第42話 支える者達 ~山瀬隆子~

 八月八日、陽が昇る前の田舎道を、軽トラックが走っていた。

 荷台には若い男を、助手席には小さな子供を乗せて、軽トラックは村の南側へと向かう。


 夜遅くに、彼らを迎えに行った洋二は、そのままさくらの家で仮眠を取った。そして、クミル達を叩き起こすと、ギイとガアを両腕に抱えて車に乗せた。

 そして、クミルは目を擦りながら、洋二の指示に従い荷台へと乗った。


「おい、しっかり掴まってろよ! ゆっくり走ってるけど、跳ねるからな!」

「だいじょうぶ、です。ねてない、つかまってる、ます」


 田舎道を走るには、昼間でも注意が必要になる。スピードを上げれば、デコボコとした路面で車が跳ね、横転する危険性がある。

 ましてや夜ならば、更に慎重な運転を心掛けなければ、思わぬ事故を起こしかねない。

 信川村で人身事故は発生しない。しかし年に数回は、タヌキ等を撥ね飛ばす事故が発生している。


 街頭が無い村では、月明かりだけが光源となる。

 そして自然に囲まれた、夜の村を支配するのは、虫だけでない。ヘッドライトの灯りに飛び込んで来る、小動物も存在している。

 大抵の場合、小動物は突然に車の前を横切る。村の者達は慣れているから、余程の事が無い限りは事故を起こさない。


 だがこの日ばかりは、その限りではないだろう。

 助手席では、ギイとガアが船を漕いでいる。暗闇を走行する為、荷台の様子はよくわからないが、荷台へ乗せたクミルも、眠そうにしていた。


 安全確認の為、運転席側の窓から顔を出した洋二は、荷台に向かって声をかけた。対してクミルは、洋二の意思を読み取ったのだろう。寝ていない事を伝えようと、声を上げた。


 洋二の自宅まで数キロと、普通に走行すれば、十分もかからない。だが今回は、通常の倍以上も時間をかけて、自宅へ辿り着いた。

 ギイとガアが二度寝を楽しむには、充分な時間だったろう。

 対して、緊張感の有る走行を余儀なくされ、洋二の意識は否応なく覚醒させられる。荷台に乗るクミルも、洋二の自宅に着くまでにはすっかり目を覚ましていた。

 

 洋二の家に近づくと、屋内に明りが点いているのがわかる。

 家の庭に車を停めると、排気音に気が付いたのか、玄関を開けて山瀬隆子が姿を現した。

 隆子に合わせて、猟犬である太郎と三郎も玄関から飛び出し、車へと走り寄る。


 車から降りた洋二は、太郎と三郎をひと撫でする。撫でられて満足したのか、太郎と三郎は荷台に向かって吼え始めた。

 荷台に乗るクミルは、吠えられて少し驚く。犬は、クミルの知識に無い生き物である。どう接していいかわからない。

 だが、直ぐに冷静さを取り戻した。それは、太郎達が吼えるのを、洋二が止めさせたからだろう。


「クミル、荷台から降りろ。そいつらは、挨拶がしたいだけだ。太郎、三郎。あんまり吠えんなよ!」


 クミルは洋二の言葉に従い、車を降りつつ太郎達の心を読む。

 彼らには、攻撃の意思が無い。そして彼らから感じるのは、警戒心と些細な好奇心。確かに洋二の言葉通りなのだろう。

 見知らぬ人間が訪れたから、警戒している。それ以上に、クミルへ関心を示している。


「よろしく。たろう、さぶろう」


 クミルは、洋二を真似て、太郎と三郎の頭を撫でて、声をかける。すると太郎と三郎は、嬉しそうに尻尾を振り、ワンとだけ吠えた。

 その様子を見ていた隆子は、少し笑って呟く。その呟きに、洋二が反応する。


「ふふ。いい子みたいねぇ」

「あぁ。太郎達が認めたんだ、悪い奴じゃないな。努力家なのは、先生から聞いてるけどな」

「ところで、ギイちゃんとガアちゃんは?」

「助手席で寝てる。悪いけど、起こしてくれねぇか? それと荷物は?」

「玄関に置いてあるわよ。あの子達の分もね」

「朝飯は?」

「大丈夫よ、みんなで食べなさいね」

「おぉ、助かる」

「そう思うなら、たまに家の掃除くらい、自分でしなさいね」

「わかってるよ、でもなぁ」

「はいはい。洋二君のそういう所は、昔から変わらないもの。ゴミは纏めといたから、収集所にもっていきなさい」

「わかったよ。ところで、師匠は?」

「ついさっき寝たところ」

「もしかして、あれからずっと、呑んでたのか?」

「そうよぉ。洋二君が、さくらさんの家に行っちゃったから、寂しそうにしてたわよ」

「やっぱり、調査のせいか? かなり緊張してんだな」

「馬鹿ねぇ、それだけじゃないわよ。洋二君を心配してるの。それよりも、早く支度なさいね」


 洋二の世話を、隆子がするのは、何も家が近いだけではない。

 二人は、気兼ねなく接する事が出来る幼馴染である。また隆子にとって洋二は、夫の弟子であり、今は独身である。

 故に食事の世話だけでなく、手が空いた時には家の掃除も行う。


 そして今日は、クミル達を連れて山に入る洋二の代わりに、調査の立会いを行う。その為、朝早くから準備して、洋二が戻るのを待っていた。


 出発準備を済ませる為に、洋二は玄関の扉を潜る。それを横目で見届けた隆子は、車へ向かって歩き出した。

 すると、すかさず太郎と三郎がクミルから離れ、隆子に走り寄る。そして、太郎達から少し遅れる様にして、クミルが隆子に歩み寄った。


「わたし、くみる、いいます」

「まぁ、ご丁寧に。山瀬隆子です」

「ぎいたち、おこす。てつだい、ます」

「あら、凄い。日本語が上手ね」

「いえ。ぎいたち、もっと、ことばしってる。しゃべれない、だけです」

「そうなの?」

「はい。ぎいたち、すごい。たくさん、おしえて、もらってる、ます」


 やや緊張した面持ちのクミルに対し、隆子は柔らかな笑みを浮かべて答えた。その笑みがクミルの緊張を解きほぐす。

 挨拶を交わし二人は、太郎達を引き連れて、車へ近づいていく。そして、徐に助手席を覗き込むと、ギイとガアは寄り添う様にして、寝息を立てていた。


「まぁ、可愛い」


 そろそろ日が昇る、洋二の準備が整えば、出発しなければならない。しかし隆子は、ギイ達を起こす事が出来ず、頬を緩めてギイ達を眺めていた。


 隣に立つクミルは、隆子とギイ達を交互に見やる。

 その時、クミルは無意識に、隆子の感情を読み取った。それは、子を見守る母の様な、温かさに似ていた。


 他の場所から来た、人間達とは違う。この人は、とても優しい人だ。クミルは、改めて隆子の優しさに触れ、笑みを零した。

 

 薄暗い中、穏やかな時間が流れる。

 ギイ達は昨夜、余り寝てないのだ。まだ寝かせてやりたい。しかしクミルの視界が、玄関から荷物を運び出す洋二の姿を捉える。

 出発の時間を悟ったクミルは、静かに隆子に話しかけた。

 

「たかこさん、ぎいたち、おこさない?」

「あら、そうね。起こさないとね。もう、出発なのね」


 クミルの言葉で、はっとした様に、隆子は助手席のドアノブに手をかける。そして、ゆっくりドアを開け放つと、ギイの肩を軽く揺らす。


「起きて、ギイちゃん。ガアちゃんも、起きて」


 普段のギイ達ならば、車の振動が気になり、うたた寝すら出来ない。例えうたた寝をしても、運転席を開け閉めする音で目を覚ます。

 ましてや車の外では、太郎と三郎が吼えていたのだ。それに気が付かない筈が無い。

 

 多少、トラブル続きで疲れていても、ギイ達が熟睡する事は無い。それこそ、さくらと一緒でない限り。

 それが、突然肩を揺らされて、驚いたのだろう。しかも、聞こえてくる声は、聞いた事が無く、目に飛び込んで来る人間は、見た事が無い。


 ギイは、目を覚ますや否や、バタバタと手足を動かす。

 また、シートベルトに体を固定されている為、余計に焦りパニックに陥ったのかもしれない。ギイは慌ててガアを起こすと、無理やり体を動かし、シートベルトを外そうとする。

 

「あらあら。驚かせちゃったかしら。ごめんなさい」

「ギャ、ギャギャギャ、ギイギャギャギャギャ!」

「ガア、ガガガガ、ガガアガガ、ガアア!」

「ぎい、があ。おちついて。このひと、たかこさん。あんしん、して。だいじょうぶ」

「ギギギ? ギギギギ?」

「そう。たかこさん。むらのひと」

「ガアガガガ? ガガガガ?」

「そうだよ、だいじょうぶ」


 騒ぎ立てるギイ達を、クミルが諫める。だがその光景は、隆子の好奇心をくすぐった。


「もしかして、クミルさん。ギイちゃん達の言葉がわかるの?」

「いや、こころ、すこし、よめるだけ」

「そうなの? 凄いじゃない!」

「なんで、たのしそう?」

「あら私の事? そりゃ楽しいわよ。だって、こんな珍しい事、この村に起こらないもの」


 目をキラキラさせている隆子の様子は、感情を読むまでも無く楽しそうだとわかる。

 村の生活を、退屈に感じている訳ではない。だが何も起こらない村の日常に、降って湧いた様な出会いは、一種の娯楽でもあるのだろう。

 

 確かに、面倒な騒動に巻き込まれた。その上、甚大な被害を被った。しかしそれが、クミルやギイ達を恨む理由にはならない。

 寧ろ彼らの存在は、日常の中に有る非日常なのだ。興味を持ち、その手を取る方が、何倍も楽しかろう。


 だから、この子達を守りたい。


 隆子の想いは、笑顔を通じて、ギイ達にも伝わる。

 右側に座ったガアが、腰の辺りを操作し、シートベルトを外す。そして、拘束から解かれたギイは、車から飛び降りると、隆子の足にしがみ付く。

 ギイの後に続く様に、ガアも隆子の足にしがみ付いた。


「ギイギ。ギイギギギ」

「ガアガ。ガガガガガ」


 隆子はギイとガアの頭をそっと撫でると、足から引き離す。そして、ギイ達と目線の高さを、合わせる様にしゃがむ。


「クミルさん。ギイちゃんとガアちゃんは、何て言ってるの?」

「えっと。さわいだこと、あやまりたいきもち。それと、あいさつ?」

「そっか。ギイちゃん、ガアちゃん。私は、山瀬隆子よ。幸三さんとは、前に会ったのよね。私は、その奥さん。これから、よろしくね」

「ギイギギ? ギギギギ」

「ガアガガ」

「おくさん、いみ、わかってない。それ、わたしも。だけど、ぎいたち、よろしく、いってる」

「ふふ。やっぱり、いい子ね。可愛い!」


 隆子は、ギイとガアを抱きしめる。ギイとガアは、嬉しそうに目を細めた。

 やがてクミルが洋二に呼ばれる。そして、ギイ達のリュックを両手に持ったクミルが、ギイ達の下へ歩いて来る。

 

 出発の時間だ。

 最初に森へ入った時には、恐怖が蘇った。そんな森に、これから入る。

 だがギイ達の中から、不安は消え去っていた。洋二が居る、クミルが居る。そして、隆子が抱きしめてくれた。

 支えられている、守られている事を実感し、それが勇気に変わる。

 そして、隆子は背中を押す。


「いってらっしゃい。気を付けてね」


 その言葉に送られ、一行は山へと歩き出す。

 見送った隆子は独り言ちると、両手を上げて少し体を伸ばしながら、ゆっくりと洋二の家へ向かう。


「さて。せっかくだし、隅々まで綺麗にしますか」


 その背中には、家を守り続けて来た、誇りが刻まれている。

 その手には、夫を助け畑を守り続けて来た、証が刻まれている。


「土作りに苗作り、掃除に調査の立会い。さぁて、今日も忙しいぞ!」


 そしてその声は、明るさに満ちていた。

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