第28話 クミルの退院

 孝道の手伝いをする様になって、ギイ達は朝食前に出掛ける事が増えた。

 しかし会議を終えた翌朝は、陽が昇り始めても、さくらとギイ達は夢の中にいた。

  

 寝坊も、たまにはいいだろう。子供なら、まだ寝ていたいと、ぐずる時間だ。

 ただ、珍しい事に隣の部屋では、誰よりも早く起きて家事をするみのりが、寝息を立てている。

 さくらとみのりが寝坊した原因は、昨夜の会議に有った。


 昨夜の会議で、助役の佐川から、TV取材の予定が入っていると聞かされた。

 取材の予定日は明後日、日付を越えた今では、翌日に迫っている。既に、時間的な余裕は、無くなっている。

 もし、数日前にこの事を知っていたら、何がしか手を打つ事が出来た。


 取材に訪れる者の調査を行ったとしても、数日はかかるまい。

 また、さくらの知人には、TV局のスポンサー企業の社長を務める者が居る。つまらないの一言で、企画を潰す事も可能だったろう。

 ましてや、さくらの知己には、指定暴力団に大きな影響を持つ者さえ居る。


 圧力なら、幾らでもかけられる。しかし、取材日が迫っているのだ。無理に圧力をかければ、疑念を持たれる可能性が有る。

 世の中には、スキャンダルを作り上げ、騒ぎ立てる連中が存在する。そんなハイエナの様な連中に、腹の内を探られるのは、面倒な事この上ない。


 何事も無く過ぎる事を、願うのみ。だが、さくらは一抹の不安を抱えていた。そして、さくらはある男性に、電話をかけた。


「姉さん。今の電話って」

「聞かれちゃったのかい?」

「まぁ、夜ですし。姉さんの奥の手は、信太君だったんですね」

「その呼び名は、何だか懐かしいね」

「八坂君じゃなくて、よかったですよ」

「あいつに、連絡なんか出来ないよ」

「でも、八坂君なら電話一つで、飛んできますよ」

「だから、連絡出来ないんだよ」

「無事に過ぎれば、いいですけど……」

「それを願うしかないさ。それこそ八坂の馬鹿が、出張って来ない事を願うよ。それより、みのり。あんたは、もう寝な」

「姉さんは?」

「あたしは、どうにも眠れる気がしなくてね」

「では、お付き合いしますよ。久しぶりに飲みませんか?」

「そうだね。あんたが付き合ってくれるなら、少し飲むとしようか」

「焼酎にします? それとも日本酒?」

「焼酎が、いいかねぇ」


 こうして二人は、不安を打ち消さんと飲み明かし、明け方近くに布団へ入る。二人は、ギイ達に体を揺さぶられるまで、目を覚ます事は無かった。

 

 さくらが目を覚した時、枕元に置いてあったスマートフォンが、点滅していた。それは、数回に渡って来ていた、孝道からの連絡だった。

 ギイ達が来なかった為、何か有ったのかと心配したのだろう。さくらは孝道に電話をし、後でみのりがギイ達を連れて行くと告げる。


 その後、皆で協力し、朝食の準備を整える。

 そして、ちゃぶ台を挟んで座ったみのりに、さくらは柔らかな表情を浮かべた。


「みのり。この二週間、本当に助かったよ。ありがとう」

「姉さん。久しぶりに一緒に居られて、楽しかったです」

「あたしもだよ。華子さん達にも、お礼を言わないとね」

 

 この日、みのりは自宅へ戻る。

 寂しさを感じたのだろう、ギイとガアは少し表情を曇らせて、みのりの顔を覗き込んだ。


「ギギギ。ギギギ、ギイギ」

「ガガガ、ガアガ」

「みのりは、自分の家に戻るんだよ。あんたらからも、お礼を言っておくれ」

「ギギャギャギイ」

「ガガガガア」

「ふふっ。こっちこそ、ありがとう。ギイちゃん、ガアちゃん」

 

 ギイ達は箸を置くと、ペコリと頭を下げる。揃って頭を下げる様子は、愛らしくもあり、みのりの頬を緩ませた。

  

 遅い朝食が終わり、皆で片付けを行う。そしてギイ達は、出掛ける支度を整える。

 支度が終わるとギイ達は、みのりの手を取り、急かす様に玄関へと向かう。

 

 孝道の手伝いをするのが、彼らの楽しみになっているのだろう。玄関を抜けると、ギイ達は跳ねる様にして歩いて行く。

 その後ろを、ゆっくりとみのりが追いかけた。


 ギイ達を見送ったさくらは、振り返るとみのりが使っていた部屋へと向かう。そして、みのりが使っていた布団を、縁側へ丁寧に並べる。

 その後さくらは、自室に戻ると机の前に腰を下ろし、PCの電源を入れた。


 今日の予定は、多くない。

 診療所に向かい、クミルを連れて帰るだけである。しかも送り迎えは、孝則が買って出た。

 そのついでに、孝則はみのりの荷物を持って帰る。


 孝道が来る予定の時刻は、午後二時。さくらは、念の為に時計を見やる。

 そして、まだ約束の時間まで、余裕がある事を確認する。


 最初にさくらは、佐川から来たメールを確認し、添付されていた昨晩の議事録にも目を通した。


「流石に中止は無理だったか。仕方が無いね。これがどんな風に転ぶのかねぇ……」


 さくらは、少し表情を曇らせて、ため息をつく様に独り言ちる。そして、すこし思索に耽ると、佐川宛のメッセージを入力し始めた。

 

 テレビクルーへの対応は、佐川さんがやりなさい。

 取材の応答は、人見知りの幸三じゃなく、洋二にさせた方がいい。

 取材以外に、何か要求をされた時は、TV局にクレームを入れると伝えなさい。


 その他にも、幾つかの注意事項を書き込んだメールを、さくらは佐川宛に送る。佐川以外からも、メールは幾つか届いている。さくらは、メールの内容を確認すると、これまでの出来事をまとめ始めた。

 

 暫く作業をしていると、玄関の戸が開く音と共に、喧しい声がさくらの耳に届く。

 ドスドスと荒々しい足音が、さくらの自室に近づいてくる。そして、無遠慮に襖が開け放たれ、大きな声がかかる。


「おい、さくら。みのりの荷物は、どこの部屋だ?」

「うるさいね、隣だよ。ついでに、縁側で干している布団を、ひっくり返しておくれ」

「あぁ。わかった」


 さくらは、声の主へ視線を向けずに、応対する。声の主は、直ぐに移動したのだろう、隣の部屋からバタバタと音が聞こえてくる。

 さくらは、作業を止めてPCの電源を落とすと、両手を真っすぐ突き上げ、背筋を伸ばす様に体を少し後ろに逸らした。


 さくらは眼鏡を外して机に置くと、ゆっくり立ち上がる。そして、腰をトントンと叩きながら、自室から出て玄関へ向かった。


 玄関に視線を向けると、小さめの段ボール箱が、二つ積まれているのが見える。さくらは玄関まで進み、何が入っているのか確認しようと、手を伸ばそうとした。

 その時、背後から床を踏みしめる音が聞こえる。


「さくらぁ、先に行くんじゃねぇ! あとそん中には、孝道の使い古しが入ってる。でかいだろうが、上着は我慢させろ。ズボンの丈は華子が詰めた、サイズは合ってるはずだ」

「これを、クミルにかい? あんたは、気が利くね。これで報連相が出来れば、もっと良いんだけどね」

「それについては、謝っただろ! 余計な事を言ってねぇで、迎えに行くぞ。今日はあいつの退院だ」


 孝道は七十歳に見えない程、筋肉質でがっしりとしている。対してクミルは、瘦せこけている。

 身長は然程の変わりは無いだろうが、肩幅がまるで違う。確かに、孝道が着ていた上着は、クミルには大きいだろう。

 それ以前に、あの体だと農作業どころか、日差しに負けて倒れそうだ。先ずは沢山食べさせて、筋肉をつけさせないといけない。

 さくらは、段ボールの中に入っていたシャツを広げ、そんな事を考えていた。


 さくらがシャツを広げている間、慌ただしく靴を履いた孝則は、玄関の戸を開けて車へ向かう。


「さくらぁ。いつまでも、何してんだ! 置いてくぞ!」

「今行くよ、待っておくれ」


 広げたシャツを軽く畳んで、段ボールに仕舞うと靴を履き、さくらも車へ向かう。

 さくらを乗せた車は、バスンバスンと音を立て走り出す。


 あぜ道を通り、車は上下に揺れる。長時間に渡り揺れが続けば、流石に車酔いはするだろう。

 歩きとは違い、車は速い。軽口を叩いている間に、診療所に辿り着く。


 孝則は流石に忙しいのか、到着しても車から降りずに、スマートフォンで連絡を始める。

 そんな孝則を横目に、車を降りたさくらは、診療所の自動ドアを潜った。

 

 待合室に入ると、爽やかな風がさくらの体に届く。

 先客は三笠だろうか。さくらは、ぼんやりと考えながら、病室へと向かう。さくらが病室へ近づくと、話し声が聞こえて来た。


「いい? 少しでも不調を感じたら、連絡しなさい。往診のついでに、診てあげる」

「はい。さだえ、さん。おせわ、になり。ました」

「まだまだ、イントネーションがおかしいな。クミル、日本語の授業は、明日から私の家で行うぞ。私の家は、さくらの家から近い。苦にはならんはずだ」

「せんせい。わか、りました。よろしく、おねがいし、ます」

「先生。その授業は、ギイ達も一緒に受けても良いかい?」


 さくらは、会話に混ざる様にして、病室に足を踏み入れた。さくらの姿を見たクミルは、軽く会釈をした。

 

 抱えていた重い荷物を、降ろす事が出来たのだろう。また、将来的な不安より、好奇心が勝るのだろう。

 クミルの表情は、昨日よりも明るく感じる。

 

「ぎい? があ? ごぶりん、のなまえ。でした?」

「そうだよ、クミル。あんたも、これから一緒に暮らすんだ。仲良くしてやってくれないかい?」

「わかって、ます。かれら、わたしの、おんじん。です」 

「あんたは、体力をつけなきゃ駄目だ。それにうちは、そこそこ広い。ギイ達と一緒に、家事をしてくれると助かるよ」

「※※※、はい。おまかせ。ください」  

「あたしらと違って、あんたは若いんだ。うちにいる間に、自分の道を探せばいいさ」


 クミルは三笠の指導で、ある程度の会話が出来る様になった。だが、言葉を長く続けると、聞き取れなくなる時が多い。

 恐らくさくらの言葉は、半分程度しか理解出来ていないだろう。


 ただクミルの場合、能力で他者の感情を読み取れる。

 何となくでは有っても、さくらから包み込むような温かさが、クミルの中に流れ込んでくる。

 それは、貞江や三笠から感じるものとは少し違う。


 貞江は真面目で、仕事に誇りを持っている。

 彼女にどれだけ救われただろう、彼女にどれだけ支えられただろう。

 素性が知れない相手だろうに、真摯に向き合ってくれた。話し相手になってくれた、愚痴を聞いてくれた。

 彼女を見ると、漠然とした不安を抱えて、前に進めなくなる事が、とてもつまらない事に思えた。だから、前を見る事が出来た。

 癒してくれたのは、体の傷だけじゃない。彼女は、自分の心も癒してくれた。


 三笠の心は、鋼の様に硬い。同時に、他人の心を慮る事が出来る。

 こちらが問えば、理解が出来るまで根気強く教えてくれる。言葉がわからない相手に辛抱強く、動作を交えて何度も何度も、繰り返してくれる。

 時には、建物の外へ連れ出して、村の景色を見せてくれた。その美しさを教えてくれた。

 だから、色んな事に興味を持てた。彼のおかげで、色んな言葉を覚えた、色んな事を知った。それは、彼が諦めずに接してくれたから。


 さくらからは、厳しさを感じる。だがその厳しさは、優しさの表れなのだろう。

 包み込む様な、母の胸に抱かれる様な、そんな温かさをさくらから感じる。

 助けてくれと祈った時、彼女が来てくれた。それは、宝石に宿った力が、彼女を選んだのだろう。

 だから、自分の命は助かった。


 クミルは、貞江と三笠に対して、深く頭を下げた。続いて、さくらに対して、深く頭を下げた。

 ありがとうと、これからよろしく。その気持ちを、精一杯籠めて。

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