118 安理の報告 その2


 きびきびと安理に問いかけたのは季白だ。


「時間のかかる王城の正面からではなく、窓から来たということは、何か急ぎで報告したいことがあるということですね? いったいどんな情報を得たのです? こちらはいま、龍翔様の禁呪が強まっているのではないかと、懸念していたところなのです」


 季白の言葉に、安理が鋭く息を吞む。


「あー……。やっぱりそうなってたっスか……。オレのほうもとんでもなくいやぁな噂を聞いたんで、急ぎで報告に来たんスけど……」


 珍しくがしがしと乱雑に頭を掻き乱しながら、安理が嘆息する。


「いったいどんな情報なのです!? 早く報告なさい!」

 季白が明珠から離れ、険しい顔で安理に詰め寄る。


「それが……」


 髪を掻き乱していた手を止めた安理が、はぁぁっ、と大きなため息をついた。


「オレが聞いたいやぁな噂っていうのは……。港に近い場末の宿で、術師らしき黒づくめの二人の男が、『花降り婚』について話していたらしいんス。そして……。男の片方は、左腕が失われていたと」


「っ!?」

 安理の言葉に、明珠だけでなく、季白と張宇も息を呑む。


 反射的にぎゅっとつむった明珠の脳裏に思い浮かんだのは、町を埋め尽くすほどの《刀翅蟲》に襲われた砂郭さかくの倉庫で、血だまりの中に落ちていた禁呪使いの左腕だ。


 まさか、龍翔を追って、北西地方の砂郭から龍華国を通り過ぎて南方の晟藍国にまで姿を現すなんて。


 いったい、どれほどの強い思いで龍翔を害しようとしているのかと思うと、全身ががくがくと震え出す。


 そうまでして、政敵達は龍翔を皇位争いから追い落としたいのだろうか。


「明珠……。大丈夫だ。龍翔様は卑怯ひきょうな禁呪使いなどに負ける御方じゃない。それに、俺達がついている。決して、龍翔様に手出しをさせたりなどするものか」


 力強く告げた張宇が大きな手のひらであやすように明珠の背中を撫でてくれる。頼もしい手のひらに、明珠はまぶたを開けるとこくりと頷いた。


「安理。その二人の術師の行方は掴めているのですか!? 禁呪使いがこの時期に現れたのは厄介極まりありませんが、逆に言えば好機でもあります。禁呪使いを捕らえることが叶えば、龍翔様にかけられた禁呪を解くことも不可能ではなくなります!」


 季白が厳しい声音で安理を問いただす。安理が珍しく力なくかぶりを振った。


「居所を掴もうと、オレも手を尽くしたんスけど……。『花降り婚』を明日に控えて、いま晟都にどれだけの旅人が滞在していると思います? いくらオレでも、その中から姿を隠している術師を探すのは、さすがに無理っスよ……」


 はぁぁっ、と疲労がにじむ溜息を吐き出した安理は、きっと晟都のあちこちを捜索してきたのだろう。よく見れば、安理が来ている衣は汗が染みてぐっしょりと濡れている。明珠が《氷雪蟲》のいる涼しい室内で張宇といる間、安理は炎天下の中を走り回っていたのだ。


「安理さん……。本当にお疲れ様でした! ちょっと待っていてくださいね!」


 張宇から身を離すと、明珠は小走りに卓に走り寄る。卓の上には昼食の皿の他に、よく冷えたお茶がなみなみとつがれた杯も置かれている。


「どうぞ! 冷たくておいしいですよ」

 安理に駆け寄り、杯を渡す。


「お、ありがと~♪」


 杯を受け取った安理が、ごくごくと喉を鳴らして一息に杯をあおると、「ぷっは――っ!」と大きく息を吐き出した。


「いや~っ、生き返るぜ! ありがとな、明珠チャン♪」


 安理が犬でも撫でるようにわしわしと頭を撫でてくれる。


「あ、あのっ、ちょうどお昼ご飯もありますから、よかったら……っ! いいですよねっ、張宇さん!?」


 用意されている料理は二人分だが、いつも食べきれないのではないかと思うほどたっぷり盛られているので、安理や季白が食べても問題はないだろう。張宇を振り返って確認すると、即座に明珠の意を察してくれた張宇が大きく頷いた。


「ああ、もちろんだ。安理。窓から入ってきたということは、報告が終わったらまたすぐに町へ戻るつもりだなんだろう? せめて昼飯くらい、ゆっくり食っていかないか? そちらのほうが時間の節約にもなるだろうしな」


「張宇さんがおっしゃる通りです! せめて少し休まれていきませんか……?」


 おずおずと安理を見上げて尋ねると、なぜかもう一度わしわしと頭を撫でられた。


「んも~っ! 明珠チャンにそんな顔をされたら断れるワケがないじゃ~ん♪ 腹が減っては何とやらってゆーし、お言葉に甘えてオレも一緒に食べさせてもらおっかな♪」


「はいっ! どうぞ!」

 笑顔で頷き、いそいそと安理のために小皿に料理を取り分ける。


「季白さんもどうぞ! まだお昼は食べられていないのでしょう?」


 次いで季白にも料理を盛った皿を差し出すと、ひとつ吐息をこぼした季白が、


「確かに、昼食を食べながら話し合ったほうが時間の短縮にもなりますね」

 と卓についた。


「ほら、明珠」

 張宇が明珠の分の料理を皿に取り分け、差し出してくれる。


「ありがとうございます」


 受け取ったものの、どうにもすぐにはしをつける気になれない。龍翔の命を狙う禁呪使いのことが、どうにも頭から離れない。


 箸を持ったまま、けれども手を動かせずにいる明珠の耳に、季白の声が届く。


「禁呪使いの行方が気になるのは無論ですが、一緒にいたという術師のことも、気にかかりますね……」


「ああ。だが、思い浮かぶとなればやはり……」


「最悪の想像はしたくないっスけど、どう考えてもアレっスよねぇ……」


 季白の言葉に、張宇と安理がそろって渋面になる。


「何を言っているのですか。想定は常に最悪を考えて、それに対処する方法を幾通いくとおりもおかねばなりません。明日の『花降り婚』は絶対に失敗は許されないのですから」


 季白が厳しい面輪で告げる。明珠は三人が誰を想定しているのかまったくわからない。だが、不穏極まりないことだけは確実にわかる。


「あ、あの……。『最悪の想定』というのは……?」


 おずおずと尋ねると、季白に「はぁぁっ」と呆れたように嘆息された。


「決まっているでしょう? 禁呪使いと話していた術師が、前晟藍国国王夫妻を暗殺した術師かもしれないという可能性ですよ」


「っ!?」

 季白の言葉に息を呑む。


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