第2幕

第7話 逃避行(前編)

36 少しばかり目論見が甘いよ……。

登場人物

・タカユキ・ツナミ:HMSカシハラ勅任艦長、22歳、男

・ユウ・ミシマ:同副長兼船務長、22歳、男

・イツキ・ハヤミ:同航宙長、23歳、男


・エリン・ソフィア・ルイゼ・エストリスセン:

 ミュローン帝国皇位継承権者、18歳、女



・マッティア:帝国軍艦アスグラム第一副長/航行管制、中佐、36歳、男

・ネイ:同第二副長/戦闘情報管制、少佐、31歳、女



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 シング=ポラスの星系辺縁部を、点在する重力流路トラムラインへの跳躍点ワープポイント──公式に〝B〟〝C〟〝D〟〝E〟〝G〟と符牒が割振られている──への軌道遷移を模索する練習巡航艦カシハラが、静かに慣性航宙している。


 星系同盟航宙軍艦から〝皇女殿下の艦H.M.S.〟へと改められたカシハラは、第一軌道宇宙港テルマセクを抜錨後の26時間を、ほぼずっと総員による戦闘配備ないし第1配備での航宙という事態に陥っていた。



6月8日 2220時

【H.M.S.カシハラ /戦闘指揮所CIC


「爆散散布界 ──距離4200、相対速度マイナス79キロ毎秒で右側方オレンジアウタ2時から後方ブルーセクタへ抜けていきます」


 戦闘指揮所CICに置いた第1配備中の艦長席で、タカユキ・ツナミ艦長は主管制士のコトミ・シンジョウ宙尉の報告を聞いた。CICに溜息ともつかない安堵の吐息が拡がったように思う。


「──対空警戒監視を解除」


 ツナミは戦闘宇宙服の襟元が息苦しいと感じながら、そう告げた。すると管制卓からコトミが訊いてくる。


「警戒レベルは下げますか?」


 コトミのその確認にツナミは迷ったが、結局、警戒レベルの維持を告げた。


「いや、当面は第1配備を維持する」

「了解──」 コトミは微かに浮かんだ疲労の表情を振り払うように、全艦に通達する。「総員、引き続き第1配備を維持せよ」




 カシハラは追跡してくる帝国宇宙軍ミュローンの装甲艦──帝国軍艦HMSアスグラムから軌道爆雷による攻撃を受けた──正確には〝受け続けて〟いる。

 最初にアスグラムから切り離された〝投射質量〟に推進剤の点火──この時点で投射された質量体が〝爆雷〟であると判断──が確認され、対軌道爆雷の戦闘配備が発令されたのは12時間ほど前であった。

 それから断続的に5発の機動爆雷の投射を確認し、その都度、戦闘配備または第1配備──総員による対空監視が繰り返され、いま4発目の爆雷が形成した爆散散布界が艦のみぎ舷を通過していくところであった。


 第一軌道宇宙港テルマセクを抜錨直後の8時間を合わせ、すでに20時間もの間、総員配備が続いていることになる。




6月8日 2225時

【H.M.S.カシハラ /艦橋】


 対空監視が解除された艦橋のカシハラ副長兼船務長のユウ・ミシマは、傍らの指令席に座るベイアトリス王室皇女エリン・エストリスセンをちらと見遣った。表情の消された皇女のかおは真っ直ぐに正面に持ち上げられている。


 艦長であるツナミが戦闘指揮所CICで指揮を執り、副長のミシマが艦橋を預かっている理由は彼女であった。初めて戦闘配備が掛かった時、厚い船殻の奥に置かれたCICへの移動を促す士官らに彼女は訊いた──「一番〝見通しのよい〟場所はどこになりますか?」と。

 それが〝敵からの目〟を含めて、ということに気付いているミシマは答えた──「艦橋となります」──と。エリンはこの危険な航宙にあってせめて自らの身は陣頭に〝る〟べきと考えた。彼女らしいとミシマは思う。


 それで殿下の戦闘配備時の定位置は艦橋ということとなった。殿下の私的軍事顧問を兼務するミシマもまた、殿下と共に艦橋が定位置となる。


 順序が逆なようだが副長の定位置が艦橋と決まれば、戦闘時のリスク管理から艦長のツナミがCICへと移動する。もともとツナミは戦術長補でCIC付き、ミシマは船務長補で艦橋が定位置だったこともあり、彼らに違和感はなかった。



 そのエリン皇女殿下はミシマの視線に気付くと、どういう表情かおをして応えればいいのか判らぬふうに、少し困ったように目線を伏せた。そんな目許には疲労の色が見て取れる。無理もない。断続的ではあるがもう20時間余りをこの艦橋の指令席に居るわけで、ミシマ達のように訓練を受けた身ですらキツイ状況だ。正直、いつ倒れられてもおかしくなかった。


 ──お疲れになられたでしょう そう言って休息を勧めるべきだとは思ったが、いまヽヽの彼女の耳に届くとは思えず、結局ミシマはどうしたものかと思案顔になる。


 そんなミシマの耳に、艦橋に隣接する宙図室チャートルームから部屋の主──イツキ・ハヤミ航宙長──のたかぶった声音トーンが飛びってきた。



「──くそっ…やってくれるぜ‼ これで4回目だっ!」


 イツキは苛々とした口調で誰にともなくそう声を出すと、複合スクリーン上の、いましがたの対空警戒監視の原因たる「爆散散布界」の軌跡から視線を外した。コイツのお陰でカシハラは予定していた跳躍点〝デルタ〟への巡航加速のタイミングを逸したのだ。そして同じことがもう4回も繰り返されている。


 ──これを繰り返されたら、カシハラはどこにも行くことは出来なくなる……。


 航宙長を預かったイツキは、想いもしなかったこの事態に己が未熟さを、今更ながら思い知った。



 宇宙船の移動──航宙とは、推進器を動かさず慣性による等速度運動を続けるか、推進器で得られる加速で速度を積上げ星系軌道を遷移することの何れかを指す。後者の場合、当然、推進器から推力を得るために推移剤の燃焼が必要となるわけだが、宇宙船の限られた積載容積スペースを考えればその推進剤は無尽蔵ということにはならない。航宙には〝ある程度の経済性〟が考慮されることになる。


 この〝ある程度の経済性〟が非常に厳しいシビアな足枷で、基本的に宇宙船は〝自由自在〟に宇宙空間を駆け巡ることなどできない乗り物であった。民間の宇宙船であれば一回の航宙で数度の軌道遷移を行える程度の推進剤しか積み込んでいないのだ。それは軍用の宇宙船──航宙軍艦も本質的には同じで、積載される推進剤こそ相当な量であるが、そもそもが消費の量も桁違いに多いのである。


 そんな航宙艦の戦闘とは、手持ちの推進剤を原資とする掛金無制限ノーリミットカードゲームポーカーのようなもので、いかに良い手札を持とうが必要な推進剤を燃焼〝コール〟できなくなれば、その時点で〝終わりフォールド〟である。作戦行動を停止して退避撤退することになるか、若しくは宇宙を漂流することになる。


 そう考えたとき、推進剤を満載した航宙軍艦と言えども、その〝加速〟と〝タイミング〟の選択肢はそれ程多くはならない。その後の作戦行動を継続するのに十分な推進剤を確保しつつ、最大効率の相対速度を合成することのできる加速度とタイミングを模索することになるからだ。


 カシハラの場合、この後の追跡をかわす狙いでこの星系シング=ポラスに存在する7つの跳躍点ワープポイントの中から任意の5箇所に巡航加速で遷移することのできる──一種の欺瞞──軌道を初期軌道として採ったのだが、これが失敗であったことにイツキは身をもって思い知らされている。このまま爆雷によって加速を封じられれば、カシハラはどの跳躍点にも辿り着けなくなってしまうヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ……。



 そんなイツキの声に、副長席のミシマもまた痛恨の念に内心でほぞを噛む思いである。

 エリン皇女殿下を艦に迎えることで直接攻撃はないと断言したのは自分だったが、いざ蓋が開いてみれば帝国軍ミュローン艦は絶え間なく軌道爆雷で牽制をしてきた。


 ──なるほど……。真っ直ぐ進んでいる分には当てはしないが、行きたい先の軌道へは爆雷の散布界を広げて加速は許さない、というわけだ。それは想定できたはずだ。迂闊だった。




 ミシマが内心で苦虫を噛みつぶし、イツキが唸っている頃、カシハラを追尾する帝国宇宙軍ミュローン装甲艦アスグラムの第三艦橋では、航行管制を担う第一副長マッティア中佐がほくそ笑んでいる──。



6月8日 2235時

帝国軍艦HMSアスグラム /第三艦橋】


「これで5発目だな……」


 装甲艦アスグラムの第一副長を務めるマッティア中佐は、手元の複合スクリーン上で、4時間ほど前に投射した軌道爆雷の爆散散布界がいまカシハラから離れていくのを確認していた。程なくして、艦橋当直の観測要員から報告が上がったきた。


「爆散散布界、目標カシハラを抜けました……損害なし──跳躍点〝D〟ドーラへの加速、観測されず」


 その報告にマッティアは頷き、内心ほくそ笑む。

 これで彼らは5つ有ったはずの選択肢のうち3つまでを失うことになった。──残る跳躍点は〝エミール〟と〝グスタフ〟の2つ……。これで何れかの跳躍点からの重力流路トラムラインを使えたとしても、帝国本星ベイアトリスまでの経路の組合せはずっと狭まった。


 ──てらいが過ぎたな。候補生風情で……我らミュローンを相手にこの手の小細工、少しばかり目論見が甘いよ……。


 そんなマッティアの手元の端末が呼出しコールを告げた。複合スクリーンへと小窓出力ワイプさせる。そこには火器管制が主担当の第二艦橋から第二副長のネイ少佐が映し出された。



『──すっかり〝候補生虐め〟が板についてきましたね?』


 小窓ウィンドウの中からそう軽口を投げかけられ、マッティアは思わず口元を歪めてしまう。ネイはそう言うが、数刻前、その候補生らが報いようとした〝一矢〟を完膚なきまでに払い除けたのは彼女自身だった。


 ──5時間ほど前、候補生らの操るカシハラは1時間ほどの時間を掛け、総計11発もの軌道爆雷による飽和攻撃を仕掛けてきた。時間差を置いて艦の進行方向より3群の軌道爆雷が7つの交差角度でアスグラムを襲った。


 雷撃によって形成された爆散散布界の網はいささか相対速度の積上げこそ不足気味であったが、11発 (実際に〝爆散〟できた雷数は6)という数で望みうる最良の角度とタイミングであった。


 正直、航宙軍の士官候補生の実力を──例えそれが練習巡航艦の電脳コンピュータのサポートの賜物であったにせよ──過小評価すべきではないと感じさせるものだった。


 その候補生らの〝一矢〟を、アスグラムの火器管制を統べる〝死の乙女ワルキュリャ〟ネイ少佐は、対軌道爆雷誘導弾とパルスレーザの超長距離砲撃とで完璧に迎撃してみせた。おかげでアスグラムは大きな回避機動を取ることなく、エリン殿下の座乗艦カシハラを追尾している。



「──思いのほか『優秀』、という評価はしているんだがね……」


 マッティアは傷心の優男よろしく肩を竦めてみせる。作戦行動中であったが、アスグラムの艦内にはまだ余裕があった。


『確かに優秀です』

 息を吐いたネイ少佐が、小窓ウィンドウの中で同意した。『──あと4、5発の軌道爆雷があれば、本艦も回避機動に入らねばならなかったところです』



 彼女は正直に事実を述べた。マッティアも肯く。この事実から導き出される解は二つ。──航宙軍の士官候補生の能力はどうやら水準に達しており、能力不足からパニックとなってこちらの予測を超える不測の事態を引き起こすようなおそれはなさそうなこと。


 もう一つ──『カトリ型』航宙軍4等級航宙練習巡航艦は、次発装填の機能を持たないらしいこと。このことは今後の駆け引きの上でそれなりの意味を持ってくるかも知れない。



『──ところで』

 ネイが物憂げに訊いてきた。『……彼ら、ちゃんと眠れてますかね?』

「さあな……」


 マッティアは曖昧に応えた。自分が士官学校を卒業したての頃にこのような事態に直面していたら、しっかりと睡眠を取れるほど肝が据わっていたとは我ながら思えない。

 相手の衰弱を待つのは定石としても、追い詰め過ぎれば不測の事態を引き起こしかねないと、あらためて思う。


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