第90話 旅立ち

「なぁ、遊園地ってのが、有るんだよ。ジェットコースターってな、ビュンビュン、上がったり下がったりして、面白いんだよ。そうだ! ケーキ! お前ら、ケーキ食べた事ないだろ? 俺はガトーショコラが好きなんだ! 後な……」


 ギイとガアが、意識を取り戻してから、一日が経過した。

 薬剤が効果を表し始めたのか、熱の上昇を食い止め事が出来た。しかし、熱を下げるには至らない。


 時折、苦しいのかギイとガアは、うめき声を上げる。そんな時、敏和は楽しい話を聞かせた。

 見た事も、体験した事も、味わった事も無い、そんな話しを。


 だが、それすらも、一時しのぎでしか無かったのだろう。


 ギイとガアが意識を取り戻したのは、搬送中に一度と、病室で一度の二度だけ。

 それも極めて短い時間で有り、昏睡状態に陥っている時間が、圧倒的に長い。


 最初の内こそ、敏和の声に応えるかの様に、表情を和らげていた。

 それが、徐々に反応を示さなくなっていく。


 医師達も、投与する薬剤を変更し、反応を確認して、別の対策を練った。

 無論、効果の高い薬剤を投与する事は可能だ。効果が高ければ、それなりに副作用が発生しやすくなる。

 副作用がギイとガアの身体に、どんな変化を齎すのか判然としないのだ。効果を優先したが故に、副作用で命を落とす事すら考えられる。


 根本的な原因は、依然として究明出来ずにいる。

 どんな薬剤なら、熱を下げる事が出来るのか? 仮に副作用が出たとして、どんな対処が出来るのか?

 手探り状態の治療が続く。その間、ギイとガアの身体は、着実に死へと近づいている。

 

 貞江は、判断せざるを得なかった。


「村の人達を、呼びましょう」

「待ってくれ、桑山先生! まだ早い! まだ、救える!」

「当り前です! その為に、私達がここに集まってるんです!」

「ショウジ。有りかもシレナイ。トシカズの言葉に、反応スルンダロ? もっと大勢の応援がアレバ」

「馬鹿な! 患者に負担をかけるだけだ!」

「いいえ。ギイちゃんとガアちゃんは、戦ってます。生きようと、頑張ってます」

「だからと言って!」

「医者として、情けない限りです。しかし、我々に対処が出来ない以上、その強い意思にかけるしか無い!」

「クソっ! これだけの面子が集まって、子供の命すら救えないのか!」

「海藤君、ライツ君。私は諦めんよ! 君達もだろ?」

「当り前です!」

「ソウダヨ! あの子達を救えなナラ、医者の資格なんてナイヨ!」


 権威も名声も、かなぐり捨てて取り組んだ。病院に集まってから、一睡もせずに全力を尽くした。

 プライドは、粉々に打ち砕かれた。それでも、かけがえの無い命を、救おうとした。

 それでも、届かない。


 悔しくて、情けなくて、そんな自分を殺したくなった。何度も何度も嘔吐した。だけど、諦めなかった。

 患者が戦ってるから。命をすくうのが、医者だから。


 ☆ ☆ ☆


 孝則を通じて、信川村の住人達へ伝えられた。そして住人達の動きは、迅速であった。

 全ての作業を止めて、取る物も取り敢えず、村で所有するバスに乗りこむ。バスを孝道が動かし、病院へと向かった。


 敏和から連絡を受けた敏久は、会議中にも関わらず席を立った。また洋子は、タクシーを呼んで、病院へ向かった。


 ギイとガアが眠る病室は、敏久が特別に用意した。二十を優に超える見舞客も、受け入れが可能だ。

 連絡が入った夕刻には、宮川家の一同が集まる。その翌朝には、信川村の一同が到着した。


 皆が入れ替わりながら、枕元で声をかけ続ける。

 目覚めろ! 頑張れ! 死ぬな! 生きろ!


 声をかけ続けても、ギイとガアの目は、開く事がない。そんな中、三人の医師と一人の学者は抗い続ける。

 この瞬間も痛みに耐え、病と闘う小さな生命を救うために。


 そして、皆がギイ達に声をかけている間、クミルがネックレスの欠片を握りしめて祈っていた。


 母の形見は、幾多の奇跡を起こしてきた。それは母の願いと、息子に残した最後の力。そして力を失った欠片は、二度と光る事は無い。奇跡は起こらない。


 それでもクミルは、多くの者達の意志を、ギイとガアに届けようと祈った。

 これが終わりなんて、絶対に認めない。そんな強い意志を二つの魂へ届けんと、クミルは祈り続けた。


 しかし運命は冷酷だ。努力も想いも、通じない。

 生体情報モニターに映るバイタルサインは、ギイとガアの死を示す。


 もし奇跡が起きるなら、それは神の御技ではない。

 集まった人々の想い。そしてギイとガアの為に、この病室に辿り着いた二つの魂だろう。


「ギイ、ガア。目を覚ましなさい。お前達は、逞しい子だ。お前達は、最後の教え子だ、私の誇りだ。病気になんて負けない。目を覚ましなさい」

「ギイ、ガア。よく頑張ったね。でも、もう少しだけ頑張ってくれないかい? みんなが心配してる、あんた達を呼んでる。みんなが集まってくれた。あんた達の為に、集まってくれた。目を覚まして、応えてやりな」


 二つの魂は、優しくギイとガアに語りかける。それはまさしく、奇跡そのものであったろう。

  

 呼びかけに呼応する様に、ギイとガアは目を開いた。


 ギイとガアは、動かない頭を賢明に動かし、ゆっくりと周囲を見渡す。

 恐らく、見えてはいないのだろう。しかし、声は届いている。


 始めにギイが続いてガアが、交代しながら集まった面々の名前を一人ずつ呼んでいく。


「たきゃのり、みのり、たきゃみち、しゃだえ、ありがと」

「こうぞ、たきゃこ、よおじ、ありがと」

「ごうじぇん、はにゃこ、たしゅけ、みちゅこ、ありがと」

「しょういち、そのこ、たきゃし、ありがと」

「ライカ、マアサ、えとお、ありがと」

「ちち、はは、ありがと」

「としかじゅ、たのしい、いっぱい。ありがと」

「みんな、みんな、いっぱい、ありがと」


 名前を呼ばれる度、一人一人がギイとガアに返事をする。見舞客の名前を呼び終えると、最後にクミルの名前を呼ぶ。


 腕を動かす力は無い。しかし一緒に世界を渡り、一緒に暮らした大切な家族を探す。


 涙で声は掠れ、音にならなかった。だがクミルは、ギイとガアが伸ばした手を、しっかりと握る。

 クミルの温もりを感じたのか、ギイとガアは柔らかな笑みを浮かべる。


「ギイ。クミリュ、すき」

「ガアも」

「ぎい、があ……」

「クミ、リュ。さびし、ない」

「ガア、ばあちゃ、いっしょ。クミリュ、まもりゅ」


 クミルは、言葉を発する事が出来なかった。集まった一同も、同様であった。

 そして、涙は止まらなかった。


 純粋で無垢な子供達の命が、こうも簡単に失われようと、誰が予想出来ただろう。

 これから楽しい事が、待っているはずだった。嬉しい事が、沢山訪れるはずだった。

 笑顔を貰って来た。元気を貰って来た。その分、幸せにしてやるつもりだった。


 長い間、高熱に晒され、ギイとガアの体は限界をとうに超えていた。それでも賢明に戦った。

 そして最後の瞬間が訪れて尚、苦しみに耐えて目を覚し、皆に笑顔をみせた。

 

 ギイとガアは揃って天井に目を向ける。

 光を失った目で天井を見つめ、ギイとガアは最後の力を振り絞り、手を伸ばした。


「ばあちゃ、ギイたち、がんばったよ」

「ばあちゃ、ガアたち、そっちにいっていい?」


 次の瞬間、ギイとガアが伸ばした手から、力が抜ける。糸が切れた様に、パタリとベッドへ落ちる。


 心臓が停止した。


 そして、未知の病に全力で取り組んでいた医師達は、蘇生措置をしても意味が無い事を理解した。

 滂沱の涙が流れていた。


 それは、無垢な命を救えなかった、悔恨の念だったろうか、それとも温かい心に触れた感涙だったのだろうか。

 恐らく両方だろう。


 そして、集まった人々は、声を出して泣いた。


 そして小さな体から、白い靄が抜け出る。

 白い靄はふわふわと宙に浮かび、もう一つ現れた靄に抱きしめられた様に見えた。

 そして、闘病生活の終わりが、看護師によって告げられる。


「十二月十七日、午前十時十五分。ギイさん、ガアさんの、死亡を確認しました」

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