第37話 役場の論争

「さて、先ずはこれを」


 そう言って、阿沼が鞄から取り出したのは、数ページに渡る書類であった。文字が大きくなっているのは、高齢者用の配慮であろうか。

 書類に目を通した孝則は、唖然とし言葉を失った。対してさくらは、書類をテーブルに置くと、深く息を吐いた。


「まぁ、上々だね」

「私の出来る事は、こんな事くらいです」

「充分だよ」


 さくらの呟きに、阿沼が反応する。会話の意味がわからず、孝則らは、何度も書類を読み返す。だが、何度読んでも、綴られた文字が変わる訳ではない。


「どういう事だ! おい、さくらぁ! お前、全部わかってたって事だよなぁ!」

「少し違うね。この書類は、初めて見たし、内容も聞かされてないよ」

「お前は、この村をどうしたいんだ! これが、お前の望んだ展開だって言うのかよ!」

「仕方ないんだよ。こうするしかないんだ」

「冗談じゃねぇぞ、さくらぁ! 幾ら騒動を治めてくれても、この条件を呑めるか!」


 郷善が憤るのも無理はない。

 さくらは、信川村を次代に繋ぐ為に、奔走してきた。だが、書類に来刺された内容は、その計画から大幅に外れるものだろう。


 ☆ ☆ ☆


 信川村における騒動の沈静化について


 令和〇年八月三日

 閣議決定

 

 令和〇年八月一日に、人と異なる未確認生命体が、信川村(以下「村」と呼ぶ)に存在する旨が、報道関係者から発表された。当該発表は、インターネットにより国外にも流布され、著しい混乱を引き起こしている。また、その生物は地球には存在しないとされ、これを危惧した多くの国民が、八月二日に村を訪れ、デモ行為等の騒動(以下「本騒動」と呼ぶ)を起こした。

 本騒動は拡大の一途を辿っている。また、国外から途切れる事無く、未確認生命体についての問い合わせを受けている。更に、一部企業の株価が落ち込み、経済にも影響を与える結果となった。

 事態が収束しなければ、国内は著しい経済危機を迎える事になりかねない。よって本騒動における現状を、政府は非常事態と認識する。速やかに、国内外の民衆の危惧を払拭し、本騒動を速やかに沈静化させる事が重要である。

 本騒動の鎮静化に際し、政府は調査隊を編成し、情報の真偽を確認する。現在流布された情報が、事実無根であるならば、直ちにその旨を発表する。

 ただし、未確認生命体の存在を確認した場合、政府は次の事項を検討する。未確認生命体の保護と検査の実施。未確認生命体の発生原因を追究。次なる発生を考慮した対処。この際、情報の取り扱いは極めて限定的とし、村を政府の監視下に置く。

 その他、調査に置いて、本件に関わる何らかの情報を確認した場合、政府が精査し対処法を検討した後、発表を行うものとする。

 また調査の都合上、一部の報道関係者及び、政府の指定した調査班以外の者は、村への出入りを禁じる。加えて村の住人(以下、住人と呼ぶ)に、下記の指示へ従う事を命じる。


 記


 一、村における損害は、住人と村を訪れた者達の、当事者間の問題である。よって、政府は損害に対し責任を負わない。

 二、住人は調査隊に滞在場所を提供する。

 三、住人は正しい情報を、調査隊に提供する。故意に誤った情報を提供した住人は、刑事罰に処する。

 四、住人の内一人が、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律に基づく、医師による健康診断を受ける。

 五、本件に関わる情報及び、本調査で知り得た情報は、政府の許可無く流布しない。

 六、本調査に協力する限り、村が存在する地域の最低賃金に基づく報酬を、住人に支払う。

 七、本件が終結したと見なされない限り、村と近隣市町村の合併等は行わない。


 以上。


 ☆ ☆ ☆


 この書類を確認した時点で、通達を受理した事になるのだろう。ならば、既に義務は発生している。


 書類には、未確認生命体を保護と、信川村を政府の監視下に置く事が書かれている。

 文面通りならば、ギイ達を匿う事は許されず、信川村とその住人は、著しく行動を制限される事になる。

 しかも細々と暮らす住人達に、大きな損害を与えた事は国の責任ではないと、言い切っている。賃金を払うから、調査に協力しろと言われても、畑を元に戻す事が優先であろう。


 許せる訳が無い。こんな命令が、まかり通って良い筈が無い。何故これを、さくらが認めるのか? 

 郷善だけではない、孝則と佐川も疑念を感じていた。

 

 せめて、少しでも物憂げな表情を見せれば、郷善の溜飲は下がっただろう。しかし、郷善がどれだけ声を荒げて追及しても、さくらは顔色一つ変えずに言い返す。

 憤りの余り郷善は、テーブルを強く叩いて立ち上がろうとする。隣に座っていた孝則は、郷善の様子を感じ取り、肩を掴んで強引に座らせた。


 とても、いいコンビだ。郷善が興奮する分だけ、孝則は冷静になれる。郷善が口角泡を飛ばしている間、孝則は考えを巡らせていた。

 

 恐らくこれには、何か裏が有る。そうでなければ、こんな書類が出る筈がない。これでは、さくらが起こした行動の結果と矛盾する。

 少し冷静になれば、わかる事なのだ。さくらは、仲間を裏切らない。さくらは、家族を絶対に守る。それは、どんな事をしてもだ。

 だから孝則は、敢えて静かに口を開いた。

 

「さくら。お前は、俺達の敵になるって言ったな。それは本心か?」

「あぁ、その通りだよ。あたしの役目は、この通達をあんた達に、認めさせる事さ」

「なら、さくら。お前の負けだ」

「あぁ? 孝則、どういう事だい?」


 テーブルを挟んで、さくらと孝則が睨みあう。

 これまで、さんざん口論をして来た間柄である。それは意見を否定し合うもので無く、常に建設的であった。

 それは今回も変わらない。孝則はそう信じていた。そして、二人が睨みあう横で、阿沼の表情が一瞬だけ緩んだのを、孝則は見逃さなかった。


「先ず、阿沼さん。あんたに質問だ。未確認生命体を保護と書いているが、具体的な方法はどうするつもりだ?」

「調査隊は、自衛隊で組織します。自衛隊はこの村に駐屯し、未確認生命体を保護します」

「これだと、未確認生命体が存在するって事を、認める事になるな。宮川グループは、誤報道だって言いきった。それに追随して、スポンサーを降りるって発表する企業が続出したんだ。かなり強引だが、マスコミを黙らせた。あんたらは、一連の行動を覆そうって言うのか?」

「何か勘違いをなさってるのでは? どの道、企業が誤報道と騒ぎ立てても、一時凌ぎに過ぎません。正確に調査し、その結果を世間に公表する必要が有ります。それは、日本だけじゃなくて、世界に知らせる必要が有るんですよ」

「それを誰もが納得するとでも?」

「納得せざるを得ないでしょう。日本政府の正式な発表ですから」 

「あんたが、マスコミの連中を連れて来たのは、調査に関する透明性の確保って所か?」

「そうご理解頂いて、結構ですよ」

「そのまま自衛隊を、この村に駐屯させ続けて、情報漏洩を防ぐって事だな?」

「さぁ? 情報漏洩も何も、この辺りは場所柄、富士と厚木の二つと連携し易いんです。だから、基地の建設に持って来いなんです。こう言うと、マスコミ連中は、亡国の犬だと揶揄しますがね」 

「回りくどい言い回しは、政治家の性ってやつか? はぁ、次はさくらだ」


 恐らくこのまま質問を続けても、巧みに躱されるだけで、本音を聞く事は出来ない。

 そう判断した孝則は、阿沼への質問を止め、ターゲットをさくらに切り替える。


 その横で郷善は、いつでも飛び出せるとばかりに、険しい表情のまま拳を握りしめている。

 人は、何かをごまかそうとしている時、わかり辛い言い方をして、煙に巻こうとする。郷善はそう考えている。

 だからこそ阿沼に対して、不信感を募らせているのだろう。

 

 その隣に座る佐川は、ハラハラしながら孝則と阿沼を交互に見ていた。そして時折、さくらに助けを求める様に視線を送っていた。

 佐川の視線に、さくらが応える筈が無い。それでも、この場を治められるのは、さくらしかいない。佐川はそう思って疑わない。

 

 そしてさくらは、孝則の挑戦を受けて立たんと、闘志を燃やす。

 

「さくらぁ、回りくどいのは無しだ」

「あんたにしては、頑張った方だよ」

「うるせぇよ。それよりもだ、お前はあいつらを引き渡すってのか? お前が守るって言った奴らを、国に引き渡して終わりにしようってか? そんなたまじゃねぇよなぁ!」

「何を言ってんだい? 何を引き渡すって? 初耳だね。もしかして、あんたらは何かを匿ってたのかい? 報道は嘘じゃ無かったって事なのかい?」


 絶対に言い逃れが出来ない質問のはずだった。しかし、さくらから返って来た言葉に、孝則は耳を疑った。

 

「おい! さくらぁ! ふざけんじゃねぇぞ!」


 流石の郷善も、その言葉を聞き流す事は出来なかった。顔を赤く染め、眉根を寄せ、勢いよく立ち上がる。そして、激情のままに拳を振るおうとする。

 だが、その拳が振り下ろされる事はなかった。


「落ち着け、郷善! 誰の前だと思ってる? 怒り散らすだけなら、出ていけ!」


 孝則は座りながらも、郷善を制する様に、片手を広げる。そして、力強く睨め付ける。

 曲がりなりにも、国の大臣を迎えて話し合いを行っているのだ。力に訴えていいはずがない。

 孝則の一喝で、冷静さを取り戻したのだろう。郷善は、阿沼に一礼をすると、静かに腰かけた。

 だが、怒りが収まった訳ではない。それは郷善を止めた、孝則も同じだ。


 ギイとガアは、さくらに一番懐いている。そしてクミルは、さくらを命の恩人だと言っている。さくらも彼らを可愛がっていた。それは間違いない。絶対に手放す筈が無い。その為に、あれこれと仕掛けをしたのだ。

 なのになぜ、彼らを知らないと言える。さくらの言葉は、まるで政府の決定に従い、彼らを引き渡す様に聞こえる。

 

 全部、無駄だったのか?

 自分達の村が荒らされているにも関わらず、黙って堪えた事。彼らを受け入れれる為に心を配り、何度も会議をした事。闇の中で、彼らを探しに奔走した事。それらを全て、記憶から捨て去れと言うのか?

 それなら、最初から守るなどと、甘言で人を唆すな!


 怒りの感情が、二人の表情から溢れ出す。

 それに気が付かない程、さくらは鈍感ではない。そして、深く溜息をつくと、静かに語り始めた。


「いいかい、よく聞きな。騒動とは関係なく、いずれ必要な事だったんだよ」

「どういうことだ?」

「孝則。この村が衰退した理由は、何故だと思う?」

「都会の方が、便利だからじゃねぇのか?」

「だから、あんたは馬鹿だって言うんだよ」


 村の過疎化には、ちゃんと原因が有る。

 信川村の場合は、交通に関する問題が大きい。村へ入るには、極力自然を壊さない様に作られた、長くうねった山道を通らなければならない。

 それでは、人が集まらない。必然的に産業は衰退していく。当然、新規参入する企業が居なくなる。それもそうだろう。魅力がないのだ。

 そして住人達は、便利な都会へと居を移す。

 

「この村を残したい。そう望んだのは、あんたらだ。名前が無くなるんじゃ、意味が無い。だから合併の話しを断った。だけど、この村に何が出来るんだい? 老いぼれだけで、何が出来るんだい? 財政破綻した村のくせに、選り好みするんじゃ無いよ! そんな立場だと思ってるのかい?」

「なら、お前に何が出来る?」

「まだ、わからないのかい? 虚偽なんだ、全てはね。それを確かめる為に、調査隊が来る」

「だから、それは」

「村のみんなが、被害にあった。畑も滅茶苦茶だ。それを、自分達だけで、元に戻せるとでもいうのかい?」

「やるしかねぇだろ、それに」

「老いぼれには、出来やしないよ。だから、労働力が必要なんだ。それに、自衛隊の基地が出来れば、必然的に道が整備される」

「おい、待て」

「これは未来への布石なんだ。あんたらが望んだ、村を次代に託すための布石なんだよ」

「話を摺りかえんな!」

「何がだい? あたしは、居もしない存在に、気をかけちゃらんないんだよ。わからないのかい? 最初から居なかった。詳しく調べても、痕跡すら見つからなかった。ここまで言って、何でわからないんだい? 本当に馬鹿なのかい?」

 

 最初こそ、穏やかな話し方だった。しかしさくらは、直ぐに捲し立て始めた。

 孝則には、反論の余地さえ与えない。そんな迫力に、孝則は言葉を詰まらせ始め、最後には声を出す事すら出来なくなっていた。


 わからない。さくらが、何を告げようとしているのか、理解が出来ない。

 孝則と郷善は、困惑し始めていた。そんな中、やり取りを眺めていただけの男が、ちょっとした行動を取る。

 それは、緊迫した空気の中で、非常に間の抜けた行動であった。しかしその行動こそ、わざわざ内閣官房長官が村を訪問した、真の意味を解き明かす鍵となった。


 佐川は、やり取りを眺めている内に、ある事に気が付いた。

 さくらと孝則は、別の物を見ているのではないか? そもそも、ここには五人以外の誰もいない。本音で話しをするべき場所だろう。

 それにも関わらず、阿沼は何かをはぐらかす様な話し方をする。さくらは、完全に話題を変えている。


 その時ふと、佐川の頭に有る出来事が蘇る。それは、刑事と共に役場に訪れた時の事だった。

 刑事は事務所を訪れると、全体を見渡した後、幾つか妙な場所を確認してから、佐川に耳打ちした。


「聞かれてる。だから、余計な事は喋るな」


 その事をさくらに伝えると、指示をするまで役場を使うなと言われた。その指示に孝則も従った。役場の鍵を開けたのは、刑事の現場検証以来、今日が初めてである。


 佐川は、さくらに向かって、口をパクパクとさせる。佐川の口元を見たさくらは、軽く頷く。

 さくらの行動を見た瞬間、佐川は確信したのだろう。


 阿沼が報道陣を連れて来たのは、透明性の確保でも何でもない。彼らは、さくらと阿沼に利用されているのだ。

 ここで起きている事が全て、さくらと阿沼の計画であったのだ。

 

 そして佐川は、徐に孝則へ視線を向けると、笑顔を見せた。


「さくらさんは、間違ってませんよ。そうですよね、村長。ここには何もいない。それなのに、妙な合成写真を使って、妙な噂を立てられた。これを先導した奴は、何を考えてたんでしょうね? こんな老人ばかりの村で騒ぎを起こして、老人を虐めて、何が楽しいんでしょうかね? これなら、取材を断れば良かった」

「佐川。お前、何を……」

「阿沼大臣。幾らでも、お調べ下さい。そして、御懸念を晴らして下さい。我々は、全面的に協力致します」

「佐川さん。ご理解頂き、ありがとうございます」

「桑山と鮎川には、私から説明をさせて頂きます」

「それは、助かります。では、詳しい日程等の詳細は、佐川さんと打ち合わせした方が、良さそうですね」

「私に、お任せください。本件は、最後まで責任を持って、私が担当いたします」


 佐川の笑顔は、孝則の言葉を封じた。


 今は黙って、自分に任せて欲しい。

 長い付き合いだ、その意図が通じたのだろう。そして、佐川は阿沼に笑顔を向ける。その意味を、阿沼は即座に理解した。

 

 今後の日程を調整すると、阿沼は席を立つ。

 孝則と郷善は、ただ見守るしか出来なかった。そして阿沼は、さくらと世間話をしながら、玄関へと向かう。

 そして、玄関の外で待つ取材陣に向かって、訪問の意図を説明し始めた。

 

「さくらぁ、佐川ぁ。俺にはよくわからねぇよ」

「さくらぁ。俺も降参だ」

「後で嫌って程、佐川さんが説明してくれるよ。取り敢えず今は、黙って煙草でも吸ってな」


 孝則と郷善を置き去りにして、戦いは決着した。

 もともと、戦いでも何でもない。孝則と郷善は、作られた舞台で、芝居をさせられただけだ。

 敢えて勝利者の名を挙げるなら、その意図に気が付いた、佐川なのだろう。

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