118 安理の報告 その4
「明珠。季白の言を真に受けることはない。それに、明珠には何よりも大切なお役目があるだろう?」
「え……?」
きょとんと顔を上げると、こちらを見下ろす柔らかなまなざしにぶつかった。
「きっと、龍翔様はお疲れになって帰ってこられることだろう。そんな龍翔様のお心を癒すことができるのは、明珠だけだ。そのためにも、明珠をいま疲れ果てさせるわけにはいかないよ」
穏やかに微笑んだ張宇が、もう一度明珠の頭を撫でる。
「だから、留守は任せたよ。安理も。明珠をしっかり守ってやってくれ」
「もちろんっスよ~♪ 明珠チャンはオレにお任せくださいっス~♪」
安理がひらひらと手を振る。
「ええ、では頼みましたよ」
季白が張宇と足早に出て行く。
「じゃ、明珠チャン。とりあえずお昼ご飯を食べちゃおっか♪」
「あ、はいっ」
季白と張宇が出て行った扉を見つめていた明珠は、安理の言葉にはっと我に返ってあわてて箸を持ち、料理を口に運ぶ。
安理の言葉はもっともだ。季白や張宇が言っていたように、明珠が話し合いの場に行っても役に立つどころか、迷惑をかけるだけだろう。
わかっていたこととはいえ、改めて事実を突きつけられると胸が痛い。いつもなら、おいしさに舌鼓を打つ豪華な料理が、まるで砂のようだ。
「も~っ、明珠チャンがそんな沈んだ顔をしてたら、オレまで暗くなっちゃいそうっスよ~」
いつの間にか、卓の向かいから隣の席に移動した安理が、なでなでなで、と明珠の頭を撫でる。
「す、すみません……っ」
あわてて詫びた明珠は、いつの間にか動きが止まっていた箸を、卓に置いた。ぎゅっと両手を握りしめ、隣の安理を振り返る。
「あ、あのっ、安理さん……っ!」
「うん?」
安理がにこりと笑みを浮かべる。
いつものからかい混じりの笑みとは違ういたわりに満ちた表情に、明珠は思わず胸の中の不安を口に出していた。
「季白さんが言っていたんです。龍翔様の禁呪が強まっているかもしれない、って……。それはやっぱり、禁呪使いが晟都へ来たせいなんでしょうか!? そ、それとも、もしかして、私の解呪の力が弱まっていたりしているとか……っ!?」
「ちょっ!? 明珠チャン!? なんでそんな発想になるワケ!?」
安理が驚いたように叫ぶ。
「だ、だって……っ」
ここ数日の龍翔の様子を思い出す。
確かに、このところ龍翔は疲れた様子を見せていた。けれど、明珠が体調を尋ねても「慣れぬ暑さで少し疲れているだけだ」と言うばかりで……。
それが、季白や明珠達に心配をかけまいとする龍翔の優しさだというのは、重々わかっている。それでも。
「毎日、龍翔様のおそばにいて、《気》のやりとりもしていたのに、禁呪のことにまったく気づけなかったなんて……っ! 私なんかの解呪の力で、どれだけのことができるかなんてわかりませんけれど、でも……っ」
話しているうちに、どんどん声が湿り気を帯びていく。
「私が龍翔様にお仕えできているのは、解呪の力ゆえなのに……っ!」
告げた途端、胸の痛みに呼応するように、ぽろりと涙があふれ出る。
胸が痛い。服の上から守り袋ごと、ぎゅっと胸元を掴んでいなければ、痛みで心臓が破裂するのではないかと思う。
この痛みの原因が何なのか、自分でもわからない。
龍翔に不調の真因を教えてもらえなかった寂しさからなのか、自分の力が禁呪に及ばないかもしれないという不安からか。
でもきっと、一番の要因は。
明珠の力が禁呪に対抗できなければ、龍玉を取り上げられ、龍翔の元を去らねばいけないからだ。
もう、龍翔に仕えられないかもしれない。
そう考えるだけで、全身から血の気が引き、床にくずおれてしまいそうになる。
龍翔の身体を案じるべきなのに、自分の身の振り方を心配するなんて、なんと自分勝手なのだろう。自分で自分が嫌になる。
うつむき、抑えようとしても抑えきれない涙をぼろぼろとこぼしていると、安理の手が明珠の背に回った。かと思うと、そっと包み込むように抱きしめられる。
「も――っ、明珠チャンってばぁ~」
「す、すみません……っ」
呆れ混じりの声音に、反射的に謝る。
こんな不安を打ち明けられても、安理だって困るだけだろう。だが、身動ぎしても安理の腕は緩まない。
「禁呪が強まってるかもしれないのは、禁呪使いのせいであって、明珠チャンのせいじゃないよ。それに、龍翔サマは賢明な御方だ。間違っても人前で少年姿にならないよう、ちゃんとそこの見極めはなさっているハズだよ。オレは王城にいないコトが多いから知らないケド、少年姿に変じたりはしてないんデショ?」
「は、はい。それはもちろん……っ!」
龍華国を出立して以降、龍翔が少年姿になったことは一度もない。
「なら、大丈夫だよ♪ 明珠チャンの解呪の力はちゃあんと効いてるって!」
言い聞かせるように告げた安理が、「何より」と言を継ぐ。
「龍翔サマが明珠チャンを手放すなんて、天地がひっくり返ってもありえないってば! オレの秘蔵の酒全部を賭けたっていいねっ!」
安理の断言は、この上なく力強い。
「だから、明珠チャンは何にも心配いらないよ♪」
「で、でも……」
安理の気遣いは嬉しいが、すぐに素直に頷けない。
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