二狐 兆し
今日は少し遅めに起きると惠末(えま)が雨降りしきる中ベランダに立ちつくし景色を眺めていた。
秀耶は声をかけるのを一瞬ためらった。
ベランダの外へ伸ばした彼女の手が雨に濡れていく。
物思いにふけているようだった。
今度は耳飾りを弄りだした・・・。
この耳飾りは彼女自身の体毛を使用して出来ており、自分が何者か忘れないようにと作ったものだった。
「(今年もまたこの時期か・・・)」
毎年のことのとはいえ秀耶は少し心配になった。
そっと右肩に手をかけながら物静かに声をかける。
「おはよう。どうした?」
「ん~?おはよう。ちょっとね・・・。」
彼女は気の抜けた返事をするとまた耳飾りを弄りだした・・・。
不安や気になることがあるといつもそうだった。
今日は何を思い出しているのだろう。
また両親と引き離されたあの日のことを思い出しているのだろうか。
庭の生い茂る木々は良き場所、安らぎを彼女に与えた。
その反面、雨の時は嫌なことを思い出させてしまう。
秀耶はこれだから梅雨が嫌いだった。
そう、彼女は大雨のなか両親と引き離されたのであった。
ここ最近は大丈夫な様子ではあったが、今年は(梅雨の)期間も長くどこかへ行ってしまいそうな感覚に陥り、彼は少し心配になっていた。
彼女が振り返り二人は向かいあう。
「感謝しているのよ。」
「人間が怖くて最初は人里に降りることすらできなかった。」
「けど、色々な所に連れて行ってくれて暖かみも教えてくれて・・・。」
胸の前で手を組み合わせて話を続ける。
「信じてみようと思わせてくれたのは紛れもなく秀耶のおかげ・・・。」
「人間でもない獣でもなく得体のしれない私を恐れず助けてくれた。」
「親身に真剣になって育ててくれた。」
今度は恥ずかしそうに背を向けて空を眺めはじめる。
「出会い、恋して、見るもの、触れるもの、街で暮らして世界が広がったわ。」
今度は顔を庭へ向け話し続けた。
「立派な木々のおかげで外からは見えないから、気兼ねなく寝っ転がれるしね。まだ耳が出ちゃうこともあるし安心できるの。」
「ならよかった。」
「でもね、たまに山のことが・・・、みんなが気になってね・・・。」
「優しいな・・・。」
さらっと言われたので一瞬、秀耶は気付かなかった。
「ん?他にいるのか?」
「うん、あ、言ってなかったっけ?」
ごめんと言わんばかりに舌を少しペロッと出して話を続けた。
「ん~、あそこ(山)は正確には神様じゃなくて、『神使』、つまり神様の使いが住まう場所なの。もちろん、こうやって街に住んだりもしてね。五件隣のご主人もそうなんだよ。」
「そうなのか・・・。」
秀耶は開いた口が塞がらなかった。
「お互いに気配は感じているけどね。ただ、私生活には干渉しない、それが暗黙の了解なの。」
「この辺って住人以外には配逹の人くらいしか来ないでしょ?特別な人払いの結界が常に張ってあるからね。」
「どうりで繁華街も近い住宅地なのに人が来ないはずだ。」
「あの時は大雨で陣が崩れて結界が維持できなくなってたの。」
「急ごしらえで張り直したけど、山を覆いきるほどの大きなのは出来なくてね・・・。」
拳を握りしめて悔しそうに震えながら話した。
「みんな、戦ったこともないから抗う術もなかったし・・・。」
「ここ住みたいってお願いしたのも竜脈が通っていて直接吸い上げてれるから選んだの。」
「今ではね、狩りの仕方も教えてもらって応用できるから心配しないでね。」
時期が夏とはいえ、雨が降っていると冷えてくる。
「冷えてきたな、中に入ろうか。」
「うん・・・。」
窓際に座り外をみつめる惠末。
「しばらく戻ってないし、質素な生活してたし、皆のことを考えるとこんなに幸せでいいのかなって最近は思うんだ。」
「他人と関わりを持つようになって、そう考えるようになったことは悪いことじゃないよ。でもな、自分が幸せにならないと何が幸せなのかわからないし、幸せにもしてあげられないじゃない?」
「そっか、そうよね・・・。」
「少しずつ進んでいけばいいさ。本を持ってくるから。ソファで待ってて。」
惠末はよく本を読み知識を増やすために時間を費やしていた。
秀耶は階段を降りて本を取りに向かった。
今日は彼が選んだ本を読む日だった。
「は~い♪」
階段の上手すりから見送るように返事をするとソファーへ移動し座った。
「おまたせ~、今日はこれだ!」
右手で掲げながら本を彼女に見せた。
「その本は?」
「じゃあ、まず、ちゃんと座って〜。」
「は~い」
教えても覚えないのに、本を読むと不思議となぜか吸収していく。
秀耶はいつも疑問に思っていた。
ソファーにきちんと腰をかけ直したところで本を渡した。
「これな。」
「なんか、いつもと感じが違うね。」
表紙を見ただけで何かを感じ取っていた。
「試しにと思ってね。つまらなかったら言ってくれ。」
渡すとさっそく集中して読み始めた。
「どうかな?」
集中するといつものことだが、声が届かなくなり返事が帰ってこなかった。
「ふむ・・・。雨でやることないし横顔でも眺めてるかな。」
微笑んだり、なやんだり、涙をながしたり、思いつめたり、色々な表情を見せてくれる。
いまではこれも楽しみの一つであった。
「昔は無表情か怯えた顔しか見せなかったからな。ずいぶんと変わったものだ。」
昔のことをしみじみ思い出しながら男は微笑んだ。
「あれから五年か・・・。」
そう、山で出会い一緒に暮らしはじめてから四年、街へ住処を移して一年が経っていた。
惠末はしばくすると、飽きたのか、見つめられて恥ずかしくなったのか、はたまたなんなのか、チラチラと秀耶を見はじめた。
「どうした?」
「んーー。」
彼女はなにか言いたそうだったがなかなか言い出さなかった。
「退屈だったよな?それ、日記だしな・・・。」
「そのね、そうじゃなくてね・・・。」
再び小さく唸りだす。
「んー。」
険しい表情をすると、風呂場の方を指さした。
「ほら、あれ・・・。」
「んー?なんだ風呂か?」
「そう、それ、まだ怖いけどやっぱり気になるんだ・・・。」
どうやら、日記の内容が影響を与えたらしい。
「じゃあ、とりあえず入り方からおさらいしてみようか。」
二人で風呂場で移動した。
「濡れなくても・・・なんか・・・落ち着かないね。」
彼女は浴槽の中であぐらをかきはじめた。
「あぐらか、もっと寛いでほしいけどな。」
彼女に聞こえたようだった。
「なに?」
「いや、なんでもない。」
「シャワーを浴びて頭、身体を洗ってから湯船にはいる。」
「お風呂から上がったらクシで髪をとかしてお手入れ!!」
チラチラと確認しながら進めていく。
「どうかな?」
「あとは湯に入るようになるだけだな。」
惠末は苦笑した。
「来たついでに俺も入ってくが(一緒に)入るか?」
「もう。」
「いまさらだな。」
彼女は顔を赤らめて一緒に入るのを拒んでいた。
湯船には浸からなかったが、全身が濡れると怖がっていたので一緒に入りよく背中を流してあげていた。
「汗だけ流したらすぐ上がるから待っててな。」
「は~い。」
彼は言葉通り少しすると風呂からあがったが、なかなか二階に上がってこない。
「お〜そ〜い〜な~。」
そう呟きながら惠末は台所でお茶を入れ始めた。
その矢先、こっそり近づいた秀耶は抱きついて耳元で囁いた。
「おまたせ。」
「ひゃっ!」
静かな部屋に甲高い声が響き渡る。
「おっと、あぶない。」
右手に持っていた器の中身が溢れないように男は左手で急いで蓋をした。
「すまん、すまん。」
「いつぞやの仕返しのつもりだったんだが、そんなに驚くとは思わなかった。」
「おやつの時間だから持ってきたよ。」
「ドライフルーツ・・・?」
彼女は懐かしい感じがして鼻を鳴らして嗅ぎ始めた。
(クンクン・・・)
「あ〜、鬼灯(ほおずき)だ!!」
「そ、去年収穫したやつを干して隠しておいたんだ。」
話を聞きながら彼女は一つ目を口に運び、転がし、よく噛み、酸っぱそうな顔をした。
「ん~、はじめて♪干すとこんなの甘酸っぱくなるんだ〜。」
「鬼灯の実を食べるって見たことがあるからどうかなと思ってさ。」
「正解!!根本のそういうところは変わらないからね~。油揚げって胸焼けしてちゃうのよね。これは内緒よ。」
意地悪気に微笑んだ。
すると別のものを見つけ続けて話し出す。
「おお、マンゴーもあるではないか。」
手に取ると噛み締めながら味わった。
鬼灯はやはり貴重なのか一つ一つ大切そうに食べていた。
「鬼灯はだめ!」
秀耶は鬼灯に手を出そうとした瞬間に引っ叩かれた。
「マンゴーならよいぞ。」
こっちを食べろと言わんばかりにマンゴー器を差し出しながら自分の部屋へ向かった。
「あまりにも美味しそうに食べてたんでな。」
「お言葉に甘えまして一つだけ頂きますか。」
そう言うとマンゴーを手に取り一緒に食べはじめた。
「昔が懐かしいな。お昼ご飯の材料集めに行っては果物ばかり取ってきたっけね。」
「むぅ、蒸し返す。」
立ち上がりながら振り返って小さくアッカンベーをしてから歯磨くために洗面所ヘ向かった。
戻ってくるとベットに頬杖をついて横になる。
「もうフカフカしないのか?」
フカフカとはベットの上で飛び跳ねることである。ベットが気に入ってよく飛び跳ねていたものだ。
「あんな風にはもう騒がないって♪」
彼女はベットで横になり毛布をかぶった。
どんどん変わっていくんだなと思いつつ、彼女の顔を眺めていた。
「なに?一緒に寝る?」
毛布を上げて誘う仕草を見せてくる。
「いや~、いつも朝早いから一緒に寝ると起こされるしやめとくよ。」
最近、惠末が夜中に出かけては朝帰りしているのに気付いていたが、気づかないふりをしていた。
彼はお休みの挨拶をした。
「おやすみ、ゆっくりとな。」
「うん、ありがと。おやすみ。」
少し不安をいだきつつも自分も部屋に帰り眠りについた。
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