Lebe kuchen. 4

「……自分の人生もまだ未設定の人に、私の人生を台無し呼ばわりするなんておかしなものね」


 階段を下りきった神名は、自分に呟いた。

 一階に降りてみると、恵と悟の話し声が聞こみえてきた。


「僕、クリスマスにはこの大きなチョコのヤツがいい! だって僕、チョコ大好きなんだもの」

「ふ~ん。そうなんだ」

「去年はねぇ、お父さんとお母さんとお姉ちゃんと四人で食べたんだ。お姉ちゃん、僕に大きな方くれてねー」


 クリスマスケーキ。

 神名にとって大嫌いなものだった。


「悟君。話し終わったから、弥生の所に行って来ていいわよ」


 ドアを開け、奥の部屋に入ってきた神名は悟に笑顔で話しかけた。


「うん! 神名姉ちゃん、めぐ姉。また後でね」


 悟は手を振って階段を登っていった。

 残った二人は見つめ合ったまましばらく話しかける様子はなかった。


「仕事に戻ります」

「そう。……恵さん、クリスマスケーキは好き?」


 部屋を出ようとした恵にいきなり尋ねた。振り返らずそのまま答える。


「よく、わかりません。いつも一人でしたから」

「私と同じね。……ちょっといい?」

「……はい?」


 神名はそう言って呼び止めた。

 恵は一瞬躊躇ったが、神名の横の席に座った。

 神名はテーブルの上に砂時計を置いた。

 砂がサラサラと落ちていく。


「レープ・クーヘンって知ってる? 私の知ってるクリスマスケーキなんだけど……。私にも恵さんのように父がいて母がいて兄がいるわ。けど毎年と言っていいほど、クリスマスの時は白い部屋の知らない天井を見つめてた。私の世界には季節もなく、唯一季節を感じることが出来たのがそのレープ・クーヘン」

「何なんです? その……レープ・クーヘンって」


 恵は何げなく神名の顔を見た時、その瞳から涙がこぼれ落ちていくのが見えた。

 思わず目を反らした。


「モミの木やエンゼル、トナカイにサンタ、靴下、星なんかの型に切り取って焼いたクッキーみたいなお菓子のこと。特別においしいってものじゃないの。それをツリーにつるしたものをベットの横に置いてあるのを見て、また一年たった、まだ生きてるって思ったかな」


 砂時計の砂が、音もなく落ちていく。

 恵はポケットから取り出したハンカチを神名にそっと差し出した。


「ごめんね、こんな話して」

「……い、いいえ」

「弥生が今日来たのは、私が勉強もせず、バイトばかりしてるからなの。今年、私も受験なの。弥生は私と一緒に同じ大学に行きたいって言ってくれてる。いつだってそう。身体が弱かった私は幼児ぜんそくとか高熱にうなされたり……いろんな病気にかかって、病院の入退院の繰り返し。そんな中、弥生だけは自分のことのように私を心配してくれた。けどそれじゃ、あの子は私の為にしたい事も出来やしない。……三年前、私はそう思ったの。私さえいなければ……とさえ思った。けど、私は生きてる」


 恵は、神名の気持ちが痛いほどわかる気がしていた。

 そして同時に、今の自分には彼女に何も言えないのもわかっていた。


「幸せはね、程々でいいの。不幸が襲ってきた時、三倍、五倍に感じてしまうから」


 砂が流れ落ちる……。


「けど、不安を恐れちゃダメなの。私達は今を生きているから」


 つかんだ砂時計を、唯がひっくり返した。

 いつの間にやってきたのか、恵は気が付かなかった。

 唯は鋭い目つきで神名をみていた。


「神名、逃げるのはもう止めなさい。逃げてちゃダメ! 弥生や現実、何より貴方自身から」

「唯さん……」


 神名が顔を上げた時だった。

 弥生と悟が、陽一に連れられて階段を降りてくるのが見えた。


「陽一、連れてくるの早過ぎるよ。……もう五分、待ってくれれば母さんがビシッと決めたのに……」


 唯はシリアスな顔から一変して、にやける。

 そんな彼女をほっといて弥生は神名の前に立った。


「せっかく助かった生命、無駄にしないで。私がいろんな事で悩んだり迷ったりした時、貴方言ったじゃない。『挑戦は逃げる事じゃない、挑むことだ!』って。そう教えてくれたのは貴方じゃないの。逃げないで、今やれることからやっていこ!」

「や、弥生……うん。わかった、頑張るね。……私」


 こうして神名は受験勉強をする事を決意した。

 それが彼女にとって本当にいいことなのかどうか、誰にも分からない。


「神名は今日でここをやめること、いいわね。……頑張るのよ」

「はい……」


 唯はニコッと笑って神名を見つめた。

 神名は弥生に泣きつき、弥生に笑みを見せるたのだった。

 陽一も悟も嬉しそうな顔をしていた。




                   *



 

 仕事が終わり、みんなで掃除をしている時だった。

 恵は唯の隣で台拭きをしながら話していた。


「折角、七人揃って『七人の小人』っていうキャッチコピーを考えてたのに。寂しくなっちゃうな……。弥生が辞めたときも痛かったのよねー。あの子達一番の親友で、どこに行くにしても何をするにもいつも一緒だった。けど、病弱な神名はいつもみんなに迷惑と不安、心配をかけてたみたいね。……もう治らないなんて言われたこともあったらしいわ、神名のせいじゃないのに。辛い日々が続いた中、何度も死のうかと思ったらしいわ。その度に弥生が励ましたの」

「あ、あの神名さんって病気だったんですか? 元気そうに見えるんですけど」

「三年前ね、急性白血病になったのよ。お兄さんがいたから良かったって聞いたけど、うまくいくかは五分五分だった。生きるのが嫌になっていた神名に決断させたのは弥生だった、今日みたいにね。神名って、しっかりしているようで、実は弥生がいなきゃ何もできないのかもしれない。まぁ、人間なんて弱い生き物だから、支え合ってなきゃいけないのよ。あの子達、幸せになってほしいわね……」


 唯は皿を拭きながら笑って言った。

 恵は神名と弥生に少し嫉妬みたいなものを感じた。自分には自分のことを心配してくれるようなそんな人はいないからだろうか。その時、何故か祐介君の顔がちらついたような気がした。

『幸せは程々でいい。不幸が襲ってきた時、三倍、五倍に感じてしまうから』と言う、神名の言葉が恵の心の中にいつまでも響いていたのだった。  

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