第45話 農家の矜持 ~三堂夫妻~

「わざわざご足労頂き、ありがとうございます」

「いや、構いません。こちらもご迷惑をおかけしてますから」

「いや、今回は災難でしたな」


 八月九日、いよいよ調査隊が山に入る。ここからの案内役は、佐川から幸三に変わる。

 そして同日、三堂正一は共同研究を行っている、農業大学を訪問していた。


 訪問の目的は、共同研究に関する現状報告と、これからの方針確認である。

 騒動の渦中にある、信川村との関係が明らかになり、大学のイメージが大きく損なわれた。そう判断されれば、共同研究が打ち切りになる可能性が有る。


 大学との連携は、研究だけではない。学生への技術指導も行っているのだ。現状を鑑みれば、収入の機会を逃すのは、得策ではない。 

 その為、電話では無く直接訪問して、話し合いを行おうと考えた。


「このまま沈静化に向かってくれれば、良いんですけどね」

「人の噂も七十五日と言います、いずれは風化するでしょう。今回に限っては、国も動いてますし、スポンサー側がマスコミに圧力をかけてます。比較的早く、収束に向かうんじゃないですか?」

「それなんですが、今の情勢はご存じでしょう? 我々との付き合いを継続しても、宜しいんですか? こちらとしては、願ったり叶ったりですが」


 正一の予想に反し、教授の対応が同情的であったのは、望ましい事だろう。だが、当人の思惑とは関係無く、ビジネスとして是か非かを、判断しなければなるまい。

 正一は、真剣な眼差しで、教授に問いかける。対して教授は、フウと少し息を吐くと、静かに語り始めた。


「本音でお話ししますと、本来は宮川さんのご紹介が無ければ、成り立たなかった提携です。ですが実際には、実績がものを言うんですよ。三堂さんを始め、鮎川さんや村の方々には、大変お世話になっています。皆さんからご意見を頂かなければ、品種改良や農法の改良が成果を上げる事は無かったでしょう」

「そう言って頂けると。ですが、村に来て頂いての実習は、お断りするしかありません」

「それは、問題ないでしょう。学生達の反応も良好です。授業の度にご足労を頂く事になりますが、引き続き指導も続けて頂きたい」

「ありがたい事です、教授」

「三堂さん、それはこちらの台詞です。ただ残念ながら、授業内容とスケジュールの調整をしなければなりません。調整次第、新しいスケジュールをお送りします。その上で、ご指導に来て頂ける日程を調整しましょう」

「わかりました。それと、今回の件で謝らなければならない事が」

「栽培途中のサンプルですか?」

「ええ。苗を含めて、サンプルは全部駄目になりました」

「それに関しては残念です。でも、うちの方でも栽培はしてます。苗をお渡しします、一からの育成で、ご苦労をかけますが」

「では、今日は苗を受け取って帰ります。今後とも、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 教授に別れを告げ、正一は研究棟を後にする。

 話し合いは、殊のほか順調であった。正一の懸念も、ただの杞憂で終わった。しかし、正一の心は晴れないままであった。

 

 元々は郷善の指示により、正一は共同研究の作物育成に就いた。だが、村側の窓口になったのは、正一の希望によるものであった。

 一番の理由は、実質的な業務を行っているからであろう。ただ正一は、学生達と接する事で、楽しさを見出していた。


 その一つが、学生達の成長だ。

 若く柔軟な思考は、湯水の様に知識を吸収し、驚くべき速度で成長を遂げる。その成長を見守る事は、正一の楽しみになっていた。


 夢物語だとは、理解している。しかし学生達の中で、一人でも村で暮らしたいと願う者が居れば、どれだけ嬉しいだろうか。

 次第に、そんな事も願う様になっていた。


 正一は、村に新たな血を入れる意義を、深く理解している。

 このまま何もせずに時が過ぎれば、村から住人は居なくなる。それは、何十年も先にある未来ではない。差し迫った問題だ。

 

 その意味において、学生を招いて技術指導を行う試みは、村にとっても好ましいものだろう。

 それを中止にせざるを得ない事に、正一は少し寂しさを感じていた。


 研究棟から駐車場に向かい歩いていると、遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえてくる。

 正一は、自分が呼ばれていると、思っていなかった。しかし周囲を見渡すと、歩いているのは自分だけ。

 そして、振り返った正一の目には、学生が走り寄って来る姿が写った。


「酷くないっすか先生、さっきから呼んでたのに」

「そっか。すまん」


 見覚えがある学生だった。

 名前までは思い出せない。だが間違いなく、実習の際に顔を合わせている。そんなうろ覚えの学生が放った言葉は、正一に今日一番の驚きを与えた。


「村の実習って、次はいつっすか? 教授は曖昧な返事しかしないんすよ」

「いや、中止になったんだ」

「なんすか、それ! ……まぁでも、仕方ないか。あんだけ騒ぎになったんだし」

「そういう事なんだ。すまない」

「いや、先生が悪いんじゃないっしょ? みんな応援してんすよ。SNSでも拡散してるし」

「うん? 何をだ?」

「デマだって事と、村が良い場所だって事っすよ」

「そうか。ありがとう」

「村の実習が中止って事は、先生がこっちに来るんすか?」

「そうなる予定だ。いつになるかは、これから調整する」

「なら、楽しみにしてますね」


 騒動の渦中にある村を、守ろうとしてくれた。何より、実習を楽しみにしてくれた。それは、正一にとって、どれだけ嬉しい事であっただろうか。

 学生との会話で、正一の表情は、明るくなっていた。

 

 ただ、作業着を着ている所を見ると、実習の最中か、準備の途中なのだろう。この学生を、いつまでも引き留める訳にはいくまい。

 正一が別れを告げようとした時、学生は徐に語りだした。


「あの村で働くのが夢なんすよ。だから、負けないで下さい」

「あぁ、頑張るよ。君はこれから実習だろ? 頑張ってな」

「当然すよ、先生!」

「あぁ、またな」


 学生の言葉を聞いた瞬間、正一の瞳から涙が零れそうになっていた。そして正一は、涙を隠そうと学生に背を向ける。

 村で働きたい、そんな事を思ってくれる学生が居たのだ。それは、正一を奮い立たせるには、充分過ぎる言葉であったろう。


「まだまだ、これからだ! 肩を落としてる場合じゃないな!」

 

 そして、正一は歩き出す。

 あの騒動は、正一に落胆と怒りを与えた。だが、それをクミルとギイ達に、ぶつけるつもりは無い。

 正一自身が、彼らの滞在を認めたのだ。それが仮に、郷善に影響されたものだとしても。


 癒える事の無い、悲しみであろう。やり場の無い怒りであろう。しかし学生の放った一言で、全てが報われた気がした。

  

 帰宅の途中で鮎川家に寄り、正一は大学での出来事を郷善に報告する。そして、軽い雑談をした後、自宅へと戻った。


 正一が自宅に戻る事には、夕暮れが訪れようとしていた。

 急いで、引き取った苗を車から降ろし、納屋に仕舞う。それに合わせて、明日の作業準備を行っていると、桑山家で夕食の準備をしていた、妻の園子が帰宅する。


「戻ってたの?」

「ああ」

「急いで夕食にするわね。あなたも、仕事は終わりにしてね」

「わかった」


 園子に促されて、正一は作業を終えて家の中に入る。

 下準備をしてから、桑山家に向かったのだろう、夕食はそれほど待たずに出来上がる。

 寂しいと言えば、村で作った野菜が、食卓に上らなくなった事だ。しかし、文句を言える状況ではない。食事が出来るだけ、上等なのだ。


 食卓を囲んだ夫婦の会話は、大学での話題から始まる。学生とのやり取りを雄弁に語る夫に、妻の園子は笑顔を向ける。


 息子は家業を継ぐこと無く、東京へ出た。生活の基盤は東京に有る、恐らく村に帰る事は無いだろう。

 それは、どこの家でも同じ。その結果が、姥捨て山と呼ばれる状況を生み出した。


 しかし今、新しい可能性が村に芽生えようとしている。正一と同様に、園子もそれを嬉しいと感じているのだろう。

 園子は明るい口調のまま、もう一つの新しい可能性である、ギイ達の話題に触れる。

 

「あの子達は、山で一晩過ごすのよね?」

「洋二が一緒だ、問題無い」


 それまで雄弁だった、正一の表情が曇る。

 正一は、ギイ達の事を話したがらない。ギイとガアが、孝道の手伝いをしている時も、関わろうとはしなかった。


 ただ、村の外に住む学生の事を、熱く語れるのだ。ギイ達に対して、何も感じていない筈が無い。

 普段なら、園子はギイ達の話題を広げない。しかし今なら、内に秘めた思いを吐露するだろう。

 園子は意を決して、正一に問いかけた。


「ねぇ、あなた。あの子達は、いい子よ。村に住むのは反対?」

「そんな事はわかってる。住むなら、勝手にすればいい」

「また、そんな事を言って」

「だから何だ。俺は知らん」

「でもその内、そんな事は、言ってられなくなるわよ」

「そういう事を、言ってるんじゃない! いいか、この村で暮らすなら、俺達の手伝いするのは当然だ。クミルってのは、そこそこ歳がいってるだろ? でも、あいつらは違う。まだ子供だ。しかも、農家の子じゃない。そんな奴が、大人しく言う事聞く。それ自体が間違いなんだ。子供は子供らしく、我儘を言えばいい。遊んでればいい。手伝えと叱られて、嫌そうな顔して手伝うのが、子供ってもんだ」


 外の人達だけじゃない、村の住人だって同じ人間だ。

 自分達と異なる存在を、色眼鏡で見てもおかしくない。排除をしようと、やっきになってもおかしくない。

 だが正一は、ギイとガアを普通の子供として、クミルを同じ人として見ている。

 決して彼らの存在を、否定している訳ではない。


 不満なのは、子供らしからぬギイ達の行動だ。

 大人しく聞き分けの良いのは、結構な事だ。しかし、今は戦後じゃない、平和な世の中だ、裕福な時代だ。

 幾ら年老いて、己の食い扶持を稼ぐのに精一杯だとしても、子供の一人や二人、養うくらい造作も無い。


 子供なら、もっと遊べ、もっと我儘を言え。


 恐らく、正一は幼い頃の自分と、ギイ達を重ねて見ているのだろう。

 村で暮らしてきたから、食い扶持に困る事は無かった。だが、決して裕福とは言えなかった。

 幼い頃から勉強より、畑仕事を優先させられた。学校に行っている時が、唯一働いていない時間だった。

 同じ世代の桑山孝道、三島洋二、山瀬隆子も、同じ様に働いていた。


 それが当然だと思ってきた。だから辛いとは、思わなかった。それに両親は、自分達の何十倍も働いていた。

 だが、今は時代が違う。


 それと、クミルの生い立ちには、興味が無い。ギイとガアが、どういう存在かも、気にする事ではない。

 誰もが、他者に迷惑をかけながら、生きている。今回、彼らと村は、たまたま運が悪かっただけだ。卑下する必要はない、胸を張ればいい。

 

 もし、ギイ達を遊ばせてやれないのなら、それは大人の責任だ。


「俺は、さくらさんの指導が、悪いとは思ってない。俺達の中だと、孝道が一番接し易いからな。手伝いを通して、コミュニケーションを図っていたんだろうよ。それに、物には順序ってもんが有るだろ? 子供達からは、人間への恐怖を取り除くのが先だ」

「確かにね。あなたや郷善さんみたいに、気難しい人が関わっても、上手くは行かないわね」

「そういう事だ。だから、俺は関わらん」

「暫くはって事でしょ?」

「うるさい!」

「ふふっ。ほんと、今日はいつになく饒舌ね」

「お前が悪い」

「はいはい。あなたを焚きつけたのは私よ」

「俺は、さくらさんの様に、器用じゃない。俺は俺の出来る事しかしない」

「そうですね。じゃあ、私も私の出来る事をしましょう」

「余計なお節介だけはするなよ」

「わかってますよ」


 恐らく、他人にはわかり辛い優しさなのだ。だがあの学生の様に、それに気が付く者も居る。

 夫の秘めた想いを知り、園子は笑みを浮かべた。

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