Auld lang syne. 4
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
紅美は、店の奥のテーブル席に座る客に運び、引き下がる。
「彩世さん、どうぞ。遠慮なんかしなくていいから」
「は、はい。……いただきます」
ショートカットの子がそう呼ばれたのを聞いて、紅美は立ち止まる。
「彩世? ひょっとしたら……」
振り向いて、後ろ姿をみたとき、紅美はようやく誰かを思い出せた。
*
彩世と呼ばれた少女は、訝しげにトライフルを見ていた。
透明なグラスの底から、スポンジケーキやフルーツ、カスタード、クリームなどが層状に重ねられている。
入り口のところのショーケースに並べられていたケーキと比べると、目を引くほどの華やかさはない。
一番上にのっているイチゴとホイップクリームを、スプーンですくって口にした。
「あ……おいしいですね。クリームチーズっぽい」
「そうでしょ。トライフルの意味は『つまらないもの』って言うの。こんなおいしいのにつまらないなんてどうしてつけたのかしらね。人って、すぐ見てくれや自分だけの価値判断で人を、物事を見てしまう悪い所があるよね」
眼鏡の向こうにみえる彼女瞳は、寂しくも懐かしそうな眼差しに、彩世は見えた。
「私を、どうして助けてくれたんです……か」
「あなたがそう願ったから。私が後ろにいることを見越して、彩世さんは車の前に飛び出そうとしたでしょ。だから助けたの。それじゃいけない? いけないって言うなら、もうあなたの前には現れない、約束する。でも何か悩み事があるなら聞いてあげる。見ず知らずの人の方が話しやすいよ」
彩世は不思議に思った。
どうしてこの人は、自分の心に思い描くことをするすると答えていくのか。
それに、彼女の声はまるで水のように心に浸み入っていく。
*
鈴が光達ブラウニーの分まで作って持ってきてくれたため、みんな揃ってお茶にすることにした。
「さっすがー鈴さん、気が利く!」
「英美ちゃんの分いっぱいね!」
「すみません。鈴さん」
三人は席に着き、久しぶりの再会に話が弾んだ。
「これで、アイとチクリンがいればいいんだけどな」
「亜矢!」
美香は、亜矢の口を慌てて押さえた。
一瞬みんなから会話がなくなる。
取り分け約束したわけではないが、恵のことは口に出さないようにしていた。
彼女が残ることを選ばなかったのは、自分達が恵を、『恍の面影を持った女の子』として接し、自分達の重荷を背負わせたからと思ったからだ。
「あたい達って馬鹿だよな。集団いじめだよ……。なぁ、祐介、そうは思わない?」
亜矢の問いに、彼は答えなかった。
「好きだったんだろ?」
「………………好きだったけど、今はわからない。何が好きなのか、説明しろとか言われても……ずっと、ずっと会ってないからわかんないよ……」
虚ろな瞳でそう呟いた。
晶はそれを聞いて口を開ける、が耳元で英美が『直樹君と付き合ってるでしょ、不倫はダメよ、不倫は』とボソッとささやいた。
「単純接触効果。祐介君、恵さんと一緒にいたとき楽しかったでしょ。毎日毎日店が終わってから来ては少し話したり、駅まで送ったり電話したり」
神名は口を挟む。
「あの時は、心配だったから。恍と同じ事した子がまた……するんじゃないかって」
「補完性ね。祐介君は心のどこかで恍の面影と恵の良さを求めた。あの子も祐介君に自分の優しかった兄の面影と祐介君の良さを求めたのよ」
神名のあとに言葉を続けた弥生は、紅茶を飲む。
「………………そうかもしれない。けど!」
「人を信じ、大切に思い、好きになることは……理屈じゃないのよ」
唯は息子に声をかけ、紅茶を飲み干した。
「……もういいよ、もうあの子は……いないんだから」
祐介を聖美と知見は哀しそうに見ていた。
好きだと言えるようになったときには、あの子はもういない。
想い出に消えたのだ。
場の雰囲気が、お通夜のようにしんみりになった頃、紅美は光の袖を引っ張る。
「光さん、思い出しました」
「なにを?」
「奥に座っている髪の短い子、長谷川彩世さんです」
「知ってる子?」
「美浜中で、同じクラスになったことがあるんですけど、大人しく、いつも一人でいたせいなのか、まわりの子たちから嫌がらせされてたんです。同じ高校に来てたなんて知りませんでした。ひょっとして、連れの子と訳ありかも」
紅美の声が大きかったせいで、亜矢達の耳にも入った。
「お客来てたんだ。この雨の中、珍しい」
「ほんと、しかも一番奥の目立たない所に女の子が二人っきり。あやしー」
亜矢と美香は、店の奥に目を向けた。
晶達も、弥生達もさりげなく振り返る。
「そう言えば、最近『髪の長い眼鏡をかけた子が』っていう噂を聞くけど、あの子のことなの?」
思い出した様に聖美がつぶやく。
「どんな噂ですか?」
知見の言葉に、さあ、と首をかしげる。
「わたしもよく知らないけど、『髪が長くて眼鏡かけた子に会うと、連れてこられる』とかなんとか」
「所詮、噂なんて誰かが作ったものよ。『ここでお茶とケーキを楽しんだら……』っていうアレ、私と神名で振りまいたんだから」
二人の会話に弥生が口を挟んだ。
「そ、そうなんですか?」
「うん、唯さんのアイディア」
意外な話を弥生から聞いて、一同は唖然とした。
「情報っていうのは、こう使うのよ」
唯はニンマリと笑った。
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