82 貴女は気高く、自由で ……そして生れながらにミュローンです

7月21日 1615時

【ベイアトリス王国 帝都/ 〝宮城〟内 『玉座の間』 周辺】


 〝宮城〟は敵味方入り乱れるという様相を呈していながらも、実際には皇女エリンに〝銃口を向ける者〟は皆無であった。


 ゆく先々で〝最敬礼〟で迎えられ、その後、無血で武装解除に至るという状況が続く中、唯一抵抗の構えを示したのはトシュテン・エイナルを護る〈近衛兵〉──〈近衛猟騎兵連隊〉の選抜近衛中隊の一部であった。

 彼らは『玉座の間』を中心に出来得る限りの防御陣を敷いて待受けており、皇女エリン一行を前にしても一歩も譲る気配を見せなかった。


 30分に渡って睨み合いが続いたが、午後四時二十分、何故だかそれが忽然と解かれ選抜近衛中隊は陣を引いた。


 ──そして直後、軍使によってもたらされたのはトシュテン・エイナルの降伏の意思であった……。



 そのトシュテン・エイナルは、降伏するに当たって皇女エリンに一対一の会見を申し入れてきた。当然、カルノー少佐を始め周囲の者は警戒をし反対する。

 だが当のエリンは〝思うところ〟があるのか、会見を受け入れることを周囲に伝えた。



「危険です! 殿下……」


 皇女附次席武官として仕え始めて数時間のファン・ダウンの、その困惑の声に、カルノー宙兵隊少佐も同様の表情で頷いている。キールストラとその幕僚が軍務省と参謀本部に向かった現在いま、この場の最先任指揮官──皇女の身辺警護の責任を負う立場──は彼である。


 だがそんな彼らの憂いに、何かを超越したふうな表情でエリンは応じた。


「それはトシュテン・エイナルもまた同じだと思うのです」


 そのときのエリンの目を見てカルノー少佐は押し黙った。このようなときの殿下は、引き下がるということをしない。


「しかし──」


 それでも食い下がらねばならないと感じている皇女附次席武官ファン・ダウンに、エリンはきっぱりと言った。


「──わたくしは決めました。これは〝家の問題〟です。彼も〈ベイアトリス〉のミュローン… この期に及んで〝家名〟を汚すことはしないでしょう」




 そうしてエリン第4皇女は、トシュテン・エイナルのいる『玉座の間』へと赴いた──。


 カルノーは、皇女エリンに防弾ベストの着用と、周囲の空間を〈宙兵〉と〈近衛兵〉とで囲むことと、控えの間にオーサ・エクステット上級兵曹長と戦闘防護服バトルドレスの宙兵1分隊を待機させることについては何とか承知させている。



 徹底的な遠隔探索リモートセンシングが実施され、内部の空間にはトシュテン・エイナルだろう反応ひとかげしかないことが確認されると、エリンは自らの手で『玉座の間』の扉を開けた。──午後五時〇五分のことである。





7月21日 1705時

【ベイアトリス王国 帝都/ 〝宮城〟内 『玉座の間』】


 広い『玉座の間』はせきとしていた。が、記憶に留めていたものはそのままであったように思う……。エリンはそのまま『玉座』の前まで進み出でると、『玉座』に座るトシュテン・エイナルに顔を向けた。


「玉座の上から失礼いたします──皇女殿下Your Highness.


 玉座の上からそう蒼い顔の少年に呼び掛けられ、エリンは微笑んで返してみせる。


 玉座に在る者が玉座の下の者に敬称で呼びかける──。そのようないささか不思議な情景から二人のミュローンの会話は始まった。



「随分と時間が掛かったのですね」 玉座の少年トシュテン・エイナルの声は、その繊細な貌そのままに細いものであった。


「〝宮中の習い〟には段取りというものがあるのです」


 そう返すエリンの声の方が、むしろ広い『玉座の間』に柔らかく響く。少年は溜息混じりにそっと目を細めた。



「そうですね ……煩わしいことだ── どうぞこちらにお上がりください」

 少年は玉座から立ち上がると、どこか他人事にも聞こえる声音でこう言った。「──じきここは貴女のものです……」



「…………」


 エリンは四従よいとこ弟の待つ『玉座』へと正面の階段を昇った。その所作はなるほど美しく、玉座の前に立つトシュテン・エイナルに羨望の念を抱かせる。


「──僕は貴女が羨ましい…… なんというか……貴女は気高く、自由で ……そして生れながらにミュローンです」


 そう言った四従弟トシュテン・エイナルの目を、エリンは真っ直ぐに見返した。


「貴方もそうヽヽでしょう?」


 トシュテン・エイナルは、ふ、と哀しい微笑みを口元に浮かべ、四従よいとこ姉に玉座を譲ろうと躰をかわそうとする──。



 次の瞬間、エリンの視界の中で、少年の細い体が人形の糸が切れたかのようにくずおれた。



 視界の中──。ゆっくりと頽れていく少年の細い体を、唯々、目で追うエリン……。

 何が起こったのかわからない……。


「──!」


 〝ドサリ〟というその音でようやく我に返ると、頽れた彼の側へと駆け寄った。見た目よりも遥かに軽いその身体を仰向けになるように起こしてやると、わずかに開いたその口元に、赤く伝わる血の一筋を見た。



 エリンは苦し気な少年の頭を膝で抱えてやる。そうしてやりながら、彼にではなくむしろ動揺する自分自身に訊いていた。


「貴方、毒を…… どうして?」



 ──白々しい……。



 トシュテン・エイナルは、幼さの残るその顔に諦観ていかんの表情すら浮かべ微笑んでみせた。


「狼狽えなさいますな……」

 少女のように優し気な表情かおが続ける。「──僕……いえ……私も、ミュローンです…… 自分の身の処し方は……ずっと考えてました……」


 言葉なくエリンはただ黙って少年の顔を見遣る。医者を呼ぶ声を制するように、少年は続けた。


「── 一度このような身の上となれば……私の存在は、帝政ミュローンにとり不安定な要素となる……それは理解していわかります……」



 ──そう……。 こうならざるを得ないことは、顔を合わせる前から二人には判っていたことだった……。



「──そのことに、悔いは、ないんです……」

 トシュテン・エイナルは、自分自身の言葉に納得するように小さく何度か頷いた。


 このときエリンは、掠れる声を振り絞るように言い募るその少年の面差しに、幾人かの親しい人の面影を重ねてしまっていた。

──先ず彼と似た背格好のベッテ・ウルリーカの中性的な顔が浮かび、次にそれがユウ・ミシマの繊細な顔に変わっる……。それから記憶の中の父の顔が浮かび、そして最後には、エリン自身の顔となって終わった…──。



 ──なんて哀しいんだろう……。 わたしたちは……


 そんな思いに蒼ざめた貌で少年ミュローンの最後を看取ることになった皇女エリンを、少年は優しい表情で見上げた。それから遠い記憶を探るようにして訊いた。

「初めてお会いしたのは、離宮でした…… 覚えて… おいでですか?」



「…………」 現実に引き戻されたエリンは言葉に窮した。


 ──正直、彼との面識は記憶になかった。だがエリンには、それを憶えていないことが何か罪深いことででもあるかのように感じられ、知らず目を臥せてしまっていた。

 そんなエリンを咎めるではなく、只々、少年は淡々と言った。


「──ベイアトリス三家の門閥が集まった夜です……盛大でした。あの夜……身の置き所の無い、惨めな思いの子供を …貴女は……貴女と貴女のお母君だけが… 気遣ってくれた……」



 その幾つかの言葉と少年の面差しに、記憶が揺り起こされてくる。

 ──ベイアトリス三家…… ああ、先の皇太子アルヴィド殿下の立太子の祝賀の夜だったかしら──


 宮中の煌びやかな世界の端でカーテンの影に隠れるようにしていた子供がようやく脳裏に甦ってきた。

 気後れする内気そうなその少年に、確かにエリンは手を指し伸ばしてやったのだった。そうすることが〝望まれること〟なのだと、父母に教えられたことだったから……。



 …──膝の上のトシュテン・エイナルが、すっかり弱くなった目線で見上げてくる。エリンは優しい声で頷き返した。


「ええ……いま、思い出しました」


 それを聞いて、トシュテン・エイナルは嬉しそうに笑って言った。


「──あの折……姉のように接して頂いたこと…… 覚えています……」


 それから大きく息を吸うと、あとは唯エリンの顔を眩しそうに見上げ、黙ってしまった。

 その手を握ってやりながら、エリンはただ〝その時〟を待つ。──待つこと以外に、何もしてやることがなかった。




皇女殿下Your Highness.──」


 それからしばしの後、心を殺していたエリンは、トシュテン・エイナルの掠れる声に我に返った。


「はい……」


 もう多分、そう応えたエリンの顔は見えていないのだろう。トシュテン・エイナルはエリンの顔を探すように視線を泳がせる。それでエリンは、痩せた少年の身体を起こしてやると、その額に自分のそれをそっと当ててやった。


 彼は安心したように吐息を漏らすと、幾許いくばくかの遠慮を滲ませた声で囁く。


「〝姉上〟と…… そう呼んでもよろしいでしょうか……?」


「……ええ…──」


 エリンが囁き返すと、トシュテン・エイナルは放心したように柔らかな表情を浮かべた。


「嗚呼──」

 溜息の後はいよいよ力の無い声になった。「──僕も……ミュローンに、なりたかったのです……〝姉上〟の…ような……」


 そこで声は途切れた。


「──…トシュテン……?」


 もう、返事はなかった。



 エリンは可愛そうな〝弟〟を腕に抱いて涙を堪えた。このような時代に〝帝室に連なる血筋ミュローン〟などに生れつくことがなければ、彼はこのような死を迎えることなどなかったはずだった……。


 皇女の他にはもう人の居なくなった『玉座の間』の、せきとした広い空間──。

 その『玉座』の前で、傍らに誰もいなくなった皇女は、たった一人身を震わせている……。




 * * *



 宇宙歴SE四七九年七月二十一日 午後七時四十分──。


 ベイアトリス王国第4王女エリン・ソフィア・ルイゼ・エストリスセンは、惑星〈ベイアトリス〉の帝都〝宮城〟において〝ベイアトリス王位〟の相続を宣言した。これを受けて『ミュローン帝政連合』は、第4皇女への帝位の継承を認める法手続きに入った──。


 エデル=アデン星域は、〝新たな時代〟を迎えつつある。


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