37 然るにカシハラの置かれた状況は極めて深刻だ

登場人物

・タカユキ・ツナミ:HMSカシハラ勅任艦長、22歳、男

・コトミ・シンジョウ:同船務科主管制士、23歳、女、ツナミの幼馴染み


・ラシッド・シラ:

 開業医、42歳、男、クレーク議員の主治医、元星系同盟航宙軍艦医

・メイリー・ジェンキンス:

 シング=ポラス自治大学の学生、19歳、女、革命政治家の娘



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 第1配備中の航宙軍艦は艦内の移動もままならなくなる。主要な移動経路の他は警戒閉鎖され──戦闘配備中の非常閉鎖ほどではないが──艦内の各所で隔壁や気密扉が下ろされるからだ。


 その第1配備中の艦内を戦闘宇宙服の人影が2つ、船殻の奥深くに設置された戦闘指揮所CICを目指している。浅葱色の地に黒の意匠のデザインであることから衛生科の所属なのが判る。その胸には『MEDIC』のマークがあった。



6月8日 2305時

【H.M.S.カシハラ /第3甲板中央部通路】


 メイリー・ジェンキンスは先を行く医師ドクターラシッド・シラの声を聞きながら、そのシラの慣れた宇宙服の身のこなし──かつては航宙軍の艦医であったそうだ──の背中を追っていた。


 胸の辺りに『MEDIC』のマークの入った衛生科の宇宙服を着た彼女は、現在いまはシラ預かりの身である。

 政治家の娘であるということ以外に取り立てて知識も技術も持たない彼女は、カシハラに残る際、艦医となったシラを手伝うことを要請され、それを受けたのだ。


 だから現在いま、慣れない宇宙服を身に纏い、第1配備の緊張した艦内をシラと共に歩いている。



 第1配備で物々しい艦内の通路を進み、軍艦とは当たり前のことだが〝戦闘をする〟宇宙船ふねということで、その機能の保全を最優先するものだということを、シラの説明で少しずつ理解していく。──学ぶべきことはまだまだ多いが、シラは教師としてとても優秀だったので不安は感じていない。



「──では実際に〝手当をする〟ということはないのですか?」


「ない、と言っていいな」

 艦医ドクターはメイリーの問いに簡潔に答えた。「戦闘中の負傷は基本、宇宙服の生命維持機能任せだ。我々医者が何をどうすることもできない──破れた服を塞いでやることくらいか」


 それは意外だった。──立体ホロビデオの連続ドラマの中で、お医者様が様々な器具を魔法のように使って主人公やその友人たちを救うシーン──、あれは幻想らしい……。


「──それに、実際に船殻を破られてしまえば、我々人間ヽヽの手で出来ることなんてもう何もないんだよ……」


「ご経験が?」 シラの声音の変化に、メイリーは探る様な声になって重ねて訊いた。

「……いや、私は幸いにも被弾したことはないがね」



 シラは背後からの生徒メイリーの問い掛けに応えながら、航宙軍の資料教材で見せられた爆雷、レーザー、粒子砲それぞれの被弾箇所の画像/映像を思い起こす。それは凄惨で、まさに地獄絵図としか言いようがなかった。〝の御慈悲〟、ただそれだけが、そこにいた彼らを救う唯一のものであったと思う……。


 願わくば、カシハラに乗る若者たち誰一人として、そんな慈悲とは無縁にベイアトリスまでの航宙を終えてもらいたい、そう思う。



「──では、私達はそんなに〝活躍〟することはないのですね……」


 少々落胆気味のメイリーの声が耳に聞えるとシラは口元を綻ばせた。クリュセの首相令嬢は、高い自尊心とそれ程でもない自己肯定感の狭間で足掻いている。それを上手く隠せないところが微笑ましい。


「まあ、戦闘という局面ではね……」

 シラは教師であることに徹した。「──しかし衛生科の仕事は実はそこのところに比重が置かれているわけじゃない」


「と言いますと?」 メイリーの口調が改まる。


乗組員クルーの体調管理が我々の所掌だよ」 シラは噛んで含めるような口調になって言った。「──むしろ平時におけるこの仕事こそが、航宙艦の衛生科でとりわけ重要なものと言える」

「…はい……」


 まだその言葉の意味を然程のみ込めていないふうのメイリーに、シラは問い掛けた。



「君は現在のカシハラの状況をどう思う?」


「…………」


 既に連続して14時間あまり、昨日から断続的とは言え26時間以上を緊張の只中で過ごしている。軍人ではないメイリーにとってこの状況は、正直、異常な事態に感じられる。

 だがカシハラは軍艦なのだし、現在いまは帝国軍から追われているわけだから、こういうことがむしろ普通なのだと思うべきだろうか。メイリーは返答に迷った。


 そんなメイリーにシラは穏やかに問うた。


「正直に言っていい ──つらいだろう?」


「……はい」 メイリーは慎重に肯く。


「それでいい」

 シラは笑って言った。「──そもそも人間の神経と言うのは、このような長時間の緊張に耐えられるものじゃあないんだよ」


 その言葉に、ようやくメイリーは何度も頷くことができた。それを気配で読み取ったようにシラは続ける。



「──しかるに本艦カシハラの置かれた状況は極めて深刻だ ──拳闘ボクシングの試合なら現在いまのところ『十対七』といったところかな」


「……深刻なのですね」 拳闘のことはよくわからないメイリーが、それでもわかったふうに相づちを打つ。


 このたとえは失敗であったかと、シラの言葉に小さな溜息がじった。


「──うん、深刻だ。だから我々……衛生科で注進に及ぶ、という訳なのだよ」



 ちょうどそのタイミングで戦闘指揮所CICの気密扉の前に達した。本来なら歩哨の保安部員がいるものであるが、現在のカシハラにはそのような要員はなかった。


 メイリーは扉の前のシラの横に立つと、その横顔を見た。


「──その顔は〝なぜ門外漢の自分わたしも?〟という顔つきかな?」


 シラにそう言われメイリーはおもてを伏せた。──CICここに来れば〝ツナミ〟がいる。正直、まだ彼とのわだかまりが解けたと思うことができないでいる……。


 シラはそんなメイリーに言った。


「君が居てくれると話を通しやすいと思ってね── それに、君にとっても勉強だ」


 そう言ってシラが与えられたIDを入力して端末を操作すると、分厚い三重扉が開いた。




6月8日 2310時

【H.M.S.カシハラ /戦闘指揮所CIC


 CICに艦医となったラシッド・シラと助手のメイリーを迎えたタカユキ・ツナミは、艦長席を下りて二人の前に立った。こういうところに誠実さを見て取れるところは、彼の美点と言えば美点だろう。

 ──もっとも仮にも航宙艦の艦長であるのだから、艦長の威厳を損ねるような振舞いはすべきではない。要するに、まだ立場と必要な立ち居振る舞いに慣れていないのだ。


 シラはそんな新任の艦長を相手に、艦の警戒レベルを即時、第2配備以下に下げるよう意見具申した。


 現況からそれが正論であることを解ってはいるが、ツナミはにわかにそれを了とは出来なかった。現在いま帝国宇宙軍ミュローン艦からの爆雷攻撃が続いている。監視の手は緩めるべきではないのではないか……。決断できない。



艦医殿ドクター…… 本艦は現在いまもミュローンの装甲艦から追尾されていて──」


 恐る恐る探る様な口調になったツナミを、シラは遮った。


「──わかっている…… これでも私は航宙軍艦に乗っていたんだよ」

 艦医は真っ直ぐに艦長の目を見て言う。「わかった上で言っているんだ。これヽヽではたない──」


「…………」


「回避か迎撃の局面に入るまで総員配置は不要だろう? 基本的な警戒探知は自動化されているのだから」


 艦医の言っていることは正しかった。殊更に厳重な警戒を敷いているのは、艦を預かる自分の指揮に対する気休めに過ぎない。だがこの気休めで乗組員クルーが疲弊している。


 ツナミはCICの中に視線を走らせ、詰めている要員の中からコトミ・シンジョウ宙尉の顔に視線を止めた。目線が合うとコトミはゆっくりと肯いて返した。


 次に艦医の方を向く時に、傍らにいるメイリーの顔に目が留まった。気拙い想いからだろうか、彼女の視線が逸れる。

 思えば彼女は民間人だ。職業軍属でもない。そんな彼女もいま総員配置に従っていて、血色の悪くなった顔で立っている。


「──まいったな……」


 深い溜息の後、ついにツナミはシラに言った。


「わかりましたドクター」

 次いでCIC主管制卓に着くコトミを振り見遣って命じる。

「──第1配備を解除、第2配備へ。次の当直を折半直にして非直から休ませてくれ」



 そんなツナミを見てシラが大きく肯くのをメイリーは、意固地な優等生に間違いを気付かせることができた教師、そんな表情だと思った。そうすると、ツナミが指導教官から指摘を受ける学生に思えてきた。


 ──何だ、素直な顔もできるんじゃない……。


 そんなふうに新任の艦長を見ていたメイリーは、ふと彼の背後に座る女性士官と目が合った。先ほど艦長の指示に復唱した、長い髪をポニーテイルにした彼女は、すぐに視線を逸らした。その視線が何か探るようだったのがちょっと気になる。



「ドクター……」

 ツナミ艦長は改めてシラに向き直ると言った。「──現在の乗組員クルーの体調データから最適のシフトを雛型として作成して頂けますか?」


 言われたシラは、いとも簡単に応えてみせた。


「ああ、それならもう作成済ですよ」


「それは──」


 その回答に素直に感嘆の表情を浮かべた艦長に、シラは手を振り笑って返す。


「あぁ、いや、先に船務科から相談が有ったのですよ」

 言って主管制卓のコトミを見遣った。「──艦長は優秀な〝副官〟をお持ちのようですな」


 それでツナミは今度こそはっきりと背後に座るコトミ・シンジョウに振り向いた。そんなツナミの視線の先で、コトミは気恥ずかしそうに小さく頷いて返した。


 そんな二人を見たメイリーは、随分と仲がいいのだな、と思う。


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