Forlorn Lunaris. 4
夕闇に街は包まれ、家路に向かう人々の足は心なしか早い。
東の空より闇がのびてきて輝くものが一つ、煌めく。
風は少し冷たく季節は秋を招きつつあるそんな夕暮れ刻。
閉店時刻をすぎた店内に客はいなかった。
光は先に上がり、愛も奥の部屋へと消えていった。
「チクリン、私達は前に話してた様に都合によりしばらく来れないから、後は頼んだわよ!」
「辞めるわけではありませんので、悲しがらないで下さいね。オミツと仲良くね」
聖美と知見は身支度を済ませ、カウンターでまだ片付けをしてる恵に手を振った。
どことなく明るそうな二人に恵は勢いに乗せられて頷く。
「店が大変な時は亜矢さん達を呼ぶって唯さんが言ってたし、大丈夫。しばらく会えなくなるけど頑張ってね」
「大丈夫ですよ、二人とも。聖美さんも知見さんも部活の方、頑張って下さい!」
恵は明るい顔をして二人と別れた。
彼女達が出ていった。
店内にいるのは恵だけ。
柱時計の秒針を刻む音が大きく聞こえる。
……みんな店を出ていってしまった。
孤独で不安だけの私を時に優しく、厳しく、暖かく、そして素敵に。楽しかったあの時間、幸せなひととき、同じ場所で分かち合えたこと、何より心から笑えたあの楽天の時間はもう帰ってこない。
「別れの数だけ出逢いがあるって言うけど、別れの方が辛いし……寂しい……」
自分で自分を抱きしめながら思わず呟いた。
同じ空の下にいるのに、同じ大地の上にいるのに、近くにいるのに、姿が見えないだけでどうしてこんなに心が哀しいんだろう。
また、もとの生活に戻ってしまうのだろうか。
「……残ってる仕事……しなきゃ」
呟くと恵はカウンター近くの席に腰を下ろし、クリスマスケーキの注文を一人整理しはじめた。
「……恵さん」
静寂の支配する店内に声が響いた。
驚き声のしたと思われる方へ振り向くと、愛が立っていた。
彼女は相変わらず無表情な顔をしている。
「め、愛さん……まだ帰ってなかったの?」
「……ここ、いい?」
「うん」
向かいの席に座った愛をみながら、恵はさきほど彼女と話していたことが思い出す。
愛は恵のことを恍と呼んだ。
恍さんのこと知っている。
逢ったことがある。
たしかに彼女はそう言った。
「恍さんとはどこで会ったんですか」
「満月の下で。あの子は私と同じだった。互いに名乗りもしなかったしなかったけど、約束をしたの……」
彼女は言葉をテーブルの上に零すように話し出した。
「……その人が……私に似てたの?」
仕事をしながら聞く話じゃないと思い、テーブルの隅にノートとメモを追いやった。
「けど彼女はもういない。恍はいないって、知ってる。ただ私、何も……してあげられなかった。何も……」
愛の顔はさっきと余り変わってはいなかった。しかし、それがかえって哀しそうに見えるのだった。まるで泣き方を知らない、笑うという行為すら知らない人形の様……。
「……愛さん、ここの店の名前……知ってる?」
「うん、知ってる。PEACH BROWNIE……」
「この名前はねぇ、……美浜 恍さんが付けた名前なんだって。……心に悩み持つみんなが素敵になれるように、店に来てくれた人がみんなみんな素敵になれるようにって。……この店には……恍さんの想いがいっぱい詰まってる。ううん、想いそのものなのよ。私と会ったのは……ただの偶然かもしれないけど、ここに来たのは恍さんが呼んだからなのかもしれないね」
恵は少し涙ぐんで彼女に伝えた。
人と接する事が苦手だったハズの自分の口から言葉が出ていくのが、恵は不思議だった。まるで誰かに後押しされてるみたいだった。
「恍さんの想いですか。恵さんは恍と友達だったの?」
恵は首を横に振った。
「私はこの春……美浜市に来たばかりで。この店に来たのは……頼る人もなく、寂しくて生きるのが嫌になったとこを祐介君が連れてきてくれたの。……みんなは恍さんと私が似てるって言うけど、私は一度も逢ったことがない。だから少し羨ましいな。……私も会いたかったな」
お互い同じ相手を思って話をしている。
一人は過去にあったことがある面影を重ねながら、もう一人は顔も知らぬ名前と人から聞いた面影を重ねながら。
出会った時間、知った時間は違っても、同じ人を想いながら話している。
逢いたくても、彼女は想い出の中にしか生きていない。
「恵さん」
「……はい、愛さん」
「私、ここで働きたい。恍の想いの詰まった、この店で働く貴女と一緒に。……私……と、その……」
「……友達になろうね! よろしく」
「あっ……よろしく。恵さん」
「チクリンでいいよ、愛さん」
「私のことはメグとでも呼んで下さい、……えっと……」
「チクリン。言いにくいのなら名前でいいよ。……好きなように呼んで下さい」
二人は少し照れくさそうな顔で握手を交わした。初めてあったとは思えないほど、昔の旧友に会う感じで二人は約束を交わした。
さっき、別れに淋しさを感じていた気持ちがどこかに隠れてしまった。嬉しい反面、やっぱり寂しい恵だった。
そんな二人を奥の部屋から盗み見している唯。
腕組みをそっと崩し、小さくため息をもらした。
「電気がついてると思えば……。人の心とはかくも素晴らしきものかな……というとこですか」
鼻で笑って唯は、その場を退散することにした。
*
携帯電話を片手に階段を上がりながら、唯は電話をかける。
「……もしもし、私。……確かに店で働くようにはしたけど。…………うん、そう…………」
静寂の時間の中、自分の声だけが辺りによく響いている。
唯は左手に持ち替え、壁にもたれた。
誰もいないその部屋には恍の写真が飾られている。
「…………相変わらずなんだから。……うん、分かってる。…………分かってるから自分の方こそ心配したらどうなの? 鈴や亜矢、それに旦那に心配かけちゃだめなんじゃないの?…………それじゃ、切るね、……はいはい」
電話を切り、そっと受話器を置いた。腕時計に目を向けるともうすぐ七時になろうとしていた。
「……夕食の支度しなきゃね」
唯はそう言って、慌ててその部屋を出ていった。
その部屋の窓の向こうに見える空には、忘れられた満月が騒がしい街を黙って見つめている。
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