81 ──我ながら、柄にもないことをしてしまった……

7月21日 1230時

【ベイアトリス軌道エレベータ 基底部/ 地表側発着場アースポート


「エリン……っ!」 ──誰かの悲鳴……。


「……‼」 ──誰かの呑んだ息の気配……。


「何奴かっ?」 ──誰かの鋭い声……。



 ──そして……銃声……。



 それらヽヽヽが聴こえたとき、エリンの視界は〝黒い〟影で遮られていた。

 続く周囲の悲鳴と怒号を耳が拾っている。そのことでエリンは〝どうやら自分が撃たれたわけではないらしい〟と理解した。


 目をしばたかせたエリンの視界の中で〝黒い〟影は揺れるように動き、やがて地面に頽れる段になってようやく皇女は、それがガブリロ・ブラムの長身が纏っていた外套ローブだということに気付くのだった──。



 既に男はオーサ・エクステットの手によって制圧されており、地面に俯せに押さえつけられている。〈トリスタ〉の宙兵が周囲に群がっていた。


「痴れ者が! ──何者なのかっ?」


 宙兵隊のカルノー少佐の鋭い声が上がったときには、男は既に事切れていた。即効性の毒による自殺のようであった。奥歯にでも仕込んでおいたのであろう。



「エリン! ……皇女殿下Your Highness.! ──無事ですか⁉」


 その切羽詰まったベッテ・ウルリーカの声で我に返ったエリンは、ベッテの蒼白な顔に頷くと、目の前に膝をついて蹲ったガブリロ・ブラムを屈み込むように覗き込んでいた。──周囲の宙兵が止める間もない。まったく困った要人であった。


 ガブリロは下を向いていたが、エリンの気配に苦し気な面を上げた。左の脇腹を押さえているが出血しているらしい。


「ガブリロ……ガブリロ・ブラム! ──誰か医者を! 怪我をしています、撃たれたのです!」



「衛生兵っ……」

 皇女附次席武官となっているファン・ダウン宙尉が、皇女の声を引き継いだ。「──銃による負傷1! 意識はある、急いで!」


 言いながら皇女エリン負傷者ガブリロから引き離そうとする。足を止めてしまっているこの状況は危険だからだ。それを反射的に拒んだ皇女にファン・ダウンは言った。


「──皇女殿下Your Highness.ガブリロは衛生兵に任せておけます…… いまは一刻も早く〝宮城〟へと急ぐべきです」


 その言葉に〝理性が同意できても心情が納得できない〟という表情かおでいる皇女の手を、苦し気な表情のガブリロの手が触れた。



「──…皇女殿下Your Highness.……」


 自らを〝反体制派〟と認むガブリロが〝敬称〟で呼び掛けてきたことに驚きつつ、エリンはその手を握ってやった。


「しゃべらないでください…… 出血しています ……すぐに手当てを──」


「──その女性の言う通りです……」

 エリンの言葉をガブリロは遮った。「……〝宮城〟へ……お急ぎを……」


 常とは異なるガブリロのその〝気魄〟に、エリンは呑まれた。ガブリロは常よりもさらに白くなったその顔で続ける──。


「……ベイアトリスの王宮は〝権謀術数〟の巣窟だとのこと… 私が赴くまでヽヽヽヽヽヽ、決して王宮の〝御用学者〟らをお側に寄せぬよう……」


 エリンは驚いた──。この〝永遠の学生〟を感じさせる法学の徒ガブリロが、今し方撃たれたばかりだというのに〝先に行け。すぐに後を追う〟と言っているのだ……。


 一ヶ月半前の彼からは、想像もできないことだった。



「……わかっています… もとよりこのような状態で宮中の学者は信頼できません。現在いまのわたしの法務顧問は、ガブリロ・ブラム、あなたしか考えられません」


 皇女にそう言われ、ガブリロは精一杯に〝不敵な表情かお〟を作って言った。「──傷を塞ぎしだい…… 必ず追い付きます」



〝わたしのために、人が死ぬかも知れません……〟

〝でしょうね。でも、そのことからあなたは逃れられません〟 ──〈カシハラ〉の特別公室でのアマハとのやり取りが脳裏に甦る。



 エリンは、今更ながら〝腹を括る〟というコトをした。──己の中の〝ミュローンたるを知る〟ための儀式のようにさえ思える。知らず指先が懐に収めた〝銀時計〟に重ねられていた。



「──待っていますよ、ガブリロ・ブラム。必ず追い付いて来なさい。わたくしヽヽヽヽの法務顧問は貴方なのですから」


 そう言ってガブリロを励ますと握った手を離して立ち上がる。ガブリロは衛生兵に抱えられてその場に横になった。


「──さ… 殿下……」


 そう言って先を促す次席武官ファン・ダウンに頷くと、エリンは急ぎ『真空輸送システムチューブ』の乗降口へと向かった。




 その背を見送りガブリロは、衛生兵の袖口を握って訊いている──。


「傷は……深いのだろうか? 出血は……」


 白い顔をして震える声でそう訊くガブリロに、年若い女性衛生兵は柔らかな表情で応えた。


「……大丈夫です。弾は抜けてますし、太い血管は傷ついてはいませんから──」


 そんな言葉にもまだ安心できない様子のガブリロの手を、彼女は握り返してやる。

 ガブリロは精一杯の力で握り返すと、まだ震える声で言った。


「──我ながら、柄にもないことをしてしまった……もう…こんなことはごめんだ……」


 そんな〝書生の泣き言〟にも、宙兵隊の女衛生兵は〝おっとり〟と応えた。


止血すれ穴を塞げばばすぐにでも動けるようになりますよ」 と──。



 その言葉の通り医者の手で止血・縫合終えたガブリロ・ブラムは、次の時刻表ダイヤの直通便で『帝都』に入り、宮城で皇女エリンら一行に追い付いている。




 * * *



 平均速度で時速4千8百キロメートルという超高速で、ほぼ真空にまで減圧されたトンネルの中を走行する『真空輸送システムチューブ』の移動体リニアライナー──。

 その一等客室区画コンパートメントの中で、エリンはファン・ダウンから〝悲しい知らせ〟を聞いている。


 ──父、スノデル伯クリストフェルの死に関してである。


 ファン・ダウンから聞かされた事実ことは、やはり毒を仰いでの〝自裁〟ということであった。



 覚悟はしていた──。


 それでも平静を装うのには努力は必要で、ファン・ダウンの添えた〝苦しまなかったはず〟という言葉には、何らの救いも感じられなかった。そんなこと──本当に苦しくなかったなどと──は、誰にもわからないことではないか……。


 エリンは目を瞑ると、瞼の裏に父の穏やかな顔を思い浮かべた。

 その父の遺体は冷蔵保存され帝都の私邸の中にあるという。八歳までを過ごしたその場所に、特に感慨はなかった。


 ことが終わり次第、自らが喪主となって葬儀を取仕切ることを告げると、エリンはファン・ダウンを下がらせた。



 トンネルチューブ内部なか疾走すはし移動体リニアライナー──。その車両には窓もなく、全く振動を拾わない広い一等客室区画コンパートメントは静寂に包まれている。


 やがてその静寂に耐えられなくなったエリンは、懐より引き出した銀時計の奏でる針の音に耳を澄ませ心を落ち着かせる。


〝この先ずっと、こんなことを続けていくことになる〟と怖れたわたしに、ユウ・ミシマは言ったのだ──。〝そうすることで、見出すことのできる『意義』もある〟と……。


 ──〝今日〟という日は、まだ半ばを過ぎた辺りである。





 * * *



 宇宙歴SE四七九年七月二十一日 午後二時三十分──。

 帝都に入ったエリンは、既に『第一人者』の退去した中央街区一帯を管理下に置いた〈近衛兵〉と『王党派』の長老らに出迎えられた。

 この時点では〝宮城〟には取り残された『保守派連合』の一部が立て籠もり〈近衛兵〉と睨み合ってはいたが、帝都での市街戦に及ぶという事態には成っていない。



 状況を確認したエリンは、事前にアマハらが起案した通りに各政府機関の報道官から〝エリン皇女支持〟を表明させた上で、新皇帝ヽヽヽからの〝お言葉〟を待つよう指示する。

 その上で、皇女としての〝都入り〟の事実を〝宮城〟内の『保守派連合』残党に伝えさせると、自らは〈近衛兵〉と〈宙兵〉とを伴って〝宮城〟へと足を踏み入れている。


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