120 こうしてお前にふれていれば、疲れも禁呪も融けてゆく心地がする その2
おずおずと見上げると、まるで痛みをこらえるように眉を寄せた面輪が目に入る。その途端、きゅぅっと締めつけられたように胸が痛み、明珠は必死で訴えた。
「わ、私で龍翔様のお役に立てることがあるのなら、どんなことだってしたいんです! ですから、龍翔様が望んでくださることなら、私……っ!」
ばくばくと鼓動が騒ぐ。心臓が口から飛び出しそうだ。
このままそばにいるということがどんなことを示しているのかはわからないが、それが明日の『花降り婚』のためだというのなら、何だってする。
「龍翔様の思いには敵わないでしょうけれど、私だって初華姫様と藍圭陛下にお幸せになっていただきたい気持ちは同じです!」
黒曜石の瞳を見上げ、きっぱりと告げると、凍りついたように動きを止めていた龍翔がふっと口元を緩めた。
「……ああ、そうだな。わたしも、初華と藍圭陛下には幸せになっていただきたいと願っている」
柔らかな笑みを浮かべた龍翔が、
「では、そのためにわたしに力を貸してくれるか?」
と明珠の瞳を覗き込む。
「もちろんです! 私でお役に立てるのでしたら!」
「ああ。これはお前にしか頼めぬ」
力強く頷いた龍翔が抱きしめていた腕をほどく。と、やにわに帯に手をかけ、明珠は驚きに目を見開いた。
「り、龍翔様っ!?」
「上衣を脱ぐだけだ。わたしは別にこのままでもかまわんが……。皺をつけたらお前が気にするだろう?」
「そ、それはそうですが……っ」
ふだんは明珠に気を遣って別室で着替えてくれるので、龍翔が着替えるところを見ることはほとんどない。
思わず目を反らした明珠だが、衣擦れの音にあわてて「た、畳みます!」と龍翔が無造作に卓に置いた帯に手を伸ばす。絹の帯に変な皺をつけてしまったら大変だ。
次いで龍翔が脱いだ
畳み終わって振り返ると、龍翔は淡い浅葱色の肌着だけになっていた。いつもはひとつに束ねている髪をほどいた姿は夜着の時とほとんど変わらない。
毎朝、《気》のやりとりをする際に見慣れている姿のはずなのに、なぜか先ほどから心臓がぱくぱく騒いでおさまらない。
「あの……?」
ここからどうすればよいのだろうか。きょとんと秀麗な面輪を見上げると。
「明珠」
柔らかく微笑んだ龍翔が身を屈めたかと思うと、横抱きに抱き上げられる。
「ひゃあ!?」
「感謝する。わたしを思いやってくれるお前の気持ちが、どれほど嬉しいか……。何度礼を言っても足りぬ。きっとどれほど言葉を尽くしても伝えきれぬのだろうな」
「あ、あの……っ」
明珠が戸惑っているうちに、龍翔が寝台へと歩を進める。
宝物を扱うように敷布の上にそっと明珠を降ろした龍翔が、突然床に片膝をついて、靴を脱がそうとし、明珠は度肝を抜かれた。
「り、龍翔様っ!? だ、大丈夫です! 自分で脱げますから……っ!」
あわてて龍翔を押しとどめ、身を屈めて自分で靴を脱ごうとすると、一瞬、動きを止めた龍翔が、ばっ! と弾かれたように顔を背けた。
「す、すまん! その……っ」
「え……?」
秀麗な面輪を朱に染め詫びる龍翔に、きょとんと呆けた声を上げてから、いま自分が着ている夜着がいつものものではなく、襟ぐりのゆったりとした晟藍国風の夜着だったと思い出す。
瞬間、明珠は息を呑んで胸元を両手でぎゅっと握りしめた。
日中は少年に化けるために胸にきつくさらしを巻いているが、夜着のいまはさすがに外している。どんなはしたない姿を晒してしまったのだろうかと思うと、恥ずかしくて顔が上げられない。
鏡を見なくても顔が真っ赤になっているのがわかる。羞恥のあまり、いますぐ「わ――っ!」と叫んで逃げ出したい。
「この程度では、詫びにもならんが……。殴りたければ殴ってよいぞ」
顔を背けたまま、龍翔が決然とした声で告げる。
「と、とんでもないですっ!」
ぶんぶんぶんっ! と千切れんばかりに首を振る。
「龍翔様を殴るなんて、そんな……っ! もとはと言えば、私が
「粗忽というか……」
はぁっ、と龍翔が明珠のほうを見ないまま、嘆息する。
「お前は、いつも無防備すぎて、心臓に悪い」
「す、すみません……っ」
情けなさに、ぎゅっと身を縮め、うつむいて詫びると、龍翔が立ち上がる衣擦れの音が聞こえた。と、あやすようにぽふぽふと頭を撫でられる。
「すまん。お前を責める気など、まったくないのだ。それに」
ふっ、と龍翔が笑む気配がする。
「お前が無防備なのは、逆に言えば、わたしを信頼してくれている
「そ、それはもちろん……っ! 龍翔様を信頼しないなんてこと、あるはずがありません……っ!」
きっぱりと頷き、目の前に立つ龍翔を見上げると、こちらを見下ろす秀麗な面輪に柔らかな笑みが浮かんだ。
「ああ。わたしも、お前の信頼を裏切るような行いはせぬと誓おう」
きっぱりを告げた龍翔が、靴を脱ぎ、寝台に乗ってくる。ぎ、とかすかに寝台が
「えっと、あの……?」
明珠の前に座した龍翔に、いまさらながら戸惑った声をこぼす。
これはいったい、どういう状況なのだろう。
龍翔に「今宵だけ、そばにいてくれ」と頼まれ、勢いだけで頷いたが……。
一緒に寝台にいるということは、時間的にも、このまま寝るということではないだろうか。
そう考えた途端、緊張にぴしりと身体が凍りつく。
龍翔と一緒に眠ったことは何度がある。乾晶では宴から帰ってきた酔った龍翔に半ば強引に寝台に連れ込まれたし、先日も眠る気はなかったのだが、一緒に昼寝をしてしまった。
だから、決して初めてではないのだが……。
一度意識してしまうと、どう頑張っても冷静ではいられない。
まさか、この期に及んで「やっぱりやめます!」なんて言い出せるわけもなく、かといってどうすればよいのかさっぱりわからず、困り果ててうつむいていると、龍翔が苦笑する声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます