第54話 これは魅了の効果じゃない
俺は過去に何人かの女性と付き合ったことはある。しかしここまで過激で、それでいて繊細なキスをされたのは初めてだった。
頭の中で考えていたことが全てなくなり、ただただクロエを抱きしめていたい思う。安心感と性欲、その二つが混ざり合いとても穏やかな気持ちにさせられていた。
たったこれだけのことなのにクロエの今までの寂しさが直接感じられるようなそんな感情。長いような短いような、しかし確かに記憶に残るキスをした。
ゆっくりと唇を離しお互いに見つめ合う。
「俺は、クロエの事を本気で知りたい。教えてくれるなら、いくらでも聞くよ」
今ばかりはいつものように茶化す雰囲気ではない。クロエの真剣なまなざしに対して俺が出来るのは同じくらい誠実に、そして心から本気で向き合う事だ。
性欲が吹き飛ぶと思っていたが、こみ上げてくるこの感情は何だろうか。恋というには苦しくて、愛と言うにはどこか不純で。それでも相手を求めてしまうこの気持ち。
「ありがとう。そう言ってもらえるだけでとても嬉しい」
クロエは俺に抱き着くように首筋に顔をうずめる。柔らかな髪が顔に触れて少しくすぐったい。愛おしい、大切にしたいと強く思う。
幸せを感じながらもどこか遠い出来事の様に感じる。今にもどこかに消えてしまいそうなクロエを強く抱きしめる。クロエはこんなに弱弱しかっただろうか。
とても小さい体は、抱きしめるとより小さく感じた。
「キミヒト?」
「もう、どこにも行こうとしないでくれ」
俺が抱きしめるとクロエも抱きしめ返してくる。同じような力加減、お互いがお互いを必要だと思えるほどの一体感。
だから俺の不安も吐き出させてもらう。クロエの不安は俺がクロエの前からいなくなってしまうのではという心配からだった。
そして俺の不安も同じ。俺のことを心配するあまり、またどこかに消えてしまうんじゃないかと考えてしまう。
自分の生い立ちを話したのは勇気が必要だっただろう。不安を打ち明けるのは相当の覚悟だっただろう。クロエはそれくらい追い込まれていた。
たった二人の姉妹でどれだけ旅をしてきたかはわからない。二人で支え合って生きてきたのは間違いない。お互いが大切で、お互いが必要で。
しかしそれでもクロエはイリスにも負い目を感じていたと思う。自分のためにずっと一緒にいてくれたイリス。そのせいで里の中では完全に孤立していたという。
だからクロエは誰も彼もを拒絶した。近づく人全てを。その力を使って。イリスを守るためにも、自分からイリスを取られないためにも。
そして使えば使うほどイリスには負担がかかる。どうしようもない悪循環だったんじゃないだろうか。たとえイリスが平然としていても、クロエは責任を感じただろう。
「クロエには、俺もついてる」
「キミヒト……」
俺もこれから一緒に支える、そんな気持ちを込めて優しく呟く。さらさらの髪をなでながら二人で気持ちを確かめ合う。
「ね、キミヒト」
「ん?」
「血、吸っても良い?」
甘く囁かれた言葉に俺の心臓は張り裂けそうになる。あの時はダンジョンの中だった、そして周りには人がいたから大丈夫だった。
しかし今俺の理性はぎりぎりのところで抑えられている。穏やかな気持ち、大切だと思う気持ち、好きにしたいという欲望、求められているという快感、全てが絶妙のバランスで成り立っている。
そこに血を吸われる快感が流れ込んで来たら間違いなく理性は決壊する。
クロエもそれが分かっているのか、少し恥ずかしそうにしながらもじっと俺の反応を待っていた。
「……あぁ、いいぞ」
「うん……」
さっきのように甘噛みをされ、ゆっくりと舌で撫でられる。こそばゆく感じながらも断続的にくる柔らかい刺激がとてつもなく気持ちいい。
そしてゆっくりと歯を立てられる。血を吸うときは牙を出すのだろうかとか、そんな考えがよぎる中、貫かれた痛みと同時に快感が濁流のように押し寄せてくる。
「うぁ……」
思わずうめき声を上げてしまうのは仕方のない事だろう。俺が反応したことでクロエは少し笑ったような気がした。なので俺はクロエを思いっきり抱きしめる事で反抗を示す。
「ん……」
少し艶めかしい声を出すがそれでも吸血行動を止めることは無い。少しずつ、少しずつクロエに染められているのを感じる。
これは魅了の効果じゃない。ただただ俺がクロエに惹かれているだけの事。
大切だと思いながらも俺は欲望のままにクロエを自分のものにしたいと思ってしまう。吸血行動の果てにたどり着く境地は、自分の感情すらも置き去りにするような解放感だった。
「クロエ、俺も、していいか」
「……痛くしないでね」
残った最後の理性でなんとか言葉を紡ぐ。クロエを抱きしめたまま首筋に軽くキスをする。甘い匂い、熱い体温、柔らかい肌。
甘い声を上げるクロエの首筋から口を離し、次は唇にキスをする。今度は俺から、出来る限り優しく。
お互いの舌を絡ませ合い、お互いの気持ちも絡ませ合う。
お酒のせいだろうか、酔いしれるように視界がくらくらと歪み明滅し始める。
感情が音になりこぼれ落ちたかのような水音。求めあうほどにその音は大きくなっていく。決してこぼしたくはない。それでも大きすぎる感情は二人の唇から音を奏でていく。
二人の夜はこうして更けていった。
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