130 虎と鼠の酒宴 その2


「な、何をでございましょう……? わ、わたしめでご用意できるものでしたら、何なりとおっしゃってくださいませ」


 瀁淀がこびへつらうような薄笑いを浮かべて告げるが、雷炎が望むものを、瀁淀は何ひとつとして持っていない。


 唯一、まだしも魅力があるとすれば、富盈ふえいとともに横領した金だが……。


 本来、瀁淀が晟藍国の国王になることで震雷国へ流れてくるはずだった金に比べれば、微々たるものだ。何より、雷炎は金などに興味はない。兵を養うのに必要だから欲しているだけだ。


 そろそろこいつらを切るべきか、と雷炎は心の中で密かに呟く。


 藍圭が『花降り婚』を成就させたことで、商人である富盈が瀁淀を裏切って藍圭側につくことは十分考えられる。そうなれば瀁淀のことだ。苛烈な尋問に耐えかねて、雷炎と密約を結んで刺客を融通してもらったのだと、ばらしかねない。


 『花降り婚』を成就させ、これから地歩を固めてゆくだろう藍圭と即位早々に不和になるのはさすがに困る。


 ……今後、雷炎が動くためにも。


 そのための仕込みはすでに済ませておいた。


「瀁淀殿、何を言う。顔を上げるがいい。こたびの件は残念だったが、瀁淀殿は十分にやってくれた。ただ、あちらのほうがさらに上手うわてだったというだけだ。まだまだ、取り返しようはある」


「あ、ありがたきお言葉、もったいのうございます……っ! で、ですが、本当にまだやりようがあるのでしょうか……?」


 優しげな声で告げた雷炎に、瀁淀と瀁汀が安堵の吐息とともに顔を上げる。己の頭で考えることもせず、雷炎の言葉を鵜吞うのみにして教えを請おうとする愚か者に、内心で冷笑をこぼしながら、雷炎は難しい顔を作ってみせる。


「とはいえ、晟藍国に連れて来ていた俺の手勢てぜいも尽きた。何より、『花降り婚』直後に藍圭陛下が急死すれば、瀁淀殿に疑惑の目が向けられるのは必至だろう。『花降り婚』の前ならば、絢爛豪華けんらんごうかな儀式で民衆の目を惑わし、瀁淀殿の即位に異を唱える者を封殺できただろうが……」


 ひとつ吐息をこぼして言を継ぐ。


「いまや『花降り婚』は成就してしまった。初華姫は盟約に従い、押しも押されもせぬ晟藍国の正妃だ。初華姫は藍圭陛下をことのほか気に入っている様子。もし藍圭陛下に何かあったとしても、おとなしく瀁汀殿の妻の座にはおさまらぬに違いない。初華姫との関係が悪化すれば、龍華国の介入を招く可能性もある。しばらくは大人しくしておくのが無難であろう」


「た、確かに……。雷炎殿下がおっしゃるのはもっともでございます」


 雷炎の言葉に、瀁淀が重々しく頷く。


 これでよい。

 晟藍国から手を引くと決めたいま、軽はずみな真似をして、瀁淀が捕らえられるわけにはいかぬのだ。


 ……雷炎が、二人を始末するまで。


 二人に先ほど飲ませた葡萄酒の中には、雷炎が自ら召喚した《毒蟲》の小さな卵を潜ませておいた。


 違和感を覚えさせぬよう、わざわざ圧をかけて一気飲みさせたのだ。


 《毒虫》は今夜中にかえるだろう。二人の術師としての力量は、雷炎には遥かに及ばない。術師ゆえ多少の耐性はあるだろうが、《毒蟲》を還すことも叶わず、ほぼ確実に死ぬだろう。従者達が駆けつけたところでできることは何もない。


 唯一、懸念があるとすれば、今日見た解呪の特性を持つ娘だが……。


 もし雷炎の《蟲》を還せたとしたら、それはそれでますます興味深い。


 その時は、なんとしても震雷国へ連れ返りたいものだ。


 もっとも、大切そうに自ら抱きかかえて連れ帰っていた龍翔の様子を見る限り、簡単に手放しそうにはないだろうが。


 玲泉が連れて来ている従者達と同じく、単なる見目のよい少年従者だと思ってまったく気にも留めていなかったが、解呪の特性を持つあの者は少年ではなく少女だ。


 「明順」ではなく、龍翔が叫んでいた「明珠」というのが本当の名前なのだろう。


 螘刑から龍翔にかけられた禁呪のことを聞いた時には、どの程度のものかわからなかったが、《龍》を喚び出した直後の龍翔は、そばで見ていても苦しげだった。


 いままで雷炎の前で乱れたところを見せたことがなかった龍翔が膝をついて呻くなんて、よほどのつらさだったのだろう。そこまでの禁呪を《龍》に施した禁呪使いについても、気にならないではないが……。


 やはり、他の誰よりも気になるのは、どれほどの禁呪を一瞬で消してみせた明珠という娘の解呪の力だ。


 禁呪のことを持ち出して龍翔を脅せば、強引に明珠を奪えるかもしれない。


 だが、それでは雷炎が楽しくない。


 脅迫で相手を陥れたいわけではないのだ。龍翔ほどの好敵手ならば、真っ向からぶつかりあい、互いの死力を尽くして戦ってこそ、血沸き肉躍るというもの。


 そのためならば、ここはいったん引いて時機を待つ程度、なんというほどのことでもない。


「瀁淀。俺は今夜は一度、王城へ戻り、明日には震雷国へつ。しばらくは雌伏しふくの時だ。だが、時機がくれば――」


 雷炎は己の唇が自然と吊り上がり笑みの形を描くのを感じる。


 いつか、龍翔と全力で戦える時がくれば、どれほど楽しいことだろう。いまから心が騒いで仕方がない。


「か、かしこまりました……っ!」


 雷炎の笑みに怯えた様子で、瀁淀が震えながら頷く。


「ああ、本当に晟藍国へ来たかいがあったというものだ……」


 酒よりも何よりも、心酔わせる好敵手の存在に、雷炎は心からの愉悦をにじませて低い声で呟いた。


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