不明の重体だ。未だに生死の境目を彷徨ってる。だが医者の話じゃ、君が止血しなければ確実に死んでいたそうだ。阿澄や佐藤は殺したのに、どうして瀬在は助けたんだ? 良心が痛んだのか?」

 社は黙った。もう欲しい情報は手に入れたというように俯く。

 須藤は続けた。

「なら二つ目の事件だ。佐藤友恵の両腕と両足は烈しく裂かれていた。あれにはどういう意味があるんだ?」

 それを聞いて社がすっと目を開けた。

「・・・・・・裂かれていた?」

 社は壁際の隼人の方を向く。

 隼人は不機嫌そうに頷いた。

 それを見て社はおかしそうに笑った。

「・・・・・・そうか。やっぱりあれだったのか。あいつも馬鹿なことを考える・・・・・・」

「あれ? あいつって誰だ?」

 隼人は尋ねた。

 しかし、社はまたぐったりとして黙った。

 苛立つ隼人を制して須藤は尋ねた。

「なにか知ってるのか? それとも共犯者がいるのか? そうなんだな?」

「・・・・・・須藤さん、でしたっけ?」

 社は呟いた。

「・・・・・・あなたは神を信じますか?」

 いきなりのふざけた質問に須藤は若干混乱して答えた。

「・・・・・・いや」

「なぜ?」

「俺は刑事だ。見えないものは信じない。証明されないものもだ」

「なら・・・・・・、そうだ。粒子の存在は信じますか?」

「粒子? ああ。信じている」

「見えないのに?」

「だが証明はされている」

「それがなされたのは最近のことです。異次元も素粒子も重力波もそうです。どれも見えず、最近まで証明すらされなかった。つまりそれまでそれらはなかったんです。須藤さんのルールではそれらは存在したのに、しなかったことになる」

「・・・・・・何が言いたい?」

 憮然とする須藤に社は諭すように告げた。

「目に見えるものだけが全てじゃない。この世には人が知らないものの方が多いんです。人類はそれを科学で可視化してきました。でも、限界がある。人のままでは辿り着けない領域があるんだ。そして、今回の事件はそういうものを信じた人間が引き起こしたんですよ」

 社は顔を上げた。

「・・・・・・俺は七人も殺されるまで、それに気づけなかった。そして瀬在佐和子が八人目だ」

「七人っ!?」

 隼人が声を上げる。

「お前、他に七人も殺したのかっ!?」

「・・・・・・俺じゃない。けど、防げなかったんだから同じようなことだ。これは俺にしか防げなかった。なのに・・・・・・・・・・・・。だからこうやって罰を受けてる。警察の勾留期間は十日だったよな?」

「裁判官が認めれば更に十日延長される。別の罪状で再逮捕すればもっとだ」

 隼人が答えた。

「二十日以上か……。それは困るな。まあいい・・・・・・。ここまで来たら運を天に任せるよ」

 それからしばらく社は何を聞いても一言も喋らなかった。

 ただ何かを待つようにぼんやりと天井を見上げ続けた。

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